職場の近くに越してきてからというもの、滅多に街中に行かなくなった。

それを望んで選択したので、不満は全くない。

 

先日、地下鉄で街中に行った時に思ったことだが、地下鉄に乗るのにマスクが必須になったかのような状況だった。(ちなみに、私はマスクを装着していた。)

 

マスクをしていない人が乗ってこようものなら、視線と無言のプレッシャーが襲いかかったに違いない。

 

そして、街中も本当にここは札幌なのかと目を疑うほど異様に人が少なかった。

大学生や音楽活動をしている時に、毎日のように過ごしていた大通公園付近も当時からは想像できないほど、人がまばらだった。

 

晴れていて明るい青空が見えている世界とは裏腹に、私もここに来たのが間違いだったのでは、と思うほどの空気が漂っているのを感じた。

 

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インフルエンザの流行にも多少影響したのだろうか。

 

札幌市が公表しているインフルエンザの報告数を見ると、爆発的に増えた昨年よりも今年は圧倒的に少ない。

 

インフルエンザ(定点あたり報告数、各区別報告数)

 

この低下の原因の一つが、市民の多くがマスクを使用したことによるのであれば今後の感染予防対策に繋がるだろう。

 

来年、2021年の冬はまたマスク需要が高まりそうである。

 

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一方、札幌のミュージシャンはライブを自粛、延期を次々に決定している。

自分のライブで集団感染などが起こってしまってはもってのほかである、避けられるなら避けたいという状況だろう。

 

そんな私も5月の後半に予定していたライブを延期とした。

 

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今回の外出自粛により、人がいないと成り立たないビジネスが浮き彫りになった。

私も他人事ではないし、今はそうではなくてもふとしたことで状況が変わる恐れがあるのだと実感した。

しかし、先日の人がまばらな大通公園付近の様子は、人口が減少した近い将来の風景に見えてしまった。それは自分自身の目でいつか確かめようと思う。

 

卒業式、入学式の中止もまだまだ影響している。

一刻も早い終息を願うばかりだが、そう言っている間にも時間は過ぎている。

 

本州では桜が開花しているようだし、延期なのか中止なのか揺れているオリンピックも間近に迫って来た。

 

札幌で桜が見られるのはまだ1ヶ月後くらいだろうか。

その頃にはこの騒動が終息する見通しが少しでも立っていることを願う。

 

(2019年、5月撮影)

 

今年も穏やかな日に、桜を撮影できればと思う。

 

 

taji

皆さんは「チョコ」は好きだろうか。

 

タイトル通り、私はやっと少し良さがわかってきた気がする。

 

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私の考えは人とは若干ずれているのは重々承知している。

正直、チョコを美味しいと思って食べたことがなかった。

味覚として「甘い」と思うくらいだった。

 

そしてチョコを食べるときは「糖分を摂取して、脳に栄養を。」というなんとも合理的かつ、センスのないキャッチフレーズのような理由だったと思う。

 

周りの人たちの中にはチョコが好きでそれだけあればいい、という人がいたり、チョコだったらいつまでも食べていられる。という人もいた。

 

そんな私だが、先日のウイスキーのように何かが降りてきた。

「チョコを食べたい」

 

もちろん仕事帰りにスーパーに寄り、いつも寄ることのないお菓子コーナーに向かう。

いつもは寄らないが、子供の頃はそこがメインである。その頃に植えつけられたDNAにより迷いなくチョココーナーにたどり着く。

 

 

個人的にチョコにしてもお菓子にしても「甘すぎる」のは苦手なため、ビターのものをチョイスして購入して帰宅した。

 

どうしてそう思ったのかはわからないが、食べたくなったということは何かしら自分の中で昇華された感情なので尊重することする。

 

一口、口にする。「美味しい」

私の中の考えが少しだけ変わった瞬間だった。

 

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だからと言って、生活必需品になり、一口食べたら元気が溢れ出る、というレベルまでは達していない。

量も板チョコは多すぎるし、一口タイプでも1枚食べれば充分だ。

 

コーヒーも好きな私だが、この2つが素晴らしいハーモニーを奏でる、と思っているわけでもない。

 

ただ、単純に「チョコって美味しいな」と思えるようになってきた。

 

一方的な主張が受け入れられないように、私も少し控えめな存在を主張してくるくらいのものがいい。ちょうどいいのは、パルムの周りのコーティング部分くらいの主張である。

 

そんな30歳の日々を、ここに残す。

 

 

taji

 

