お立ち寄りいただきありがとうございます♡
一部コメントのお返事と投稿が前後してしまいますが、いつも大切に読ませていただいています♡
2月に入ってから自分でも信じられないペースで書き続けていますが、忙しくなればなるほど書きたいことが出てくるという不思議な精神状態…。今回も直接BTSとは関係がない記事になってしまいますが、お付き合いいただければうれしいです。
The oceans are drowning in plastic
海はプラスチックに溺れ
Marine animals are suffering, it's time for a change
海洋生物は苦しんでいる 変化が求められている今
With the power of WE, us together
僕たちの力で
Our small actions can turn a ripple into a new wave
小さな行動の積み重ねは波紋を新しい波にする
Let's rethink the life of a product
製品の一生を考え直そう
Recycle ocean-bound plastics
Use more eco-conscious packaging
海を汚すプラスチックをリサイクルして
環境へ配慮したパッケージングを選ぼう
Repurpose old devices for new uses
古いデバイスも新しい用途のために再利用できるはず
Let's work together for a better future
よりよい未来のために一緒に頑張ろう
環境破壊は言うまでもなく、我々が考えなければならないトップイッシューの一つですが、私はこの分野に関して勉強不足なので、代わりに、同じリサイクルでも日本が抱える「人間リサイクル問題」について少しだけ話そうと思います。
と言っても「人間リサイクル」というのは私が勝手に言っているだけで、いわゆる臓器移植のことです。前回引用した8年前の自分の日記を捲っていたら、とある脳外科医の先生(名前の記載はなく、今覚えているはずもないのですが)が、臓器移植推進のために123回目に行ったという公演を聞かせていただいたときのことが記されていたのです。
患者さんの死に目に際してご家族に臓器移植の話を持ち掛けるのを躊躇してしまう腑抜け医師に対して、救える命を救うチャンスをなぜ拾おうとしないのか、と若干批判的な口調で熱く語る先生の言葉に、自分の気持ちがまったくついて行かず、むしろ反発するような心で話を聞いていたことを鮮やかに思い出しました。
「マクドナルドの店員さんはメニューを提示してくれますよね。チーズバーガーにしますか、チキンナゲットにしますか、マックシェイクにしますかって聞いてくれる。そこから我々は選ぶわけですよね。臓器提供も同じなんですよ。我々医師は、ご家族にメニューを提示しなきゃならない。メニュー1:脳死。メニュー2:心臓死。メニュー1だと心臓、肺、肝臓、すい臓、腎臓、小腸、眼球があって、セット提供もありかもしれないけれど、ほとんどアラカルトかな。メニュー2だと腎臓、肝臓、眼球だけですよ。って感じで提示してあげないと、ご家族は選べないですよね。我々がメニューを提示しないといつまでたっても救える命が救えないんですよ。」
これは私の記憶の中でデフォルメされた脳外科医の言葉なので、ここまでシュールだったかは別として、マックの比喩は日記から抜粋しているので先生の言葉そのものです。そしてこの公演を聞いた当時の私は、この先生の言葉に違和感しか感じなかった、大切な家族を失おうとしているその時に、メニューを冷静に見れる人間が果たしているのだろうか、私はマックの店員にはなれない、と日記に書いています。
「死亡メニューと臓器メニュー」をもとに「淡々と行われるべき」人間リサイクル。皆さんはどうお感じになるでしょうか。
複雑な心境かと思いますが、一方では、渡米して心臓移植を受けるための募金活動をする、〇〇ちゃんのご両親の必死な姿を何度も見たことがありますよね。なぜ渡米しなければならないのか。世界最高峰の外科技術を誇る日本で、なぜ心臓移植を受けられないのか。そんな疑問を抱いたことがある方もいらっしゃるはずです。
ご存じの方も多いと思いますが、念のためおさらいすると・・・
(以下日本臓器移植ネットワーク (jotnw.or.jp)から抜粋です)
♥法的背景からー
1960年代、諸外国で移植医療が行われ始めたのと同時期に日本の移植医療もスタートを切りました。世界初の心臓移植の翌年に札幌医大で日本初の心臓移植が行われましたが、このときに、脳死と移植医療に対する強い不信感が生まれ、日本での移植医療は停滞してしまいました。
1997年10月16日に、ようやく脳死下の臓器提供を可能にする「臓器の移植に関する法律(臓器移植法)」が施行されましたが、脳死下に臓器を提供する場合、本人の書面による意思表示と家族の承諾を必須とするなどの世界でも類を見ない厳格なルールであり、脳死下の臓器提供は増えませんでした。
一方、世界のどの国においても臓器の提供は足りておらず、2008年の国際移植学会で「移植が必要な患者の命は自国で救う努力をすること」という主旨のイスタンブール宣言が出されたことで、海外渡航による臓器移植に頼っていた日本でも臓器移植法の改正に拍車がかかり、2009年に改正臓器移植法が成立し、2010年7月に全面施行となりました。
これにより、本人の意思が不明な場合にも、家族の承諾があれば脳死下の臓器提供ができることになりました。15歳未満であっても脳死下の臓器提供が可能となったことで、小さなからだの子どもたちの心臓や肺の移植の道が開かれました。また、死後に臓器を提供する意思に併せて親族に優先的に提供できる意思を書面により表示できるとした「親族優先提供」も2010年1月17日に施行されています。
そしてそもそも・・・
♥脳死とはー
臓器提供には、亡くなった人からの「脳死後の臓器提供」、「心臓が停止した死後の臓器提供」、そして健康な人からの臓器提供(生体移植)の3つの方法があります。
心臓死は、からだが冷たくなっていくので「死」と確認しやすいかもしれません。 三徴候(呼吸停止、心拍停止、瞳孔散大)により死が確認されると「心臓が停止した死後の臓器提供」が可能になります。
