ランスロットのブログ -3ページ目

心配り

今、魂の浄化が望まるる時。
何より他者の痛みを分かる人間となれよ。
被災の苦しみ、大病の苦しみは体験者にしか真の辛さは分からぬ。
なれど、決して他人事と思うなかれよ。
他者の痛みを己の痛みと感じ、心を配るがよからん。
己に苦しきことありとて、わが身ばかり辛きと思うなかれ。
己ばかり辛きと思う心は魂穢す元となりにけり。
苦しきは己一人にあらず。生かされしことこそ何よりの幸せと悟りて、人に心配りて生きるがよからん。

 

※この御神示は、片山貴由希様よりお借りしました。

http://konohanasakuya.blog.jp/

 

無の強さ

この世あらぶりて、経済危機など様々なる現象起こらんとす。
これより先は、思いもよらぬ事態多く発生す。
まさかの出来事次から次へと起こるなれば、心構えが必要なり。

いずれ貨幣に関する変化起こるやも知れぬ。流通が止まるやも知れぬ。
過去、他国が破綻したる時の現象日本にも起こるやも知れぬ。

長きにわたるひずみは地球規模にて次から次へと表面化す。
言わば地球規模の気付きの時、目覚めの時なり。
よく耐え、決して魂汚すことなかれよ。

戦後の日本の人々は焼け野原となりたるこの国を、無から立て直したり。
人にはさなる大きな力ありなん。
人よ気付けよ。無ほど強きものはなし。
命さえありたれば、無は無になく、新たなる出発の時なり。
人は無になりたる時、命の尊さ、人の情のありがたさ、人の和の大切さを思い知る事となりにけり。
なれば恐れる事はなし。

物質、金銭至上主義の考えをまずは切り替える必要ありなん。
高価な物を持つことが幸せにはなし。
家族との気綱、人との和や交流、自然や音とのふれあい、
さなるものの中にこそ幸福あり。

 

※この御神示は、片山貴由希様よりお借りしました。

http://konohanasakuya.blog.jp/

言葉の神

地球温暖化の現象、刻々と表われる。
遠く離れし国にては住むに適わぬ土地もあり。
日本の中にも台風、大雨にて多大な影響あるなれど、己に降りかからずば、関係無しと他人事なる人間まだまだ多かりき。
嘆かわしき。
明日はわが身なり。
大雨、台風の影響はますます厳しく、日本も避け難し。
今の地球、自然も、食も、物品も安全な物少なし。
土地の地場も狂いて死せる土地多きかな。
ゆえに神は立て替え立て直しを急がるる。
今すぐに人ができることは言葉を正すことなり。
言葉の神の封印解かるる前に急ぎ正せよ。
言葉には霊力あり。
言葉によりて唱える者の魂も聞く者の魂も浄化されん。
言葉の霊力侮るなかれ。
言霊には神の御意図込められり。
神の禊ぎは厳しきものなり。
なれば己のできうる限り言葉を大切に美しく清らに発する努力をするべし。
人間と人間は言葉一つで争いにもなり。憎しみにもなり。信頼にもなり。友情にもならん。
真の言葉一つで悪しき波動は禊がれん。
ゆえに言葉の暴力は肉体に受ける暴力よりも魂穢して心に突き刺さらん。
目には見えずとも立て替え立て直しは先へ先へと進みゆく。
地球の混乱、危機の時代、今この時に生を受けるは意味があるなり。
そを悟りて言葉の神の封印解かるる前に言葉を正し、自ら禊ぐべし。

 

※この御神示は、片山貴由希様よりお借りしました。

http://konohanasakuya.blog.jp/

 

 

