『恋をするなら』 『チェッ チェッ チェッ (涙にさよなら)』 橋幸夫 | 昭和歌謡ブログ マンボウ 虹色歌模様

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恋をするなら』 『チェッ チェッ チェッ (涙にさよなら)』 橋幸夫

前の記事から、サーフィンつながりで。

藤本好一&寺内タケシとブルージーンズが、サーフィン・サウンド『太陽の彼方に』をカバーしたのが1964年。
同じ年、純和製のイカシたサーフィン・サウンド曲が生まれました。

橋幸夫の『恋をするなら』です。

$昭和歌謡ブログ  マンボウ 虹色歌模様-恋をするなら


焔(ほのお)のように燃えようよ
恋をするなら愛するならば
夜はバラ色 夜明けもバラ色
今日も明日も明後日も
AAA I I I EEO A I O
焔のように 燃えようよ
恋をするなら 愛するならば


作詞・佐伯孝夫 作曲・吉田正


なんとサビの部分に、♪ア~アアアアー イ~イイイイー エ~エオオー アイオ♪のスキャット(掛け声?)を持ってくる大胆さ。
まったく意味を持たないこの部分に、どれだけ熱狂したことでしょう。


45年も前にこのようなユニークで、しゃれた曲をリアルタイムで聴いていたことを嬉しく思います。
橋幸夫の曲は好きな歌が数多くあるのですが、その中でもこの曲は大好きです。


橋幸夫は1960年(昭和35年)、『潮来笠』でデビュー。
角刈り頭の着流し姿で股旅物を歌う16歳の少年・橋幸夫は一躍トップスターになりました。

以降、『おけさ唄えば』、『木曽節三度笠』、『南海の美少年』など、一貫して股旅演歌を歌ってきました。
そのイメージを変えたのが、1962年の『江梨子』でした。


股旅ではない、現在を舞台にした悲劇的な曲『江梨子』は高い評価を受け、これをキッカケに橋幸夫は現代物歌謡にも足場を得ました。

同年、橋幸夫と吉永小百合とのデュエット曲『いつでも夢を』を発表されるや、大ヒットとなり、この年のレコード大賞に輝いたのでした。


そして、1964年の『恋をするなら』は、日本におけるリズム歌謡の嚆矢となったのでした。
この曲以降、『チェッ チェッ チェッ (涙にさよなら)』、『恋のメキシカンロック』など、多くの橋幸夫のリズム歌謡の名曲が生まれています。


忘れちゃいなと 風が吹く
あきらめちゃいなと 雪が降る
さっきチラッと 見かけたあの娘
夜更けの外車に 乗っていた
そっぽ向いてた チェッチェッチェッ
街は沈んだ 青い色


『チェッ チェッ チェッ (涙にさよなら)』
作詞・佐伯孝夫 作曲・吉田正


なんと、この『チェッ チェッ チェッ (涙にさよなら)』は、昨日記事に書いたアストロノウツがカバーしています。
当時の吉田メロディーが、音楽シーンのトップにいた証拠でしょうか。

『Che Che Che』 The Astronauts
http://www.youtube.com/watch?v=bbqHgoleCyE

昨年、大瀧詠一がリマスタリングしたアストロノウツのアルバムにも収録されています。


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