てんぷくトリオ 三波伸介さん 誕生日 | 昭和歌謡ブログ マンボウ 虹色歌模様

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☆昭和40年代・50年代の魅惑の昭和歌謡を語る完全懐古趣味的ブログ

明日6月28日は、コメディアン てんぷくトリオ三波伸介さんの誕生日です。


今でこそ、シンスケといえば島田紳助が連想されますが、昭和40年代、50年代は、まぎれもなく三波伸介です。

三波伸介さんは、1930年6月28日 東京・本郷生まれ。

日本大学芸術学部映画学科に進むも、2年で中退。
俳優を目指し、水の江瀧子劇団や浅香光代劇団で修行を積んだのちに、コメディアンに転向。 

1960年代前半、いまや大御所となった伊東四朗、1973年に亡くなった戸塚睦夫との3人で<てんぷトリオ>を結成しました。
三波伸介の「ビックリしたな モウ」は、大人気になりましたね。


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写真を持っているのは、息子の2代目三波伸介

この当時、テレビはお笑い番組花盛りでした。
「シャボン玉ホリデー」、「お笑い三人組」、「大正テレビ寄席」、「笑点」、「てなもんや三度笠」・・・。

寄席をテレビに持って来た演芸番組が数多く作られ、演芸番組ブームでもあります。
落語、漫談、漫才、コントで、人気者が大勢、出てきました。


コントはコミック・トリオが多かったですね。
てんぷくトリオをはじめ、ナンセンストリオ、トリオスカイライン、トリオ・ザ・パンチ。
それぞれ、ギャグを持っていました。

トリオスカイラインのリーダーは東八郎(東貴博のお父さん)。
           ♪がんばーれ つーよいぞ ぼくらの なまか♪ 面白かったですね~

ナンセンストリオは、2月に亡くなった前田隣のいたトリオ。
           ♪親亀の背中に小亀を乗せて♪

トリオ・ザ・パンチは、内藤陳のガンをくるくる回しての「ハードボイルドだど」。


てんぷくトリオは、1973年戸塚睦夫が亡くなり、トリオとしての活動は終止符を打ち、三波伸介、伊東四朗はピン芸人としての活動となった。

伊東四朗は、「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」での、小松政夫との電線マンで大ブレークしましたね。

三波伸介は、笑点、凸凹大学校、減点パパなど、多くの人気レギュラー番組を持つこととなりました。
温か味のある司会でした。

また、凸凹大学校や、減点パパで描く似顔絵は良く似ていました。


残念なことに人気絶頂の1982年、殺人的なスケジュールの中、自宅で倒れて帰らぬ人となりました。52歳の若さで。
急を聞いて駆けつけた伊東四朗は、「みんな逝ってしまって、俺ひとりになってしまった・・・」と泣き崩れたといいます。


紅白歌合戦での三波伸介
青空球児・好児、藤村有弘、東八郎、伊東四朗、黒沢良、西川ひかる、なべおさみ、玉川良一の懐かしい姿も
http://www.youtube.com/watch?v=CLmAr6Yx4sE&feature=player_embedded