こんにちは、マケイ美由紀です。

 

唐突ですが、

英語で「大黒柱」ってなんていうか

ご存知ですか?

 

ぜんぜん知らなくても

いいことなんですが笑

 

「Bread-winner」って言うんです。

食卓に欠かせないパンを

勝ち取ってきてくれる人!

 

なるほど、ですよね。

言語って面白い^^

 

で、私はこれをしばらくの間

「Bead-owner」

だと思い込んでいました。

 

会話の中で

「私が大黒柱なの!」

と言うつもりが

「パン持ってるの!」

と言ってたんですね爆  笑

恥ずかしい〜・・・

 

思い込みって怖い・・・

 

 

さて、

本日はそんな誰もが持ちうる

「思い込み」について。

 

有名なお話ですが、

「つながれた象」ご存知ですか?

 

サーカスで幼いころから

鎖で繋がれていた象のお話です。

 

小さな体で

何度も逃げようとするけれど

杭はなかなか抜けません。

 

そして

やがて逃げようとすることを

やめてしまう象。

 

大きくなってからも

以前よりもずっと

力強くなっているのに

それでも逃げようとしない。

 

幼いころに

できなかったことから

「逃げられない」

「杭は抜けない」と

思い込んでいるから

もはや逃げようともしない

というお話。

 

悲しいですよね。

あんなに大きくて力強いのに、

心がその力そのものを

封印してしまっているんです。

 

 

リスクから

自分を守ろうとするのは

人間の本能。

 

「頑張ったのにダメだった」

という辛く悲しい記憶は、

当然この象がそうしたように

「挑戦することをやめて

自分を守ろう」

と働きます。

 

私は

幼いころから

褒められた記憶があまりありません。

 

怒られた記憶はたくさんあるんです。

そのせいか、

自分を褒めることも苦手で、

褒められるのも苦手。

 

幼い頃の記憶で

とても鮮明に

覚えている出来事があります。

 

叱られた記憶です。

 

3才頃保育園の床に、

黒いクレヨンで

自分の名前書きました。

 

自分の名前が書けるようになって

とっても嬉しい時でした。

誰かに見せたくて、

褒めて欲しかった私。

 

得意げに、大きく書きました。

 

当然といえば、当然

先生はカンカンでした・・・。

 

もともと

怖〜い先生だったのですが、

かなりこっぴどく叱られました。

 

悲しいよりも

とても悔かった・・・

 

ささやかな反抗から

小さな私は

雑巾ではなく自分のハンカチで

せっかく書いた

自分の名前を拭きました。

 

真っ黒になったハンカチ。

 

せっかく書いたのに。

お名前かけたのに怒られた。

〇〇先生、嫌い!

 

幼い私の無言の反抗。

 

今思うと、この小さな反抗が

とても愛おしい。

 

怖い先生よりも

ずっと、

自分を信じて

守ろうとしていた小さな私。

 

それなのに

叱られる経験を重ねて

「自分を信じる自分」

「私は間違ってない」と

そう思える自分が

どんどん

小さくなってしまっていました。

 

大人になってからは、

誰かに叱られる前に

自分でしっかり

自分を叱る癖がついていました。

 

感情は

記憶に少なからず

影響されるもの。

 

だからこそ

忘れてはいけないのが

「感じていること」と

事実が違うことだって

あるということ。

 

つながれた象も、

「逃げようとしても無理」と

過去の経験から

思い込んでしまったために

行こうと思えばどこにでも行ける

大きくて強い体があっても

逃げることができなかった。

 

厳密には、

逃げることを「しなかった」。

 

でも

大きく成長した象にとって

「どうせできない」という思いと

事実は違いますよね。

 

思い込みという、鎖。

 

「どうせ無理」

そんな思いが過ぎること

ありませんか?

