私が中学生の頃に一番聴いていた音楽はかぐや姫だ。
アコースティックギターを手にして、ギターで弾ける曲を探していたらたまたまフォークソング特集のテレビを見たりして自然と聴くようになった。
さて、かぐや姫が活動していた時期は1970年代前半である。それからもう50年。
時代は大きく変わり、当時の歌詞の世界が離れるように遠くなってしまったが、どうしてか心に響くものがある。
そんなフォークソングの素晴らしさを少しでもお伝えできればと思う。
聴いたことがない方は是非聴いてみていただければ幸いである。
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今回はかぐや姫の「赤ちょうちん」という曲を紹介したい。
「赤ちょうちん」
作詞:喜多條忠
作曲:南こうせつ
リリース:1974年1月10日
私のこの曲のおすすめポイントは「こんなに情景が浮かぶ曲はない」
ちなみに、この作詞作曲のコンビは名曲が多い。
いずれまたこのコーナーで必ず出てくるだろう。
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二人の男女が別れてしまう曲で、女性の視点で描かれる情景溢れる回想の切なさがこの曲の真骨頂である。
まず1番は、とても貧しい暮らしが描かれている。
出てくるのは裸電球。今ではあまり見られなく現代だとLEDになるだろうか。
そして、寒い夜にはおでんをたくさん買い、月に一度贅沢としてお酒もちょっぴり飲んだわね、と女性の視点での回想がなされる。
ここで、赤ちょうちんに誘われてとある。
リリースされたのが1月ということもあり、寒いという時期的なものもリンクしてくる。
月に一度の贅沢というのは給料日だろうか。
その「月に一度」を一体この二人は何度過ごしたのだろうか。
この時代の時間の流れは早かったのか遅かったのか想像にすぎないが、娯楽も今よりは少ないだろうし数少ない楽しみの一つだったと思われる。週に一度ではなく月に一度のこの日を強く覚えているのだろう。背景を思うととても切ない。
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2番ではついに別れがきてしまう。テーマは「雨」だ。
雨が続くと仕事ができなかったようだ。雨だと仕事ができないのは、、土木関係だろうか。
収入も少なくなったのだろう、キャベツばかりを食べていた。
スーパーなどでもキャベツは安く量も多いため、この部分は現代でも通じるかもしれない。
そして、別れた夜は雨だった。
公衆電話の箱の中で泣いたとある。
どうして別れてしまったのかは明確ではないが、公衆電話ということは電話で話をしたのだろう。携帯電話もない時代、かけたのは女性。面と向かって話ができなかったのだろうか、二人で暮らしていたアパートを抜け出し公衆電話から別れを告げたと考える。
現代の話だとバイトを続けながらバンドで売れることを夢見ている。そんな男性像が浮かぶ。当時の職業事情は定かではないが、おそらく似たような状況で女性は応援したい気持ちもありつつ自分の幸せを求めたのかもしれない。
生きてることはただそれだけで哀しいことだと知りました。
と2番は締めている。「哀しい」というのは「寂しい」という意味も含むようだ。
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そして私がこの曲で一番情景が浮かぶ部分、それがラストである。
別れてからどれくらい経ったのだろうか、女性は今でも時々思い出す。
2番のテーマでもある「雨」そんな雨が降っている夜。
あの人とおでんを買い、お酒も飲んだ「赤ちょうちん」を見ると、あの人がいるような気がする。
背中丸めてサンダルはいて
ひとりでいるような気がします
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外から見えるということはどこかの屋台で、のれんで頭までは見えないが背中から足までは見える。さて、そんな情景があなたにも浮かんだだろうか。
ちなみに私は現実で実際にそんな景色を見たことがない。
それでも容易にイメージできてしまうのがこの曲の素晴らしい点ではないか。
ちなみに男性と死別という可能性も考えたが、話の辻褄を合わせるのが難しいのと希望として可能性はないと考えたい。
(※以上、一個人の感想と見解です。公式の発表や作者の意図との相違があるかと存じますが、ご了承願います。)
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おすすめは、かぐや姫が2000年に再結成した時のこのライブだ。
ラストの入りは音源ではパーカッションが入っているが、ライブだと音数が少なくなっており、そちらの方が好きだ。
最後の部分、こうせつが遠くを見ながら歌うカメラアングルがとても良い。
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改めて歌詞を見直してみてわかることは、現代の曲に比べて言葉数が少ないことだ。
だからこそ想像の範囲が広がり、たくさんの人に当てはまるのだと思う。
音楽は時代と共に変化しており、歌詞の多い少ないは問題ではない。
現代は現代の「赤ちょうちん」のような曲があるはずだ。
さて、思いの外言葉が多くなってしまったこの記事だが、少しでも興味を持っていただければ幸いである。
まだまだ50年経っても色褪せない、紹介したい曲がたくさんある。
taji