川崎にある稲毛神社をラブドールのララとナナがレポートします。
稲毛神社の創建の年代は詳らかではありませんが、御神木大銀杏の樹齢が1千年と推定されるところから、当地の古社であることがわかります。
社伝によれば、当神社は東国に争乱の絶えなかった頃、武神・武甕槌神をまつり、天皇軍の戦勝を祈る社として建てられたと伝えられています。
境内には、芭蕉句碑もあります。
芭蕉没後300年の年に建てられました。
長年川崎市中原区にお住まいの彫刻家で文化勲章受章者、圓鍔勝三氏の書によります。
句碑に刻まれているのは、
「秋十とせ 却って江戸をさす故郷」という句です。
多摩川(六郷川)を渡り川崎宿に足を入れた芭蕉が、十年暮らした江戸を振り返り、そこを故郷と吟じたものだそうです。
境内に足を踏み入れると右手に手水舎がありました。
鎌倉時代には将軍家より社領七百石を賜り、佐々木四郎高綱公が源頼朝公の命を受けて御社殿の造営に当たりました。
秀吉公および江戸幕府からは二十石を賜りました。とくに家康公江戸入府に際し天海僧正ご巡見の参拝あり、随神門、神馬等の寄進を受けたと伝えられます。
境内には、神楽殿もありました。
当社の社名は、「武甕槌宮」と称していましたが、平安時代末期にこの地を領有した河崎冠者基家(秩父平氏)が山王権現を勧請して以後「河崎山王社」「堀之内山王権現」「五社山王」「三社宮」などとよばれていました。
山王権現の称号は、天台宗系の神仏習合思想「山王一実神道」によります。
明治になり、新政府の神仏分離の方針に相応しくないとのことから、鎮座地武蔵国稲毛庄の名をとって「川崎大神稲毛神社」と改称しました。
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当神社には、境内社も多くあります。
こちらには、「三峰神社」「御嶽神社」「八坂神社」「大神宮」「松尾神社」「金毘羅宮」「福田稲荷神社」の7社が合祀されています。
大鷲神社(おおとりじんじゃ)です。
御祭神は、日本武尊です。
日本武尊は、熊襲・東夷征討にあたられ、数々の武勲をあげられた英雄神ですが、死後、その御霊は白い大鳥となって天に昇って行かれたところから尊を祀る神社は「おおとり神社」と呼ばれます。
子神社(ねのじんじゃ)です。
当神社は、江戸時代には須河原(現在の旭町、港町)に祀られていましたが、明治3年、須河原,久根崎(現在の旭町、本町)の人々によって建て替えられました。
社殿は総欅造りで、彫師小川清蔵による見事な彫刻がほどこされており、台石には当時の有力者の名が多数刻されています。
明治45年、合祀令により勧進主の一人森五郎作邸に移され、邸内社となっていましたが、昭和32年、森家転居の際、当所に遷座されました。
堀田稲荷神社・第六天神社です。
両社は江戸時代には堀之内にあり、川崎宿の旅籠屋、商人、芸妓たちや近郷の人々が篤く信仰していました。
明治39年、川崎競馬場建設の際、鎮座地が馬見場への通路に当たったため稲毛神社境内に遷されました。
稲毛神社には、今回、紹介した以外の句碑や境内社など当神社 の長い歴史と尊い由緒を偲ばせる名所がまだあります。
次回以降で紹介していくので、ヨロシクお願いします。
それでは、また・・・。
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