何より他者の痛みを分かる人間となれよ。
被災の苦しみ、大病の苦しみは体験者にしか真の辛さは分からぬ。
なれど、決して他人事と思うなかれよ。
他者の痛みを己の痛みと感じ、心を配るがよからん。
己に苦しきことありとて、わが身ばかり辛きと思うなかれ。
己ばかり辛きと思う心は魂穢す元となりにけり。
苦しきは己一人にあらず。生かされしことこそ何よりの幸せと悟りて、人に心配りて生きるがよからん。
※この御神示は、片山貴由希様よりお借りしました。
http://konohanasakuya.blog.jp/
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GReeeeN - 花唄 という曲です。
よかったら、下の曲を停止してからお聞き下さい。
次は、GReeeeN - あの日のオレンジ
もう一つ聞いて下さい。
FUNKY MONKEY BABYS 「ちっぽけな勇気」
神社で奏上される祝詞の冒頭部分に「掛け巻くもかしこき」という言葉があります。
これは神さまに「言葉に出していうのには恐れ多いことですが」という意味です。
神社では日本独自の精神を伝える「言挙げせず」という言葉や精神性を大切にしています。
「言挙げ」とは「言葉に出す」という意味。
それを、「せず」と否定するので「言葉に出さない」という意味になります。
人に心があり感情がある限り、それを言葉に出して伝えることはむずかしいから言葉に出さない、という奥深い意味を持ちます。
今の世相から見れば、人に対して気持ちを伝える気力がなく、諦めてしまっているように思われますが、それはまったく逆です。
日本人は言葉に出さずに相手の感情を察し、心を感じ合い心での会話をしてきました。
気持ちを言葉に出して表現するのではなく、目でものをいい、身体に心をにじませてきました。
言葉は非常に便利なもののように見えますが、言葉ではいい尽くせぬ心の部分が生じます。
言葉は発する者の感情表現や聞いた者の精神状態でその意味はさまざまに変化し受け取られます。
相手を思い尽くそうおとする力があれば、言葉にせずとも通じ合えてきたのです。
お互いが言葉に出さずとも感じ合うことを実践して、信頼関係が生まれる社会ができていました。
互いに言葉を越えて心で感じ合うこともまた、「言挙げせず」といいます。
言葉や体裁、形式よりも、大切な人の心や感情を察して生きていくことの重要さを、日本人は知っていました。
「言挙げせぬ国」だからこそ、言葉を発する時は相手の気持ちやすべてに心を巡らして、言葉に魂を込め、言霊と言ってきました。
(文:心に荷物をおろす場所:丹生川上神社宮司・皆見元久著)