 

この鎖に繫がれて

新しい世界に踏み込むチャンスを

逃さないで欲しいんです。

 

新しいことには

不安がつきものですよね。

 

私も

ブログを始めるの

正直勇気が要りました。

 

自分のこと、本当に

話せるの?という不安や

「私には無理・・・」という

思い込みもありました。

 

でも

始める前が一番怖くて

踏み出してみたら

なんとかなりました^^

 

まずはやってみる。

そしたら案外できちゃった。

その繰り返しです。

 

出来栄えが良くないとか

予定通りに進まなかったとか

クオリティが・・・とか

それはさておき。

 

やってみた。

1歩踏み出すことができた。

 

もうそれだけで

以前とは違う場所に

あなたは立ってます。

 

「無理かもしれない」

「怖いからやめておこう」

 

いつの間にか

自分をつないでしまっている

「思い込み」という鎖。

 

思い切って一歩踏み出したら

あっさりその鎖は

切れてしまうかもしれませんよ^^

 

 

こんにちは、マケイ美由紀です。

 

「頑張らなくちゃ」

というマインドに支配されて

最愛のパートナーにすら

打ち明けられない

悩みを抱えながら

立ちどまれずに

走り続けていた私。

 

前回までのストーリーで

たっぷりと

お話させて頂きました。

 

↓詳しくはこちら。

 

ここからは家族が増えます。

 

そして

人生の転機ともいえる

出来事がいくつかありました。

 

私自身の

「リセット」とも言える

エピソードたちが詰まっています。

 

またお付き合いくださいませ。

 

 2度のリセット

 

私も私の主人も繊細さんで

周りの目が

とても気になるタイプです。

 

主人は特にシャイで

ゲームと映画をこよなく愛す

超内向的なイギリス人。

 

時にストレスを感じながらも

支え合いながら迎えた

日本での暮らし。

 

5年目を迎え

私たち夫婦に

長女が誕生しました。

 

初産でしたし親の希望もあり

出産は岩手の実家で。

主人は毎週末6〜7時間かけて

私達に会いに通ってくれました。

 

初めての育児

ここでも

「頑張らなくちゃ」

「できなくてはいけない」

そんなマインドが

私をぐいぐいと

引っ張っていきます。

 

 

母乳育児がんばらなくちゃ。

泣いたらすぐに

抱っこしてあげなくちゃ。

茨城に戻ったら

全部1人でするんだから

実家で甘えることに

慣れてはダメ。

 

今思うと

どうしてそこまで自分を

追い詰めていたのか

本当に切なくなりますが

当時はそうするのが

「当たり前」でした。

 

幸運なことに

茨城では家の近くに

育児支援センターがあり

ママ友との出会いの場には

とても恵まれ、

先輩ママさん達にも

助けて頂きながら

娘はすくすく育っていきました。

 

そして

間も無く育休から職場復帰

という時に起こったのが

あの東日本大震災。

 

運転中に強い揺れを感じ

帰路を急ぐと、

アパート沿いの道路が

地割れしていて

水道管からは激しく水が

吹き出していました。

 

慌てて娘の身の回り品を掴んで

避難所の小学校へ。

 

主人となんとか落ち合い

数日避難所での夜を過ごしました。

 

余震が続き断水中の日々

偶然にも主人の故郷イギリスに

里帰りが決まっていたので

震災の1週間後3月17日、

家族3人逃げるように渡英。

 

それがイギリスに住むことになった

きっかけです。

 

何かがリセットされた時。

 

今思い返すと

そんな風に感じます。

 

地震に慣れている日本人にすら

衝撃的だったあの震災は

イギリス人の主人にとって

大きなトラウマとなり、

渡英後もパニック発作に

襲われるようになりました。

 

出かけることもままならず

主人が家で娘を見てくれる中

私が働き家族を支えることに。

 

この頃だったと思います。

初めて

部分的ではあったけれど

私は自分の過食について

主人に打ち明けました。

 

避難することも、

軽蔑することもなく

主人はただ

「もしそういう衝動に駆られたら

ちゃんと言って」

そう言ってくれたのを覚えています。

 

それでも

そう言ってくれた主人に黙って

過食を繰り返してしまうことが

何度かありました。

 

そんな状況で

一家の大黒柱として

頑張り続ける自分。

 

職場の上司にも同僚にも恵まれ

仕事も楽しかったので

昇進を何度か繰り返し

幸運にもエリア責任者まで

抜擢されることができました。

 