一方、脳死は、脳が全ての機能を失って回復しなくなった状態をいい、脳死になると、どのような治療をしても回復することはなく、心停止に至ります。 意識はなく、自分の力では呼吸もできません。(植物状態は、脳幹の機能が残っていて、自ら呼吸できることが多く、回復する可能性もあり、脳死と植物状態は、全く違うものです。)人工呼吸器などの助けによって、しばらくは心臓を動かし続けることもできるため、血液の流れが維持され、身体は温かい状態ですが、脳死判定により脳死であることが確認されると「脳死下の臓器提供」が可能になります。
欧米をはじめとする世界のほとんどの国では「脳死は人の死」とされ、大脳、小脳、脳幹のすべての機能が失われた状態を「脳死」としています。イギリスのように、脳幹のみの機能の喪失を「脳死」としている国もあります。日本では、脳死での臓器提供を前提とした場合に限り、脳死は人の死とされます。
ようするに、欧米は移植に関係なく「脳死=死」であるのに対して、日本では、臓器提供を可能にするために「死」の定義を変えた、という考え方のようですね。細かい脳死判定基準等に関して興味がある方は是非、上記ホームページをご参照いただければと思いますが…
♥日本での臓器移植の現状はというとー
現在、日本で臓器移植を希望してJOTに登録している方の総数は、約15,000人です。一方で、1年間で臓器移植を受けられた人は、約400人。わずか2~3%の人しか移植を受けることができていないというのが現状です。
移植を受けた人の平均的な待機の期間として、心臓は約3年、肝臓は約1年、肺は約2年半、膵臓は約3年半、小腸は約1年となっています。特に、待機者の多い腎臓移植は約15年となっています。
世界の臓器提供数を人口100万人あたりの臓器提供者数として世界の国々と比較すると、日本は0.77であり、アメリカの1/43、韓国の1/11に過ぎないことから、他国と比較して臓器の提供件数が少ないといえます。 言い換えると、日本は、自国において臓器移植を受ける機会が少ないこととなります。
内閣府世論調査によると、仮に、家族の誰かが脳死と判定された場合または心臓が停止し死亡と判定された場合に、本人が臓器提供の意思を書面によって表示をしていたときに、その意思を尊重すると回答した人は87%でした。一方で、家族が脳死下臓器提供の意思表示をしていなかったときに提供を承諾できると考える人は39%で、承諾できないと考えている人は49%に達します。
ということで、健康な時にこそ、自分の意思を家族に伝えておかなければならないわけですね。
私は、正直まだ患者さんご家族に臓器提供の選択肢を提示したことがない上に、上級医がそれを切り出しているのも見たことがありません。それは、片手で数えられる程度しか脳死に至った方を診たことがないというのもありますが、やはり「マックの店員になりきれない」価値観も、そこにはあるのではないかと思うのです。
でも、そもそも「スマートでぶっきらぼうなファストフード店の店員」を目指すから心情的に難しくなるのであって、むしろ目指すべきは「湿っぽい愛に溢れる中古楽器屋の店員」なのだろうと、これを書いている今、思います(ファストフード店の店員さんでも優しい人はいっぱいいますが!汗)。
目の前にあるのは、本来の音を奏でることはできなくなってしまったけれど、まだまだ立派なパーツが残された、世界で一つだけの楽器。それを解体せずにその楽器ごと終わりを迎えさせてやりたいという気持ちも一方では理解しながら、でもこのパーツを一部いただけるのであれば、別の楽器の一部としてまた素敵なメロディーを奏でることができるよう、奇跡の出会いをぜひ斡旋させていただきたい、と申し出るような気持ちでご家族にお話しできたら、と思うのです。
世界のどこかで、愛する人の一部が生き続けているというのは、救いになることもあるだろうし、臓器移植というのは決して、弱った人間にたかる冷淡な医療ではなくて、命の最後の瞬間にあってもなお、人が人と繋がるチャンスを与えてくれる温かい医療だと思うから。
「私はあなたであなたは私」
そんな思いにさせてくれるイマジンの素敵なアレンジを最後にご紹介したいと思います。
メッセージカードをメンバーが掲げるという演出が、冒頭のBTSの動画と重なりますが、もう一工夫されていて、私は大好きなMVです。
これを聞くと、臓器を提供してもらうために国境を超えることが許されないのが皮肉に感じられるかもしれないけれど、「自分のモノなんか何一つない」と言われてみれば、私たちの身体だって一時的に神様に貸してもらったものに過ぎないのだから、もう少し楽に手放してもいいのかなという気持ちになります。
It’s easy if you try
No hell below us
Above us, only sky
Imagine all the people living for today
その気になれば簡単だから
大地の下に地獄などなく
頭の上にあるのは 空だけ
想像してごらん みんなが今日を生きている
It isn’t hard to do
Nothing to kill or die for
And no religion too
Imagine all the people living life in peace
難しい事じゃないから
殺したり、殺されたりすることもなく
宗教もない
想像してごらん みんなが平和に暮らしている
But I’m not the only one
I hope some day you’ll join us
And the world will be as one
でも夢にみてるのは僕だけじゃない
いつか君が仲間になってくれたら
世界は一つになるんだよ
I wonder if you can
No need for greed or hunger
A brotherhood of man
Imagine all the people sharing all the world
君にできるかな
欲張る必要も 飢える必要もなくなって
人類は兄弟になる
想像してごらん 人々が世界を分け合ってる
But I’m not the only one
I hope some day you’ll join us
And the world will live as one
でもそれは僕だけじゃない
いつか君が仲間になってくれたら
世界は一つになって生きられる