ハットマドンナ最後の手紙 1976(S51)年春


   その後(青春のマドンナ・峠の星空✨)お母さんおかっぱ美少女S美ちゃんとはお父さん私が中学校を卒業してから大学2年になるまでの約6年間遠距離交際が続きました。

クリップ出会い__髪型モデル代役!


 明るくて賢くて、スポーツ万能で笑顔がとびっきり可愛いお母さん彼女は、私にとって青春時代のハットマドンナでした。
 ただ、実家を離れてずっと下宿生活だった私には、地元富士山湖畔の町で暮らす2つ年下の初恋のマドンナに思いを伝える手段は、ほとんど手紙ポスト手紙しかありませんでした。おねがい




  ◾️東室蘭駅上り4番線ホーム 特急北斗/2023.6


   室蘭の高校を卒業後は、札幌でのお願い浪人生活そして🗼東京の大学へと環境は変わり、そのたびに故郷にいる彼女との距離は船遠く離れていくばかりでした。ショボーン




  ◾️札幌時計台/2023.6


 私が東京に出て2年目の1976(S51)年桜春、電車都電荒川線に近い滝野川のアパートに届いた彼女からのメール手紙には、お母さん「今私には将来の夢を一緒に追いかけてみたいと思う人がいます」と綴られていました。



 ◾️都電荒川線 新庚申塚停留場/2024.6


 遠距離を言い訳にして、故郷にいるハット初恋のマドンナに何もしてあげられず、夢を語ることも出来なかった未熟な自分には、新しい夢に向かおうとしている彼女の赤薔薇幸せを遠くから祈ることしか出来ませんでした。ガックリ泣


 東京の空の下で夢儚く散ったハット初恋のマドンナへの思い。出会った時中学1年生だった故郷のお母さん美少女は、高校を卒業し旅立ちの春を迎えていました。卒業証書桜


  鉛筆あとがき  北の大地のハットマドンナへ

 

 この年はまた、故郷で働く母が暮れに再婚して京することになり、私にとって故郷はもう帰省する町ではなくなった節目の年でもありました。キョロキョロ


 そして、おかっぱ美少女ことお母さんN.S美ちゃん私が校内模範髪型のカメラ生徒モデルになった故郷の学校中学校は、今から6年前、私が福岡赴任中だった2018(H30)年の春に統合され閉校になっています。クローバー



  ◾️旧中学校舎(閉校記念誌より)

 

 閉校後間もなく福岡の自宅宛てに本記念誌が届き、そこに載っていた歴代卒業生名簿でお母さんS美ちゃんの名前を見て、初めて彼女のウエディングドレス結婚指輪新姓を知りました。キョロキョロ




  ◾️羊蹄山麓/2023.6


 音符青い瞳の人生讃歌。今、古希を目の前にして自分が歩いてきた峠の山道を振り返る時、青春時代のハットマドンナとの思い出は、半世紀以上経った今も故郷の夕空で星星となって輝いています。星空


 霧北の大地の大空の下、おそらく有機栽培による先進農業を実現させヒマワリ幸せに暮らしているであろう思い出のハットマドンナS美ちゃん。

 君にも湖畔の夕空で輝く星あの星は見えているだろうか。おねがい星空




   ◾️洞爺湖畔の夕空/2023.6 


                          ➖FIN➖