日米指揮所演習初参加!
それは、33歳、2曹に昇任して6年目の冬でした。
私は仙台駐屯地において実施された日米共同指揮所演習に空域調整統制陸曹として参加するため同期の管制隊長及びY3曹と共に移動してきました。
実際、仙台駐屯地は、私が所在する霞目駐屯地から車で10分足らずのかなり近いところにありますので移動といってもそんな大げさなものではありません。
霞目駐屯地を出発してすぐに到着です。
演習には、日米合わせて4500人程度参加しますので、非常に規模の大きい演習と言えます。
この規模のため、演習実施場所は駐屯地グランド全般を使用します。
さらにグランド周辺駐車場は、訓練参加隊員が寝泊りする天幕(テント)が沢山張られます。
仙台の冬です。
「まんず、しばれる~。」というの率直な感想です。
この天幕に宿泊する参加部隊は、東北方面隊(東北の防衛を担任する規模の大きな部隊)隷下部隊です。
北は青森から南は福島に駐屯する部隊の隊員が参加します。
宿泊する施設が足りないため、近隣の霞目駐屯地及び多賀城駐屯地にも宿泊をさせシャトルバスで通勤・訓練参加という形も取られていました。
この指揮所演習は、当初、自衛隊だけで訓練予行なるものを実施します。
米側抜きで自衛隊内だけの調整要領・連携要領を確認していきます。
そして、本番の日米共同指揮所演習に突入していきます。
この演習は24時間体制の演習ですので、日米ともデイシフトとナイトシフトに分かれて勤務します。
また、総合訓練に入る前は、日米それぞれのセクションで機能別訓練も実施されますし、夜の懇親会等も行われ、昼間・夜間ともそれぞれ相互理解を深める機会を設けるのです。
演習最盛期の時期でも、駐屯地内の食堂はフレンドシップホールとして解放され日米の兵士がそれぞれ親交を深めることができるようになっています。
また、様々なイベント(書道、華道、茶道の体験、和太鼓の演奏展示等の文化体験)を通して日本文化の理解の場も提供されています。
また、自衛隊員家族や自衛隊協力会・父兄会の家族がホストファミリーとなって米軍を受入れ、夕食を共にするホームビジットという行事もあり、様々な文化的側面も併せた演習となっております。
さて、私が所属する空域調整統制所は、東北地方の防衛を担任する東北方面隊の指揮所内に設置される部署です。
平時には特にそのような部署は存在しませんが、有事の際には設置され航空機の飛行経路の設定、航空機の運航に関連する各種調整(航空部隊及び射撃関連部隊と行う)や航空任務に関する調整、及び航空自衛隊及び海上自衛隊(特に海上航空部隊)との調整を行います。
この指揮所演習というのは実際に人員、器材、武器等を用いる実動演習とは大きく異なるもので、指揮官の判断能力、幕僚勤務・活動の充実化及び調整能力の向上、日米の連携要領の確立及び相互運用性を高めるのが目的となります。
幕僚(人事、情報、作戦、補給、その他の専門分野における指揮官直属の参謀)は、シミュレーションによって部隊を展開させ、コンピューター上でワーゲームをしていきます。
勿論これは、ゲーマーによって演習シナリオ通りに状況を推移させていくものです。
そしてプレーヤー(訓練部隊)は与えられる現況を把握し、任務を分析、そして指揮官(この場合は東北方面隊のトップである方面総監)の決心に寄与すべく幕僚見積を立てます。
そして、部隊は指揮官の決心のもと作戦を展開していきます。
当然、勝ち戦ばかりでは現実的ではないため、日米両軍とも損耗を計上して作戦の実行性も判断していかなければなりません。
なかなか、複雑です。
複雑な状況に直面すれば、幕僚たちも状況に真面目(しんめんもく)に取り組んでいかなければ総監及び米側からの鋭い質問に太刀打ち出来なくなってしまいます。
このように指揮所演習は実際には部隊を動かしませんが、相当にタフな状況が作られていくということです。更に、この日米共同訓練の泣き所は、日本の作戦と米軍の作戦に時間的齟齬が常に生じるというものでした。それは、決心過程におけるプロセスの違いなどによるものです。
従って、自衛隊の作戦(計画・立案を含む)実行速度は米側のものとでは違いが生じますし、また決心する時期・ポイントが異なるため、なかなか作戦を同期するのが難しいわけです。
そのため、大小事の多くを日米共同調整所で調整していかなければなりません。
これが、日米共同作戦の実情です。
また、追い打ちをかけるように日側に十分な数の通訳がいないという現実もありました。
確かに13年前の自衛隊はそれが現実でした。
実際に通訳が来ても使えない通訳も多くいました。
実際、日米の共同調整所では、連日連夜、調整会議が行われますが、なかなか円滑に進んでなかったと思います。
これが一昔前の自衛隊と米軍との状況でした。
そのような状況の中、空域調整統制所は、通訳も置かず、ほぼ通訳の「つ」の字も知らない私を通訳として運用しようとしていたのです。なんとも恐ろしい限りです。
そして、「訓練」に突入していったのでした。
続く