あえていばらの道へ行け

人よ。苦労を悲しむなかれ。避けるなかれ。
病、貧困、挫折、事故、別離。
人の苦しみ様々なれど、気づきとなり、禊ぎとなるらん。
最も辛き病にても、人の親切、献身、苦しみ知る糧となりぬる。
事故ありしは、命の大切さ、安全の大切さわかる術となりぬる。
金無くば、その時はじめて周りの人間の意図わかりし。
不幸の中にも必ず気づきあるらん。
人よ。苦労を避けるなかれ。あえていばらの道を歩けよ。
心の汚れ取り去る最も良き修行なり。
様々な経験ありて、はじめて高みに行けるなり。
己の中の悪と闘うも修行の一つなり。
神の禊ぎなき者、一人なりとも存在せぬもの。
神は皆に平等なり。間違うなかれ。
禊ぎは不幸のみになし。
神への感謝を忘れず、先祖を敬いて、人への優しさに溢るる者ならば、神は無駄な苦労与えぬものなり。
苦労多き、不幸多きと嘆く者は神への感謝も人への愛も足りぬゆえなりこと、早う気づけよ。
人の心は弱く脆いものなり。
苦境の時ほど、自分を嘆き、人をうらやみ、神をも恨む者あるらん。
されど苦境の中にても、己の心見つめ、反省し光り見つけるなりては、神必ずや救いあげらるる

※この御神示は、片山貴由希様よりお借りしました。

http://konohanasakuya.blog.jp/

 

奇跡の命

人間として生まれるは極稀なり。奇跡なり。
そを、もう一度、自覚するべけれ。

また己の命は神より授けられたることを思い起こせよ。
太古のその昔神と共にに歩んでいたにもかかわらず、いつしか次第に人は神から離れんとす。

そのことを最も嘆き悲しまるるは、他ならぬ人間をおつくりになられた神ならん。

人間の苦労、試練は悩みて苦しみつつ、それを乗り越えることにて、心も魂も磨かるる。
なれどそに、耐えられずただ嘆き、愚痴、妬み、恨み等、負の心にとらわるるは、ただ魂汚すのみ。

神は人の心を操られることはなし。己の心を操るは己のみなり。
奇跡の命を授けられたる己は、選ばれし命。そをさとらば己の心も魂も多少の苦しみにて穢れることはなし。

※この御神示は、片山貴由希様よりお借りしました。

http://konohanasakuya.blog.jp/

 

”白隠さんの「内観の四則」を説明します。”

とってもわかりやすい説明を読みました。

 

参考にさせて頂きます。


こうゆう曲、好きです!!

GReeeeN - 花唄  という曲です。

 

よかったら、下の曲を停止してからお聞き下さい。

 

 

 

 

次は、GReeeeN - あの日のオレンジ  

 

 

 

もう一つ聞いて下さい。

 

FUNKY MONKEY BABYS 「ちっぽけな勇気」  

 

 

 

言挙げせず 和の心

神社で奏上される祝詞の冒頭部分に「掛け巻くもかしこき」という言葉があります。

これは神さまに「言葉に出していうのには恐れ多いことですが」という意味です。

神社では日本独自の精神を伝える「言挙げせず」という言葉や精神性を大切にしています。

「言挙げ」とは「言葉に出す」という意味。

それを、「せず」と否定するので「言葉に出さない」という意味になります。

人に心があり感情がある限り、それを言葉に出して伝えることはむずかしいから言葉に出さない、という奥深い意味を持ちます。

今の世相から見れば、人に対して気持ちを伝える気力がなく、諦めてしまっているように思われますが、それはまったく逆です。

日本人は言葉に出さずに相手の感情を察し、心を感じ合い心での会話をしてきました。

気持ちを言葉に出して表現するのではなく、目でものをいい、身体に心をにじませてきました。

言葉は非常に便利なもののように見えますが、言葉ではいい尽くせぬ心の部分が生じます。

言葉は発する者の感情表現や聞いた者の精神状態でその意味はさまざまに変化し受け取られます。

相手を思い尽くそうおとする力があれば、言葉にせずとも通じ合えてきたのです。

お互いが言葉に出さずとも感じ合うことを実践して、信頼関係が生まれる社会ができていました。

互いに言葉を越えて心で感じ合うこともまた、「言挙げせず」といいます。

言葉や体裁、形式よりも、大切な人の心や感情を察して生きていくことの重要さを、日本人は知っていました。

「言挙げせぬ国」だからこそ、言葉を発する時は相手の気持ちやすべてに心を巡らして、言葉に魂を込め、言霊と言ってきました。

(文:心に荷物をおろす場所:丹生川上神社宮司・皆見元久著)

こんな歌いかがでしょうか?

こんな歌見つけました。

聞いてみて下さい。

 

 

 

 

 

こんな歌見つけました。

今の時代におばあちゃんを思う歌です。

 

ミサンガというグループの「はじめまして ばぁちゃん」です。

 

下の音楽を停止してお聞き下さい。