コロナには勝てず | Lancashire スローライフ

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先々週から、コロナ感染し、肺炎になりコロナ病棟に入院していたママ。

イースターホリデー前に少しずつ酸素マスクの酸素量を減量していき、様子を見ると言われ、酸素を減量すると言う事は、少しずつ回復に向かってると思っていました。

そして、一昨日の朝には、かなり良くなっていて、酸素マスクを外してみると言われてたのですが、その日の夜から急変し、昨日の午後、病院から電話があり、お腹の辺りに大きな皮下血種が見つかり、手術すると大手術になるので、今のママの状況では、手術するには体が持たないだろうと言う事で、状況はあまり良くなく、特別に面会を許可されたので、夕方、病院へ行ってきました。

 

病院自体は、一般病棟に入院している患者さんには、今は、普通に面会できる様ですが、コロナ病棟では、現在も面会は許可されてないので、ママが入院している病棟へ行くと、ドアには鍵がかかってて、担当医から面会の許可を受けている旨を伝えて、ドアを開けてもらい中へ。

 

担当医と看護師(シスター)が待合室に案内してくれて、まずはそこで現在のママの状況を説明されました。

 

昨日の朝には、かなり良い状況になっていて、酸素マスクを一度、外してみたけど、外すとやはり酸素が足りず、又、酸素マスクを装着。

そして、夜から急変し、朝にはお腹がかなり張ってる様だったので、午後からCTスキャンを取ったら、心臓や他にもいくつか血栓が見つかって、それがブロックして、腎臓が機能しておらず、お腹の張りはかなり大きな皮下血種ができているとの事。

腎臓を攻撃するのもコロナの特徴らしいです。

手術は難しいので、このまま行くとかなり厳しい状況だと説明を受け、ボンもママは既に認知症も患っていて、難しい手術をさせる事は願ってなかったので、その状況を受け止め、多分、今晩が峠か?でも全く希望がないとも言えないから、今は様子を見るのみと。

もしもの為に最後のお別れをしたければ面会してもいいと(但し、コロナ患者なので、全くリスクがない訳ではないと言う事を理解しておいてほしいと)。

皮下血種で、血液が足りてないから、今輸血中だから、少しここで待っててとしばらく待たされ、その後、PPEのエプロン、手袋、そして、特別なマスク(しっかり密閉できるタイプ)、更にその上からフェイスシールドも付けての面会になりました。

 

マスクやフェイスシールドしてるから最初はちょっと混乱した感じだったけど、私達だと認識はしていたみたいで、酸素マスクはしてたけど、少ししゃべれる程度。

と言っても言葉が出てきたのは、何故かNo.no.no.no・・・・かYes,yes,yes・・・とYesとNoを繰り返すだけ。

きっとモルヒネの影響もあったかと。

ただ、ボンが叔母や叔父達の名前を出すと目が大きく開き、認識していた様子。

ただ、私としては、想像してたよりは、しっかりしてて、もしかするとママは、今までも何度も何度も厳しい状況から回復してきてたので、今回も何となく乗り切ってくれる様な気がしてました。

 

病院から電話があった14時頃、元看護士だったダービーに住む叔母にも連絡をしたら、私達が病院に向かう頃(15時半頃)、ボンの従姉(叔母の娘)が車で連れてきてくれると言う事になり、病院に来る事になってました。

私達も面会を終え、叔母に連絡したら、後45分位はかかるかな?と言う事だったので、私達は一度、病院を出て、向かいにあるBOOTHSと言うスーパーでちょっと何か買っておこうとスーパーで買い物してたら、もう病院に着いたよと連絡があり、私達も再度病院へ行き、叔母達にちょっと会っておく事に。