ジャックダニエル オリジナルシングルバレル 

Jack Daniel's Single Barrel No. 4372 Stillman's select

 

お酒の中ではウイスキーをよく飲む。

醸造酒である、ビール、ワイン、日本酒はかなり悪い酔い方をしてしまうためウイスキーのような蒸留酒をよく飲んでいる。

 

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無意識の憧れがあったのかもしれない、私がウイスキーを飲むようになったのは突然だった。

ある夏の仕事中、終業までわずかになった。

突然、ふと思い立ったかのように「ウイスキーを飲みたい」と頭に降りてきた。

 

ちなみに、この時ウイスキーは飲んだことがない。

普段は特段お酒を飲むことが少ないし、日本酒で一度えらい目にあってから飲酒自体避けている気持ちもあった。

 

しかし、それ以上に頭の中でいくつもの点が繋がったようにそれが意思となって訴えてきた。ウイスキーを飲みたい。

 

その日、ポケットサイズのJIM BEAMを買って帰った。これが始まりだ。

 

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さて、そこからウイスキーもたくさんの種類があるが最初に飲んだのがJIM BEAMで良かったという結論になる。

 

世界5大ウイスキーの産地は以下の通り。

  • スコットランド:スコッチウイスキー
  • アイルランド:アイリッシュウイスキー
  • アメリカ:アメリカンウイスキー(バーボン)
  • カナダ:カナディアンウイスキー
  • 日本:ジャパニーズウイスキー

この中では私はアメリカンウイスキーが好みだ。

大きな違いは原料である。大麦麦芽(モルト)かトウモロコシ(グレーン)と区別しよう。

 

おそらく、ウイスキー好きな方の大半が好む「スモーキー」な風味が私は少し苦手だった。

最初に飲んだJIM BEAMはアメリカンウイスキーで主原料はトウモロコシだ。

友人やウイスキー好きな後輩からスコッチウイスキーをいただいたこともあるが、やはり好きなのはバーボンだった。

 

そこからアメリカン繋がりで、トップの写真の[Jack Daniel's]にたどり着いたわけである。

 

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写真の1本だが、少し高価である。

というのも、毎年本数限定で作られるシリーズだからだ。

種類はいくつかあるが、その中でも甘みが強いものをチョイスした。

 

2018年は奮発して最上級の1本を購入した。

個人的な感想だが、確かにウイスキーとして評価するとバランスが取れた味わいだった。ゆえに、私が求めている「スモーキーさとの分離」という面は弱く感じられてしまった。

 

そんなこともあり、今回は甘さに特化した1本を購入してみた。

 

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こうした嗜好品は少し良いものを。と思っている。

 

ウイスキーが似合う、渋いおじさんになりたいというのが小さな目標だったりする。

 

 

taji

東京都と群馬県で大雪警報 Yahoo!ニュース

 

本日のことだそうだ。

普段雪が少ない東京の皆様、お気をつけください。

 

そんなことを言っている札幌も「災害」と言われているくらい今シーズンは雪が少ない。

例年はそうは言っていても気づいたら積もっていることがほとんどだが、気づいても積もっていないため本当に降雪量が少ないのだろう。

 

これから冬の中で最も気温が下がる日々が来て、積もっても雪が溶けないため減らない。

食べても食べても減らない、そんな感覚である。

 

3月になれば春の兆しがあり、それまで積もった雪が少しずつ溶け始める。

気温が上がっているため、降ったとしても溶ける。

冬が終わりに向かっている、と感じられるのはその時期まで待たなければならない。

 

(美瑛の青い池ライトアップ)

 

水が凍り、雪が積もった池が青くライトアップされた幻想的な空間である。

札幌よりも気温が低い真冬の美瑛、しかも夜に凍えながら撮影した。

 

顔が痛いくらいの寒さというのは、淀みのない神聖な空気にすら感じる。

寒いという感情はありつつ、私があの空気が好きだ。

 

 

こんな景色がもし見られなくなったら・・・

 

雪が降らず「災害」と言われることは、北海道の場合ある意味間違っていないのかもしれない。

 

 

taji

私が中学生の頃に一番聴いていた音楽はかぐや姫だ。

アコースティックギターを手にして、ギターで弾ける曲を探していたらたまたまフォークソング特集のテレビを見たりして自然と聴くようになった。

 

さて、かぐや姫が活動していた時期は1970年代前半である。それからもう50年。

時代は大きく変わり、当時の歌詞の世界が離れるように遠くなってしまったが、どうしてか心に響くものがある。

そんなフォークソングの素晴らしさを少しでもお伝えできればと思う。

 

