なぜ技術力では上の日本が勝てないのか | 心に明かりが灯る言葉たち

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日露戦争の奉天会戦の話を読んでいて、思ったことがある。

当時の陸軍の華は、騎兵だった。
そして、ロシアのコサック騎兵と言えば、世界最強と目されていた。

日露戦争を戦う以上、そのコサック騎兵も相手にしなければならない。
はっきり言って、騎兵としての技術力では圧倒的に負けていた。
戦術も作戦も、騎兵に関する戦いでは経験値も違うから圧倒的にロシアが優位だった。

にもかかわらず、日本はコサック騎兵に圧勝、二万人のロシア兵を捕虜にした。

なぜか。

ルールを変えたからである。

日本騎兵の創設者である秋山好古(よしふる)は、騎兵としての技術力ではロシアに勝てないことを理解していた。
しかし、戦争が決まった以上、勝たなければ国を守れない。
守れなければ、植民地になるしかない。

そこで彼は考える。
「技術で勝てないなら、騎兵戦のルールを変えてしまえばいい」と。

秋山将軍は、コサック騎兵が現れたら、馬から降りて銃で馬ごとなぎ倒してしまえばいいと考えた。
そしてそのために、当時ヨーロッパで開発されたばかりで、悪魔的兵器と言われならがも威力が未知数だった機関銃を使った。

結果、黒溝台の会戦で、日本騎兵の機関銃でコサック騎兵はなぎ倒され、為す術なし。
最終決戦となった奉天会戦の戦場では、コサック騎兵は前線に現れなかった。

機関銃の威力はもちろんすごい。
しかし重要なのは、秋山将軍が騎兵の戦いのルールを変えてしまったことである。
どんなすごい技術や戦術を持っていても、ルールを変えられたら負けてしまう。
そこを突いたのがすごい。

日露戦争のあと、騎兵は世界中の戦場から姿を消し、代わりに機関銃に負けない戦車が陸戦の主力になった。
ルールが変わって、武器(技術)も変わったのである。


ところが、である。
大東亜戦争のときは、日本の技術力は世界に負けていなかった。
戦艦大和に関しては、当時世界最強の軍艦だった。
あれを造れたのは日本だけだったのである。

零戦も強かった。
アメリカの戦闘機もどんどん落とされた。

しかし、零戦の技術では勝てないと悟ったアメリカは、空中戦のルールを変えた。
零戦の上がれない高度まで上がれる飛行機を作り、急降下して攻撃し、
また上がって・・・という戦い方で零戦と戦い、空中戦で優位に立つようになった。
そのシステム化された戦い方は、パイロットの熟練度もそれほど必要としなかった。

飛行機の性能とパイロットの熟練度で勝負しようとしていた日本は、
ルールを変えられてあっさりやられてしまった。

現在の日本も、技術力では未だに世界トップクラスにすごい。
ものづくりの日本と言われる所以もそこにある。

しかし、それが逆に柔軟性をなくしているように思う。
技術力ではまだ負けていないから、いつか必ず勝てると錯覚している。

でも勝つのは、ルールを作るほうである。
ルールを作って、技術力を使うほうである。

秋山将軍は、技術では勝てないからルールを変えた。
そして勝った。

日本も今、それを学ばなきゃいけないのだと思う。
歴史をマゾ史観で見ているうちは、歴史から学ぶこともできない。
自分の国の歴史を貶めて喜んでるのは、ドM以外のなにものでもない。


それはともかく、技術を拠り所にしていることが、すでに負けの始まりということに気づく必要があると思う。
どんなに殴り合いが強くても、銃を使っていい戦いになったら勝てないわけだから。


戦略について知りたい方はこれがいいですよ。零戦のくだりも出てます↓
世界を変えたいなら一度武器を捨ててしまおう 奥山真司著