そして2016年には

待望の次女を授かり

イギリスに来てから7年目の春に

私たちは家族4人になりました。

 

 

ところが産休から戻ってから、

私のオフィスライフが一変します。

当時職場には日本人が私を含め5人。

 

そのうち最も社歴の長い

女性スタッフを中心に

日本人スタッフ数人による

いじめが始まりました。

 

何をやっても否定され、

事実を曲げて伝えられる話。

 

ことあるごとに送られてくる

長文の非難メール。

 

育休明けで

以前のような仕事ができない中

どんどん萎縮していく私。

 

過食症に、うつ状態が加わり

感情のコントロールもできない。

 

不安で

自分が価値のない存在に思えて

このまま消えてしまいたいと

思ったこともありました。

 

子どもたちも

主人も

私がいない方がきっと幸せだ

と。

 

「頑張らなくちゃ」

と思ってきた私は

「もう頑張れない」ところまで

追い込まれていました。

 

そこで初めて

「助けを求めること」を

決めたんです。

 

カウンセリングから

4ヶ月間ほどの待機期間を経て

CBT(認知行動療法)が始まりました。

 

セラピーを受けている期間も

いじめは続いていましたが

セラピストとの時間のお陰で

少しずつ私は変わり始めていました。


7回ほどのセラピーを終え

あれほどまでに

生涯付き合っていくしかないと

思っていた過食が止められ

職場でのいじめもやり流すことが

できていた頃。

 

なんと

会社からのリストラ通告が。

 


2度目のリセットボタンが

ここで押されました。

 

辞めたいのに辞められない

逃げたいのに逃げられない。

 

そんな私を見かねて、

「もういいんじゃない?」と
リストラが背中を押してくれた

そんな気がしました。

 

しがみついていた仕事は

私にとって「本当に必要なもの」

ではなくて、

 

一生付き合っていかなければ

いけないと思っていた摂食障害は

助けを求め

治療を受けることで

克服することができました。

 

 

そして今の私は

「程々に頑張る」ことができて

「ひとりではない」ことを理解し

「こうあるべき」はそうとも限らない

そうじゃなくてもいい。

 

そんなふうに思うことが

できています。

 

長々と書かせて頂いた

このストーリーたち。

 

もし今、

「孤独な頑張り」

を続けている方に届いて

 

「現状は変えられる」

「変えられるのかもしれない」

 

そんな勇気の種を撒くことができたら

こんなに幸せなことはありません。

 

 

ご覧頂き本当にありがとうございました。

 

こんにちは、マケイ美由紀です。

 

これまで幼い頃から大学卒業、そして結婚まで

「孤独な頑張り」を続けてきた私について

お話させていただきました。


↓詳しくはこちらから。

 

この「孤独な頑張り」、

一体いつまで続くのか?

結婚したからもうすぐ終わのかな?

 

と思いきや。

 

それが、まだもうしばらく続きます。

ここから10年くらいが山でした。

 

でも、

その状態を選んでいたのは

自分以外の誰でもなかったんですよね。

 

主人というパートナーを得てからも

目まぐるしく変化した約15年の月日。

 

今回は2人での生活が始まった頃の巻。

 

それではまた、お付き合いください。

 

 

 新たな環境、新たなストレス

 

イギリスにいた婚約期間中、

私は保育士として働き、

主人は大学を卒業し、

日本で就職するために就職活動中でした。

 

晴れて採用が決まったのは、

茨城県の田舎の英会話スクール。

 

 

それまで家族の家を行き来する

居候生活に終止符を打てる!

ついに2人での自由な生活が始まる!

とワクワクしかない時期でした。

 

住むことになった地域は

のんびりとした田舎町でしたが、

なぜか外国人人口が多くて、

ホームパーティを好きで開いてくれる

家庭もあったりと

アメリカ、オーストラリア、

イタリア、ブラジルなどなど、

国際色豊か!