聴いたことがない方は是非聴いてみていただければ幸いである。

 

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今回はかぐや姫の「赤ちょうちん」という曲を紹介したい。

「赤ちょうちん」

作詞:喜多條忠

作曲:南こうせつ

リリース:1974年1月10日

 

私のこの曲のおすすめポイントは「こんなに情景が浮かぶ曲はない」

 

ちなみに、この作詞作曲のコンビは名曲が多い。

いずれまたこのコーナーで必ず出てくるだろう。

 

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二人の男女が別れてしまう曲で、女性の視点で描かれる情景溢れる回想の切なさがこの曲の真骨頂である。

 

まず1番は、とても貧しい暮らしが描かれている。

出てくるのは裸電球。今ではあまり見られなく現代だとLEDになるだろうか。

そして、寒い夜にはおでんをたくさん買い、月に一度贅沢としてお酒もちょっぴり飲んだわね、と女性の視点での回想がなされる。

ここで、赤ちょうちんに誘われてとある。

リリースされたのが1月ということもあり、寒いという時期的なものもリンクしてくる。

 

月に一度の贅沢というのは給料日だろうか。

その「月に一度」を一体この二人は何度過ごしたのだろうか。

 

この時代の時間の流れは早かったのか遅かったのか想像にすぎないが、娯楽も今よりは少ないだろうし数少ない楽しみの一つだったと思われる。週に一度ではなく月に一度のこの日を強く覚えているのだろう。背景を思うととても切ない。

 

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2番ではついに別れがきてしまう。テーマは「雨」だ。

雨が続くと仕事ができなかったようだ。雨だと仕事ができないのは、、土木関係だろうか。

収入も少なくなったのだろう、キャベツばかりを食べていた。

スーパーなどでもキャベツは安く量も多いため、この部分は現代でも通じるかもしれない。

 

そして、別れた夜は雨だった。

公衆電話の箱の中で泣いたとある。

 

どうして別れてしまったのかは明確ではないが、公衆電話ということは電話で話をしたのだろう。携帯電話もない時代、かけたのは女性。面と向かって話ができなかったのだろうか、二人で暮らしていたアパートを抜け出し公衆電話から別れを告げたと考える。

 

現代の話だとバイトを続けながらバンドで売れることを夢見ている。そんな男性像が浮かぶ。当時の職業事情は定かではないが、おそらく似たような状況で女性は応援したい気持ちもありつつ自分の幸せを求めたのかもしれない。

 

生きてることはただそれだけで哀しいことだと知りました。

と2番は締めている。「哀しい」というのは「寂しい」という意味も含むようだ。

 

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そして私がこの曲で一番情景が浮かぶ部分、それがラストである。

 

別れてからどれくらい経ったのだろうか、女性は今でも時々思い出す。

2番のテーマでもある「雨」そんな雨が降っている夜。

あの人とおでんを買い、お酒も飲んだ「赤ちょうちん」を見ると、あの人がいるような気がする。

 

背中丸めてサンダルはいて

ひとりでいるような気がします

 

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外から見えるということはどこかの屋台で、のれんで頭までは見えないが背中から足までは見える。さて、そんな情景があなたにも浮かんだだろうか。

 

ちなみに私は現実で実際にそんな景色を見たことがない。

それでも容易にイメージできてしまうのがこの曲の素晴らしい点ではないか。

 

ちなみに男性と死別という可能性も考えたが、話の辻褄を合わせるのが難しいのと希望として可能性はないと考えたい。

 

(※以上、一個人の感想と見解です。公式の発表や作者の意図との相違があるかと存じますが、ご了承願います。)
 

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おすすめは、かぐや姫が2000年に再結成した時のこのライブだ。

ラストの入りは音源ではパーカッションが入っているが、ライブだと音数が少なくなっており、そちらの方が好きだ。

 

最後の部分、こうせつが遠くを見ながら歌うカメラアングルがとても良い。

 

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改めて歌詞を見直してみてわかることは、現代の曲に比べて言葉数が少ないことだ。

だからこそ想像の範囲が広がり、たくさんの人に当てはまるのだと思う。

 

音楽は時代と共に変化しており、歌詞の多い少ないは問題ではない。

現代は現代の「赤ちょうちん」のような曲があるはずだ。

 

さて、思いの外言葉が多くなってしまったこの記事だが、少しでも興味を持っていただければ幸いである。

まだまだ50年経っても色褪せない、紹介したい曲がたくさんある。

 

 

taji