学生時代、ラジオ仲間の後輩がこう言っていたのを思い出した。

彼女は小樽から札幌へ通っており、毎日電車から窓いっぱいに海を見ていた。

 

ある時訊ねてみた。彼女が3年生の時である。

 

「毎日海を見て飽きない?」

「全然飽きません!毎回感動してます!」

 

何回同じ景色を見ても、いつまでもその気持ちを持ち続けていることに感動した。

 

ーーーーー

 

先日、美瑛町に写真を撮りに行ってきた。

2014年に写真を始めてから、写真仲間や家族と一緒によく行っている。

 

景観が日本離れしており、海外のような素晴らしい景色を見ることができる。

 

行程3日間、天気予報は全て雨。

しかし実際は半分の1.5日間は運よく晴れてくれた。

 

夏の美瑛は暑く、誰もが想像する日本の夏をイメージしたような空気だった。

 


 

何度となく足を運んで、何度も撮影に行くのは同じ場所。

四季により見える景色は違うし、広大な景色の中に行くと自分という存在が世界の中で薄まる気がする。

 

美瑛はいつもそんな感動をくれる。

 

まさに何度見ても飽きない、そう思える景色。

私の場合は、この場所である。

 

taji

 

※今回の旅でお世話になったTさん、Mさん、ありがとうございました。

こんな写真を撮った。

晴れてはいるが何もしなくてもやってくる、いつもの夜と月だ。

 

この画像は、携帯の待ち受け画面にでも使っていただければ幸いである。

(※意外と見やすくていいですよ)

 

少し前から、こんな景色を無意識で流すことができなくなった。

 

今の時代は、日々何かを引っ掛けていないといけない気持ちになる。

「誕生日おめでとう」のコメントだけが毎年積み重なっているSNSを見ると、いかに時の流れに流されるのみで、逆らいもせず、そのまま漂っている人の多いことか。

 

こんな月の夜があるはずだ、その人にも。

引っ掛けていないだけだ。

 

私もなんだかんだ、今まで漂っていた。

少し、流れに逆らってみようと思う。

 

 

taji

蟻の穴から堤も崩れる。

ことわざの通りもしかしたら大きな堤が崩れてしまうのではないだろうか。

そして、それは小さな小さな穴から始まったのかもしれない。

 

吉本興業、一連の騒動に関して。

 

私なりに会見の様子や報道を見ていた。

その他ニュースや報道で色々な感情や、意見、言葉を聞いた。

 

人を明るい笑顔にさせる人が、暗い顔をして泣いている。心から笑えていない。

 

そのことが一番心に刺さった。

 

何より尊いこと

 

泣いている、落ち込んでいる人を笑顔にする。

私は、そのことに対してまっすぐ向き合っている人を心から尊敬する。

人としてこんなに尊く、素晴らしいことはないからだ。

 

かくいう私も、人を笑顔にするのは大好きだ。

小学生の頃から自覚している。

 

これを読んでいるあなたに問いたい。

 

「あなたも私と同じではないだろうか」

 

誰かを笑顔にしたい。その気持ちが全く無い人はいないと思う。

 

 

今回の騒動においてギャラの問題や、契約解消騒動に関しての私の意見はない。

ただ、人を笑顔にしたいという気持ちを持っている人が辛い想いをしているのは心が痛い。

 

まずは自分だ。

 

人を笑顔にする時は、まず自分が笑顔になればいい。
どんなに悲しくても、辛くても、全てを隠して何事もなかったようにいつもの笑顔でステージに出て行き、目の前のたくさんの人を笑顔にする。

 

 

そんな人に私は憧れている。

 

 

taji

最近読んでいる本がある。

 

「蜜蜂と遠雷」恩田陸

 

 

著者の言葉によって想像される世界の美しいこと。

 

冒頭の3行目で心を持っていかれた。

 

光が降り注いでいた。

遠い遥かな高みの一点から、冷徹に、それでいて惜しみなく平等に降り注ぐ気高い光が。

 

蜜蜂と遠雷(上) P12

 

 

その後も、贅沢に質の高い言葉と文章が続いている。それはこのストーリーのテーマが「音楽」ということも少なからずあるだろう。

 

上の文章、現代風に書くとこうだろうか。

 

