前回の投稿に対するいろんなコメント、メッセージありがとうございます。

 

こんなに大事に思ってくれるファンがたくさんいるBTSってやっぱりすごいな、という思いを抱いたのと同時に、このブログを楽しみにしてくださって、私の言葉足らずな記事に対して一生懸命意見を言ってくださる方がいらっしゃることに感激しています。考え方の違いについて、それをコメントやメッセージにして送るって大変なことだと思うので、本当にありがとうございます。お一人お一人に個別にお返事を書きたいのですが、それだと途轍もない時間がかかってしまいそうなので、とりあえずのところはこの記事でお返事とさせていただきたいと思います。

 

ただ私はオブラートに包むような物言いが苦手なので、今回もガッツリ書きます。その代わりありったけの言葉を尽くして書きますので、誤解を避けるためにこれをお読みになる方は途中でやめずに最後までお付き合いいただければと思います。

 

前回の投稿、まず「ナムジュンを理解した気になっている」なんてことを言ってしまってごめんなさい。彼が考えていることなんて分かりません。だから分かった「気になっている」と書いたのですが、それが多くの人に「私はナムジュンを理解している」と主張しているように聞こえたんだなと思いました。不愉快な思いをされた方、本当にごめんなさい。

 

次に、ビートルズについて言及したのは、音楽史に刻んだ記録の点でBTSが彼らと比較されてきたからです。実際、お借りした写真の通り、ビートルズをオマージュした演出でBoys With Luvを歌ったこともあるBTS ですが、もちろん多くの方がおっしゃる通り、記録以外では比較対象にならないぐらい異なる2つのグループだと思います。

 

だからなのか、これに関連して、問題になったのが「アーティスト」と「アイドル」の違いですね。私自身、このブログではBTSをアイドルと呼んでみたり、アーティストと呼んでみたり、はたまた「アイドルからアーティストになれるかどうかの正念場」とか、そういうことを書いてきたように思いますが、私の中での境界は明らかです。

 

「アーティスト」というのは、ファンの好みを考えずにとにかく自分が好きな作品を追求して制作する人種のことであり、一方で「アイドル」は、あくまでファンの好みに応えるための作品あるいは大衆ウケがいい作品を提供されてそのコンセプトに合わせてパフォーマンスを作り上げる人種のことだと思っています。その意味で、ビートルズは基本的にアーティストだったし、BTSは基本的にアイドルだと言っていいように感じます。

 

でもBTSというかバンタンは、確かに7人で「アーティスト」だった時代があると思います。Am I Wrong?と題した記事を読んでいただければ、私自身もそこに彼らの真髄を見出していることは理解していただけるかもしれません。No More Dreamあたりの楽曲の歌詞や曲調を見ても、大衆ウケを狙っているとは到底思えませんよね。

 

それがいつ頃から大衆寄りになっていったのか、なぜそうなったのか、彼らのことをずっと追ってきた訳ではない私には分かりませんが、少なくともDynamite以降の英語曲は、アイドル楽曲以外の何ものでもないと思います。実際、DynamiteもButterもPTDも「売れるために」作られ、「売ることができる」彼らに提供された楽曲たちですから。

 

それまでこだわっていた韓国語の歌詞を捨てて、自分達が大切にしてきた反骨精神も捨てて、大衆が好む音楽を提供するアイドルになりきってしまうことに関してナムジュンが抱いていた葛藤に関しては再度書くまでもないことだと思うので、こちらの記事をご覧ください↓

 

 

Dynamiteは皮肉にも、彼らが「アーティスト」として作ったどんな作品よりも売れ、その結果、彼らはそれまで以上に確固たる地位を得ました。外交特権まで得て、釜山エキスポを誘致する立場になった。そんな彼らが、今後、Am I Wrong?やBaepseのような、政治家を批判したり、既得権益を肯定する社会システムを批判するような歌詞の楽曲なんか発表できるわけがないと思うのはきっと私だけではないでしょう。

 

彼らが、国が利用するのにちょうどいい「アイドル」に成り下がってしまったというのはそういうことです。

 

この現状から抜け出すためにどうしたらいいかなんて、私には分かりませんし、彼らが抜け出したいと思っているかさえ分かりません。コメントやメッセージでご指摘いただいたように、会食の時と今とでは彼らの気持ちも変わってしまっているのかもしれませんし、もしかすると解釈によってはアイドルに「成り上がった」とも言えるでしょう。