 

当時は日本の暮らしがとにかく新鮮で

私も主人も自由を満喫していたように

思います。

まさにハネムーンピリオドでした。

 

そんな暮らしにも慣れてきた頃。

大好きな日本とはいえ、異文化です。

さらに、国際色豊かな友好関係は

内向的な主人にとっては過度の

ストレスになっていました。

 

追い討ちをかけたのは職場の研修のための

視察でした。

 

人前でスピーチをするのが大嫌いの主人は

定期的にあるこの視察のたびに

かなりのストレス、不安に襲われ

そのことが頭から離れない状態が続きました。

 

思い切って探しあてた近くの精神科に

連れて行ったことがあります。


でも、そのクリニックから出てきた私たちは

後悔でいっぱいでした。

 

先生は男性で、私たちの話を聞く前から

「鬱」前提で話をし始めたことを覚えています。
主人はすでに拒否反応を示していました。

 

理解も誠意も感じられない冷たい雰囲気、
話も聞かずに一方的にレクチャーされた、

そんな気持ちでした。

 

通訳していた私自身、

自己嫌悪しか感じられない状態でした。

私のせいだ、と。

 

幸いにも、視察の時期が終わると

主人の気持ちもだいぶ楽になるので

時期的に落ち込んだり、

緊張状態はあるけれど、

慢性的なものではなかったのが救いでした。
 

この時も私の過食症は続いていて、

主人にも言えず、

自分は頑張れる。

1人で何とかする。

大丈夫。

と孤独な頑張りを夫婦になってからも

続けていました。

 

異国の地で、ストレスを抱えながら

頑張っている主人を

「しっかり支えないと」

「私がしっかりしないと」

という、

「頑張って自分の価値を確認したい」

そんなルールが私の背中をぐいぐいと

押し続けていた頃です。

 

周りから仕事の紹介を受けることが

多く、高校の臨時教員、地元の大手企業の

派遣社員、さらに正社員に登用してもらえたり

頑張りのお陰で生活自体は安定し、

「幸せ」を築けているように

感じていました。

 

そんな私たちにも、

新しい家族が。

 

まだ続くの?!

と自分でも戸惑い気味ですが・・・笑

 

次回にもう少し続きますね。

 

今回もご覧頂きありがとうございます!

 

 

こんにちは、マケイ美由紀です。

 

 

「孤独に頑張ること」をやめて、

「好きなこと、心惹かれるもの」に

正直に、心軽やかに、ゆったりと

過ごすことができるようになった現在の私。

 

これまでの記事では、

幼少期から高校時代まで

「ひとりで頑張ってばかりいた私」

のことをお話しさせて頂きました。

 

楽しい思い出ももちろんあります。

絵を描くことにを夢中になったり、

大好きな男の子もいました。

ベタですが、

お菓子作りを頑張ったこともあります。

 

でもやっぱり

「良い子でいること」に必死で

周りの目がどんどん気になっていった

そんな時期でもありました。


↓詳しくは、こちらから。

 

今回は生まれ育った岩手から旅立ち、

大学進学のために

「自由な」一人暮らしを始めた私の巻。

 

またお付き合いくださいませ・・・。

 

 

 自由で孤独な日々

 

今でこそだいぶ柔らかくなった父ですが、

かなり厳しく育てられたので

一人暮らしに対しては初め

「自由になれる!」というワクワクで

いっぱいでした。

 

でも、いざ引っ越して大学の入学式を終え、

母が実家に戻る時になると

急に不安と寂しさがこみ上げてきました。

 

母を見送ってアパートに戻る道のりは

まさに「孤独」。

 

知らない街、

知らない人々、

慣れない住まい、

何もかもが安心をくれない。

 

そんな環境をやっと実感して

その夜は早くも

ホームシックになっていました。

 

 

大学生活が始まり、私がまずやったのは

「バイト探し」。

ここでも

「親に出来るだけ迷惑をかけないように」

という意識が働いていたんですね。

 

 

早くバイトしなくちゃ!