光が降り注いでいた。

いい意味でやばい光が。

 

さて、どちらの文章がより美しいだろうか。(判定は個人の裁量に任せる)

 

私は日本人として、前者のような言葉を使える人になりたい。

シンプルにそう思った、そしてその瞬間から意識して身の周りの美しい言葉を探すようにしている。

 

あなたも是非、この本の言葉の美しさに一度触れてみてはいかがだろうか。

意識して言葉をインプットし学んでいけば、美しい言葉を使えるようになった未来が待っている。

 

私もこのブログを書くときは、言葉の練習だと思って書くことにする。

 

スポーツや芸術でも圧倒的実力者は、見るからに楽しそうだ。

楽しめるレベルになるまで、道のりは長い。

 

「やばい」しか言わなくなるのはやばいのである。

自分でも肝に命じておく。

 

taji

2019/07/18 

京都市伏見区の映画製作会社で放火事件が発生した。

 

とても悲しい事件だ。

この事件に関して、愚見を述べたい。

 

私は病院の総務課で勤務しているが、もう1つの肩書きがある。

「防火管理者」だ。

 

防火管理者とは、消防法により学校や病院、工場や百貨店など、多数のが出入・勤務・居住する防火対象物において、火災予防のために必要な業務を推進する責任のこと。

 

防火管理者について

 

私も消防法に沿った消防訓練を計画して行ったり、点検に立ち会ったりしている。

日頃から、もし火災が発生したらどうなるか、どういう動きをしたらいいかを考えているつもりだ。

廊下が広く、階段に避難の邪魔になるものも置いていなかったりと、施設のストロングポイントも理解している。

もちろん、反対に弱点も理解している。

 

そんな私が最も恐れているのが「放火」である。

しかも、今回のように可燃性の液体を撒かれての放火だ。

 

 施設としての対応力 

 

私の病院では、なんらかの理由で自然発生的に火災が起こった場合、まずスプリンクラーが発動する。

ちなみに、スプリンクラーの初期消火の成功率は95%を超える。

防火戸も常時閉鎖式であり、煙と熱を遮断。

スプリンクラーで水が噴射され、別の階への延焼も防いでいる間に消防が到着し、本格的な消火活動が開始される。

 

施設としての対応力はこのようなところである。

甘く見通しているわけではない、設備としてこれが可能なのだ。

 

「自然発生的な火災」であればの話だ。

 

 対応できない火災 

 

問題は「可燃性の液体に火をつけた火災」の場合だ。

 

初期消火には抜群の威力を発揮するスプリンクラーも、発動はするが火に勢いがある場合すぐに消すことは難しい。

職員による消火器、消火栓からの放水で対応したとして、どこまでできるだろうか。

 

※ちなみに自力で消火不可能な境界線は、壁と天井に燃え移った段階である。

こうなったら煙を逃さないようその部屋の扉を閉め、逃げる必要がある。

 

このような火災が発生した場合、消防が到着するまでの間にいかにたくさんの人を火から遠ざけることができるかにかかっている。

 

 法律による消火 

 

今回の京都アニメーションの放火は、まさに対応できない火災である。

法律によるスプリンクラーの設置義務もないと思われる。(スプリンクラー設置基準)

 

しかし、これまでの火災による被害で、法律はその度に変わってきた歴史がある。

 

火災が発生。火災報知器が作動しても「通報」ができなかった火災があった。

その後、報知器が作動して一定時間経つと自動で消防へ通報する設備の設置を義務付けるよう基準が改正された例もある。

※病院や老人ホーム、など。

 

今回の火災により、何らかの改正がなされることを祈る。

スプリンクラーはもちろん、火と煙の延焼を防ぐ扉の設置や、万が一の時の脱出手段の確保などが今回の場合は当てはまるだろうか。

 

改正の目的は、二度とこのような事件が起こらないような未来のためだ。

 

これを読んでいただいた皆様も、ご自身の家、学校、職場で火災が発生した場合のシミュレーションをお願いしたい。

 

私も、防火管理者の一人として、職員に火災の危険性や、対処法などを全力で伝える使命があることを改めて実感した次第である。

 

 

(この度の火災に際し、心よりお悔やみ申し上げます。)

 

taji