 

ワンアンドオンリーになる野望を語ってきたナムジュンも、世界中で支持されるアイドルとしての地位は、その願望を実現する上で利用しがいがあるというようなことも言っていますよね。

 

ただ、彼は芸術を語る時、必ずと言っていいぐらい、大衆路線から決別する勇気を持って歴史に名を残した芸術家の話をしているので、BTSが大衆路線から離れられない現状にもどかしさを抱いているのは確かなのではないかと思います↓

 

 

でも同時に彼は、ARMYこそがBTSの強みであり、ユニークさであり、アイデンティティーだということをよく理解している発言も多いので、ARMYを「裏切る」ことはできないと考えているのも確かだと思います↓

 

 

問題はこのARMYが今や「イコール大衆」というぐらいに多様化してしまったことで。ARMYの期待に応えようとすると、大衆ウケを狙うことになるし、解散だって許されない。それが「裏切り行為」として解釈されてしまう恐れがあるから。

 

(彼らが解散すること自体、あるいは彼らが解散する可能性を考慮することに批判的な意見があるのは理解できなくはないですが、いずれも「裏切り」という強い言葉で表現してしまう方がいらっしゃることに私はちょっとびっくりしています。)

 

もちろん彼ら自身が、ずっと7人で活動したいということであれば何も言いませんが、個人的には、2025年以降も、自由なソロ活動をメインにやって、数年に1回ぐらい集まって合同ライブみたいなのをするぐらいがちょうどいいのでは?と思っています。だって、10代20代の人格形成期ならまだしも、30代40代にもなる男性たちが、いつまでも肩を寄せ合うことに疑問も抱かずに、同じスタイルで活動し続けるのって正直、私は想像できないです。

 

(コメントにいただいたようにそれが「ビジネス」だと言われればそれまでなのかもしれませんが、音楽を生業にする以上は自己表現へのこだわりは重要だと思うし、その価値観を捨てたら、単なるビジネスのための「仲良しごっこ」と解釈されてもしょうがないと思います。)

 

別に解散なんかしなくても、時が来れば人気も落ちて、それに従って政治利用されることもなくなって、またかつてのような反骨精神を全面に押し出したような楽曲を作れる日が自然に訪れるのかもしれません。でも「7人」にこだわって、そんな日が来るまで7人で待ち続けるってちょっと違うかも、という発想になったとしても理解できるというか。

 

何度も言うようですが、彼らがそうしたいなら何も言いません。でもいつか彼らが「7人でいること」以上の価値を見出す日が来たとしても、それは「裏切り」ではないと私は思います。

 

7人揃ってBTSであって、1人欠けてもBTSではないというのは一生変わらないと思うけれど、だからこそBTSが終わる日が来たとしても、それは許してあげたいというか。。。許すなんていう言葉自体が上から目線だけれど、私はそう思います。

 

だって7人で作品を作るってやっぱり大変だと思いますよ。

 

兵役も終えてさっぱりして、将来的に今抱えているような国とのジレンマがなくなったとしたって、本来はそれぞれ表現スタイルが異なる人たちだろうし、7人で何か作ろうと思ったらどうしたって妥協しないといけないだろうから、それをメインの仕事にし続けるとしたらストレスになるのは十分理解できると私なんかは思ってしまいます。

 

だから7人じゃなくてもいいんだよって思っているファンもいることを彼らには知っていてほしい気もするし、私もスタンスが違うだけで私なりに彼らを信じていると理解していただければうれしいです。

 

ちなみにこのブログはずっと書き続けると思います。彼らはもうすでに一生分のネタを提供してくれたと言っても過言でないほど、一人一人が人物として興味深いし、魅力的だし、歩んできた道のりも、その時代背景もユニークなので、いつかBTSが終わる日が来たとしても、私は彼らについて書き続けると思います。ビートルズが終わって何十年経っても、彼らについて書き続ける人たちがいるように。

 

なんて語っている場合ではありませんね。あの布との戯れ企画を見たら今書いたことなんてどうでもよくなることはわかってるんですけど、前回の投稿に対していただいたご意見は、いつにも増していろんな方の熱意を感じたので、私も誠実にお答えしなくてはと思った次第です。

 

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