そんな思いでもらったチラシで見た

「生鮮食品店でお手伝い」

という時給1,000円のバイトに目が止まり、

早速応募。

 

 

私の頭の中では

「フルーツとか売ってるのかな」

というイメージで、時給もいいし

軽い気持ちで応募したところ、

すぐ面接が決まりました。

 

 

ウキウキしながら行ってみると、

そこは・・・、

 

なんと・・・、

 

魚屋さんでしたびっくり

 

 

今はなかなか見られなくなった

お魚専門店です。

ゴム長靴を履いて、

ゴムのエプロンをしたおじさんが

お魚を捌いている中、社長が迎えてくれ

早速面接へ。

 

 

内心「どうしよう・・・」

と思いつつも、

これが江戸っ子なの?

と思わせる勢いのいい社長の口調に

すっかり圧倒されて、

気がつけば採用笑。

 

勘違いから始まったバイトでしたが

とにかく居心地が良くて、

結局3年間お世話になりました笑

 

 

さらに、

「魚屋でバイトをしている女子大生」

なんてかなり希少です。

 

サークルやクラスでも

「魚屋さん」と覚えてもらえたり

結構話が広がるんですよね。

 

少しずつ活動範囲が広がり

友達もできて、少しずつ孤独が

薄れていくように思えたのですが、

 

それでも

「いい子でいなければいけない」

というルールは

魚屋さんでも発動していて

社長や社長の奥さん、

スタッフのおじさんたちの前では、

「いい子」

「頑張る子」

「真面目な子」

であろうといつも頑張っていました。

 

幼い頃に決めたルールに、

場所が変わっても、

環境が変わっても、

相手が変わっても

従うことがやめられなかったんです。

 

そして、

過食症も一人暮らしになると

制限が効かなくなります。

食べては吐く、その頻度が

どんどん増していきました。

 

その度に孤独感はまた舞い戻ってくる。

 

誰にも言えない。

止めることもできない。

「生活の一部」

と化してしまっていました。

 

 

バイト先では常連さんたちにも

とても良くして頂き、

差し入れを頂くことも。

 

小柄な私がたくさん食べると

みんな喜んでくれるんです。

社長も、奥さんも、おじさんたちも、

常連さんたちも、

みんな。

 

大学でも同じ。

 

どこに行っても、たくさん食べることで、

自分の存在をアピール。

 

無理をして、

頑張って、

自分の体によくないことを繰り返しながら

「人の目」ばかりを気にしていました。

 

そんな日々が続き、大学もあっという間に

4年が過ぎて卒業を迎えます。

 

当時、語学や早期教育に興味があり、

将来は子どもたちに英語を教えたい・・・

と思っていたので、

卒業後1年間アメリカへのインターンに

いくことを決めました。

 

日本人がいないような田舎の小学校で

日本語や日本文化を教えるというプログラム。

 

また見知らぬ町で、見知らぬ人々の元へ。

孤独を感じながら、周りの期待に応えようと

頑張る日々をゼロから開始。

 

さらに、

1年後帰国後またゼロからスタート。

知らない土地で

知らない人と

転勤族だったので住み慣れたと思ったら

すぐ引っ越し、その繰り返しの日々。

 

「自由」だけど、

誰にも言えない悩みを抱えたまま

「孤独」な日々。

 

もちろん素敵な出会いもあって

楽しい時間や、心に残る大切な思い出も

数え切れないほどありました。

 

それでも、

頑張っていないと襲ってくる不安

そのくせ、どんなに頑張っても

舞い戻ってくる孤独感、

満たされない心。

 

知らない土地での幾度とない再スタートは

自分を満たしてくれる何かを

無意識に探していたのかもしれません。

 

 

そんな時に勤め先スクールの先生に紹介され

知り合ったのが今の主人でした。

 

 

当時彼はイギリスにいて、大学で

日本の映画の勉強をしている学生さん。

当時ネット環境も良くなかったので

情報がなかなか手に入らず苦労しているとか。

 

そんなわけでメールのやりとりが始まり、

たまに電話をするようになって、

やがてお互いイギリス、

日本を行き来して、

1年半ほどの婚約期間を経て、結婚。

 

 

ここからまた濃い人生が始まります。

というわけでまた次回、

じっくりと

お話させていただきます。

 

今回も、最後までご覧頂きありがとうございます。

 

こんにちは、マケイ美由紀です。

 

「孤独に頑張ること」をやめて、

「好きなこと、心惹かれるもの」を大切にしながら

心軽やかに、ゆったりとした日々を過ごすことが

できている私ですが、

 

過去はどこまでも疲弊して、

孤独感に苛まれ、

それでも頑張ることをやめられない。

そんな人生を過ごしてきました。

 

前回は幼い頃のお話をさせて頂きました。


↓詳しくは、こちらから。

 

 

いかがでしたか?

