小林麻美 雨音はショパンの調べ「松任谷由実の歌詞が最高!」 | 映画と音楽のある生活

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 小林麻美さんは、CMタレントというイメージが強い人だ。確か若い頃、ライオンのCMに出ていたと思う。

 18歳で歌手デビューし、同期には麻丘めぐみや五十嵐淳子(現中村雅俊夫人)がいたらしいけど、ブレイクしなかった。当時のアイドル歌手は、常に笑顔で「よろしくお願いしまーす!」と健康的なノリが必要だったけど、そういうことが出来ない人だった様です。

 ウィキペディアで調べると、中学生の時に一人で「ローズマリーの赤ちゃん」を見に行った時にスカウトされたとのこと。確かに、一人で「ローズマリーの赤ちゃん」=ホラー映画を見る中学生というのは少し変わっていると思う。

 その後、歌手としては自然消滅してモデルとして化粧品のCM等に出演しています。そして1984年に出したのがこの曲です。

 知人の松任谷由実が作詞したそうですが、やっぱりユーミンは凄いと思う。原曲であるガゼボの「アイライク・ショパン」をタイトルも「私の好きなショパン」とか、ちょっとひねって「私の愛したショパン」ではなく「雨音はショパンの調べ」とした。単純に原曲を訳すことはせず、「雨音」=「ピアノの調べ」とし曲のイメージを膨らませている。

 たとえば、「ユートゥ・セイ アイライク・ショパン」の部分は「止めて、そのショパン」だし、サビの「レイニーディ・ネバーセイ・グッバイ」は、「レイニーディ。断ち切れず、窓を叩かないで」とし、続けて「気休めは、麻薬。AH」と麻美嬢を悶えさせて歌わせている。

 結果、歌手小林麻美の最大のヒット曲となったが、一度もTVで歌唱することはなかった。理由はサビの「麻薬」の部分がドラッグ賛美につながるとNHKが放送禁止にしたことと、彼女の事務所が女優の仕事しか受けていなかったので、依頼がなかったらしい。本人は後に「私はTVに出て歌いたかったのよ。」とラジオ番組で言ったそうだ。(引用ウィキペディア)是非、彼女が歌っている姿を見たかったけど、残念なことだ。