「夜が明けて」 坂本スミ子 | 昭和歌謡ブログ マンボウ 虹色歌模様

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夜が明けて 坂本スミ子

つながりで、坂本スミ子「夜が明けて」です。

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夜が明けて 昭和46年(1971年)
http://www.youtube.com/watch?v=ljOZvzPA74w
作詞・なかにし礼 
作曲・筒美恭平


夜が明けて 手さぐりをしてみた
抜け殻の隣りには 誰もいない
目をあけて部屋のなか 見てみた
陽がもれる窓のそば 誰もいない
夢を追いかけて ひとりふかす
たばこのけむり 白い白い


ボクがホントの子供の頃、伝説のバラエティ「夢で逢いましょう」に坂本スミ子が出演していました。
パンチのある歌声で、当時はラテンの女王と呼ばれていたとか。

この「夜が明けて」も、南米の民族音楽フォルクローレ風ですね。
特にこの映像での曲は、それが強く現れています。

たまにアンデス・ペルーの民族衣装着て、駅前で演奏している人を見ると、
ついつい このリズムに惹かれて、立ち止まってしまいます。

ちょうどこの当時、サイモンとガーファンクルの「コンドルは飛んでいく」がヒット。
この曲にも、影響を与えていたのでしょうか。

坂本スミ子はラテンばかりでなく、「たそがれの御堂筋」なんて演歌っぽいのも歌っていました。

$昭和歌謡ブログ  マンボウ 虹色歌模様-酒井政利

「夜が明けて」を企画したのは、山口百恵や南沙織を育てたCBSソニーの名物プロデューサーだった酒井政利
レコーディングにあたっては、パンチを効かせずに、出来るだけ素直に歌うように注文したそうです。

最初、坂本スミ子はそれを納得しなかったようですが、何度もリハーサルを重ねて、
最後は余韻のある素晴らしい歌が完成したと、酒井政利は書いています。

歌詞に目を移すと、
ちょっとした情景の描き方が、いかにも、なかにし礼って感じです。
夜が明けて夢をみた枕に あの人の髪の毛が一つ残る


なかにし礼も筒美京平も、その作品に繊細さを感じますが、繊細さの種類が違うような。
なかにし礼の歌詞は、舐め回すような濃厚さを持ち、
筒美京平の曲は、日本人の心の襞をそっと触れるような繊細さってな感じ。

「雨がやんだら」と同じコンビによる「夜が明けて」もまた、キラっと光る作品ではないでしょうか。


$昭和歌謡ブログ  マンボウ 虹色歌模様-楢山節考

坂本スミ子は色々映画にも出演していますが、
カンヌで受賞した「楢山節考」では、老婆を演じる為に、前歯を短く削ったそうで(*_*)
役者根性のある人ですね。

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