昭和の香りがするストーリー笑?

 

今となっては懐かしくも

切ないエピソードたち。

 

でも思い返すとさらに

今の自分を尊く、愛おしく感じさせてくれます。

 

今回は高校生からのとっても多感な時期のお話です。

 

 

 コンプレックスの塊の私

 

美人の姉と可愛い妹の間で

頑張ることで自分の価値を

生み出そうとしていた幼い頃。

 

そして学校では気が進まないリーダーを

やらされ続け、やっぱり「良い子」「優等生」

でなければいけなかった小中学生時代。

 

もともとたくさん食べることができず、

無理して食べることもあった私ですが、

思春期にはむしろポッチャリ体系になって

体型へのコンプレックスも大きくなっていました。

 

顔も、

髪の毛も、

体型も、

外見全てに劣等感を抱くようになっていました。

 

進学した先は地元でもなのある進学校で、

「大学に進学するために」両親と中学の担任からの

進めで決めた高校でした。

 

本当は、芸術科のある高校にいきたかったんです。

幼い頃から絵を描くことに没頭し、

漫画家やイラストレーターになりたかったので。

 

でも電車で2時間弱もかかる高校に、

親に迷惑をかけてまで行きたい、と

当時の私には言えませんでした。

 

「良い子」であることを優先したんですね。

 

進学校ということで、

勉強ができる生徒が集まってきている学校で

私はどんどん「優等生ではない」という自覚を

深めていきます。

 

成績順も中学までのように上位を取ることは

どんどん難しくなりました。

 

そして自分の体型へのコンプレックスがますます

大きくなっていったのもこの頃です。

 

制服を色々アレンジして着るのって、今も昔も

変わらないですが(笑)、

当時はスカートを膝上にして、

みんながみんな、懐かしのルーズソックスを

履いていた時期。

 

「足が太いから似合わない・・・」

と制服が本当に嫌いでした・・・。

 

高校でもバレー部に所属して、先輩からは可愛がられ、

同学年のチームメイトにも恵まれて

部活は楽しむことができていたものの、

顧問の先生は高さ重視。

しかも理系で寄り添う、とか歩み寄るという言葉を

していても使わなそうな頭の固い先生でした。

 

いくらレシーブができても、ジャンプ力を伸ばしても

身長の高い友人たちがどんどんスタメン入り。

私はボール拾いでレギュラーからは外れてばかり。

 

「良い子でいたい」

「頑張って自分の価値を確認したい」

そうして頑張っても頑張っても

上がらない成績順位、

部活での無力感。

 

この頃、私の「摂食障害」との長い付き合いが

始まりました。

 

たくさん食べることは私にとって「価値あること」

でもたくさん食べるとどんどん太ってしまう。

 

こんな矛盾の間で「食べては吐く」という行為に

少しずつ依存してしまうようになりました。

 

勉強も、部活も、

恋愛も(大好きな男の子はいましたが!)

不完全燃焼で、

 

「孤独な頑張り」にさらに拍車がかかった高校時代。

そんな中でも、神様がみてくれていたのか(?)

幸運にも有名私立大学の推薦で声がかかり、

晴れて大学へと進学することになります。

 

正直私立の大学に行くなんて

「親に迷惑がかかるから無理」と思っていた私ですが、

この進学に関しては親が喜んでくれたので

ありがたく行かせてもらうことになったわけです。

 

次回は大学〜社会人編の様々なアップダウンを

お話しさせてくださいね。

 

今回も、最後まで読んで頂き本当にありがとうございました。