この日は、たまたま駐車場の支払いシステムがダウンしてた様で、支払機には、今日は無料ですと貼り紙がしてあったので、病院のメイン玄関のところで会う事にしました。

今、病院の敷地内工事したりで、駐車場が少なくなってて、すぐに車を停めれずに、しばらくウロウロして、やっと車を停め、メイン玄関のところで、叔母達と合流し、先生からの説明と私達が面会した様子等を伝えて、バトンタッチして、帰ってくるつもりだったのですが、そこで看護師から電話があり、ママの状況が再度、悪化したから、又、病院に戻って来て欲しいと言う電話だったので、実は叔母達が今、着いて、まだ病院にいるんだと伝えて、すぐに叔母達と病棟へ向かいました。

 

既にシフト変更があって、担当の医者が変わってて、再度、違う医者も来て、現状を説明されました。

酸素濃度が通常は92%位必要らしいのですが、70%まで低下してて、既に酸素供給量は最大値にしてるので、これ以上、供給を増やす事はできないと。

そして、朝まで持つかどうかだから、今のうちに最後のお別れをしておいた方がいいと言うような事でした。

 

まずは、叔母とボンの従姉が会いに行き、最初は私達は、もう既に面会して、最後のお別れのつもりでいたから、私はもういいかな?と思ってたけど、一応、最後にもう一度、顔見に行きました。

マスク着用がなかなか上手くできず、手間取ってたら、看護師さんが助けてくれて、何とか装着。

最初に面会した時から2時間位しか経ってなかったのに、ママの顔つきも変わって、息もかなり苦しそうで、ゼーハーしてて、こんなあっという間に状況が悪化するんだな~とちょっと驚いたけど、これが本当に最後のお別れになるなと覚悟はできて、しっかりとお別れをしてきました。

叔母は、本来だったら、ママに最後まで付き添っていたかったけど、連れて来てくれた従姉は翌朝6時から仕事だし、今は、自宅で、96歳の義母(目もほとんど見えてない)の面倒を見ていて、旦那さん一人だと大変だから帰らないといけないと言う事で、帰路へ。

 

看護師さんには、私達がいたければ、最初に通された待合室をずっと使ってくれてていいからねとは言ってもらったけど、私達が何度も部屋へ行ったり来たりするとやはりママもゆっくり休めないだろうし、ここにいてももう何もできる事はないから、最後のお別れはできたから、もう家に帰ると。

もしも翌日にもまだ頑張っていれば、又、翌日会いに来ると。

それで、一応、できる限り、痛みを取り除いて、静かに眠れる様にするとの事で、モルヒネを使って、痛みを軽減してくれており、私達が帰る時には、目を閉じて、眠りに入ってました。

 

家に帰る途中、メッセージを送っておいたステップマザーが心配して電話してきたので、今、家に向かってるところだから、少し寄るねと言う事で、ステップマザーの家に寄って、状況を説明して家に帰ってきたら、それから数分で、ママが息を引き取ったと病院から電話がありました。

22時前でした。

 

(庭のブルーベルが咲き始めました)

 

今のコロナは、ほとんどの人が悪化しないからと早々と規制もなくなっているイギリスですが、やはり高齢者や疾患のある人にとっては、まだまだコロナは悪化するし、急変するし、恐ろしいウィルスだと言う事。

脳溢血で倒れてから、35年、何度も厳しい状況になりながらも回復していたママでしたが、今回ばかりは、コロナには勝てませんでした。

(ケアホーム生活だったので、ワクチン接種は、受けていました。)

この2年間、コロナにも感染せずに、穏やかに過ごしていたのに、最後の最後に感染してしまったのが悔しいです。

 

ただ、ママは既に認知症を患っており、この2年は、なかなか会えず、会っても話がかみ合わない事も多々あり、ある意味、ボンにとっては、既にママを亡くした様な気持ちでもあったので、今回は、最後にちゃんとお別れもできて、覚悟はできてたからと思ってたよりも元気にしております。

 

まだ、何からどう手を付けていいのかよくわからない状況ですが、これから、しばらくお葬式手配や諸手続き等徐々に済ませて行く事になりそうです。

 

(ローズマリーも花が咲いています)

 

そんな訳でしばらくブログはお休みします。

落ち着いたら、又、皆さんのブログにも遊びに行きますね。