魅惑の昭和歌謡 『あゝ上野駅』 井沢八郎

歌手・井沢八郎さんは、2007年1月17日に食道癌で亡くなっています。
奇しくも、娘で女優の工藤夕貴さんの誕生日でもありました。
井沢八郎は青森県生まれ。歌手を目指して、中学卒業後に単身上京。
1964年(昭和39年)、デビュー2作目の『あゝ上野駅』が大ヒット。
集団就職者の心情を歌った歌詞と井沢八郎自身の経歴とがダブり、井沢を代表する曲となりました。

東京を歌ったご当地ソングは数多あります。
『東京の灯よいつまでも』、『ウナセラディ東京』、『二人の銀座』、『新宿ブルース』、『池袋の夜』・・(例がいつも古いのですが)。
しかし、繁華街でありながら上野を歌った曲って意外と少ない・・・というか、この『あゝ上野駅』しか思い浮かばない。
『あゝ上野駅』は井沢を代表する歌であり、上野を代表する歌でもあります。
どこかに故郷の 香りをのせて
入る列車の懐かしさ
上野は俺らの 心の駅だ
くじけちゃならない人生が
あの日ここから始まった
2003年には、『あゝ上野駅』の歌碑が上野駅広小路口前に完成。
除幕式には井沢八郎が、歌碑の前で歌っています。
高さ2.6メートルの堂々たる歌碑です。

作詞・関口義明 作曲・荒井英一
1.どこかに故郷の 香りをのせて 入る列車の なつかしさ 上野は俺らの 心の駅だ くじけちゃならない 人生が あの日ここから 始まった
(セリフ)
父ちゃん 僕がいなくなったんで 母ちゃんの畑仕事も大変だろうなあ、今度の休みには必ずかえるから、そのときは父ちゃんの肩も母ちゃんの肩も、もういやだって いうまでたたいてやるぞ、それまで元気で待っていてくれよな
2. 就職列車に ゆられて着いた 遠いあの夜を 思い出す 上野は俺らの 心の駅だ 配達帰りの 自転車を とめて聞いてる 国なまり
3. ホームの時計を 見つめていたら 母の笑顔に なってきた 上野は俺らの 心の駅だ お店の仕事は 辛いけど 胸にゃでっかい 夢がある
歌番組での井沢八郎 セリフがレコードとは変えているようです。
いくつかの不祥事もあり、娘・工藤夕貴と断絶した期間もありましたが、井沢の癌が発覚した際には工藤夕貴とは雪解けとなっています。
井沢が亡くなったときは、ちょうど工藤夕貴の誕生日で、夕貴は「今日は私の誕生日なんだよ。こうしてパパに会えることが最高のプレゼントなんだよ」と、ほぼ昏睡状態の井沢に語りかけると、井沢は、「おめでとう」と必死に2回も応えてくれたと葬儀の挨拶で明かしています。

井沢の看病をした、もう一人の女性は、元マネージャで奥さんの工藤美代子さん。
工藤さんは今年、井沢八郎との思い出を綴った「素顔の井沢八郎とともに」という本を出版しています。
「井沢がデビュー当時、言葉になまりがあるので”しゃべるな”と言われた。 でも本当はすごくおしゃべりで、亡くなるまでなまりが取れなかった。素朴で純朴な東北の人だなと感じる」とおっしゃています。
集団就職という時代を象徴する曲であり、上野を代表する曲であり、駅名をタイトルに使った稀有な曲である『あゝ上野駅』でした。
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