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いつもBTSに関係ない記事にまでお付き合いくださり、ありがとうございます。
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先日、The Truth Untoldの件で打ちのめされてから?BTSとは関係のない記事をまたいくつか書いてみたりして、、、でも先程久しぶりにフォロワーさんの数が目に入り、節目の500人のタイミングでこの投稿を書くことになったのを少しだけ感慨深く思っています。
早速いつものTMIですが、皆さんは今までに何回ぐらいお引越しされていますか?
君がどこで生きていようが
僕がどこで生きていようが
もう長いこと走ってるよな
僕はまたしばらく走ってる
このまま流れに乗って
そしていずれ死ぬ
この僕の街で
ひょんなきっかけで最近数えることになって気づいたのですが、私は12回でした。通った学校は10校。幼い頃は父の仕事の関係で、大学以降は自分の都合ですが、5年以上同じ場所に住んだことがありません。しかも、何度か国境も超えているので面倒というのもあるのですが、母校に戻って同じキャンパスを踏むという経験をしたことがほとんどありません。出身は、という質問にも少し言葉を詰まらせてしまいます。
宇多田ヒカルさんが20代の頃に欧米メディアのインタビューに対して、自分は日本にいる時もアメリカにいる時も外国人であり、自分の居場所という概念がない、でも常に狭間にいる感じに慣れているので、それが自分にとっては居場所なのだと思う、というようなことを言っていて、妙に共感したのを覚えています(10年以上前に耳にしたインタビューなので少しずれてるかもしれません)。
そしてこの「外国人」感覚のせいなのか、あるいは「過去を振り返らない」性格の度が過ぎるのか、私は自分が通ってきた道を振り返る作業を、このブログを始めるまで、ほとんどしてきませんでした。SNSもない時代を含めて12回も引っ越しをしているので、希薄な友人関係はどんどん淘汰され、友人も少ない方だと思います。
他方、父は自分の出身地や母校をとても大切にする人で、今でも小中高大の同級生と定期的に飲みにいくような関係を維持していて、父の強い自己肯定感と繋がっているように思います。
言葉が見つからないけど
俺は死んでも言えねえな
数億万やるから他で生きろなんて
そんなの御免だ
一山 俺が死んでも埋められたいところ
RMの花の街
家みたいなものだったラ・フェスタとウェスタン・ドーム
幼い頃 俺を育ててくれたフゴク学院村
世界で最も調和している場所
自然と都市、ビルと花
漢江より湖水公園が好きな俺
小さくても温かく抱きしめてくれる お前
俺が自分を見失いそうなとき
ここで色褪せた昔の俺を探すんだ
思い出す お前の香り 何もかも
お前は俺の夏、秋、冬、そして今年もめぐってくる春
翻って、このブログを読んで下さっている皆さんには、きっと私が自己肯定感が低い人間だというのがある程度伝わっていると思うのですが、母は、私が母校で学んだ時間を軽んじるたびに、自分の過去を大切にした方がいいとたしなめ、私がいつまでも自信を持てないのは今まで歩んできた道を素直に評価しないからだと指摘します。そして実家に届く同窓会のハガキにも大切に目を通し、ほんの一時期でも夢を共有した仲間は大切にしなければならないとリマインドしてくれます。
俺は全羅南道光州
俺の足が山に向かっていても
無等山の頂上へ 毎日毎日
俺の人生は熱い 南方からの熱気
以熱治熱の法則をほったらかしとはな
俺はKIAに乗ってエンジンをかけ
狂ったように出発
ひたすらダンスという大きな夢を追って
今や現実 音楽とステージの上が跳ねてる
みんな見たか 情熱を感じただろ
俺は光州のホシギだ 全国全土を這う
俺を見たいなら7時の方向に集合
みんな押せ 062-518って
そんなわけで、ここ最近、メンバーの過去の卒業シーンを目にしながら、母の言葉を思い出し、Ma Cityの歌詞を思い出していたのです。
今という時間は、過去が作る文脈の中でこそ意味があるわけで、今を大切にするということは過去を大切にすることだし、どんな過去であれ、それを受け入れて大切にしてあげることではじめて今を大切にできる。
大邱で生まれ大邱で育った
輸血を受けるのはちょっと難しい
身体の中には青い血
こいつはアルバムを出すたびに大邱の話をして
飽きないのかって思うかもしれないが
俺は大邱の男
そうさ「D Boy」
正直大邱には自慢できることは何もねえ
俺が生まれたこと自体が大邱の誇り
ああそうだよ
自慢することがねえから
誇らしく思うしかねえだろ 違うか
大邱出身で一番成功した奴は俺だって
こんな声が聞こえる
よく見ておけ 今は俺が大邱の誇り
新しい時代の新しい風
大邱の過去であり現在そして未来だ
以前、BTSとARMYの絆は、共通の記憶の上に成り立っているというようなことを書いたけれど、いろんな出身のいろんな文化的背景を持つ、いろんな肌の色の人間が、ある種「BTSという共通の過去」をもつことで、「共通の今」を大切にしている「家族」がARMYなのだろうと思います。それは時にBlack Lives Matter運動のような大きなエネルギーになるわけだけれど、この共通の過去というのは、苦労が大きければ大きいほど、強力な絆を作りだすわけですよね。
その意味で、バンタン自身が自国での誹謗中傷や世界でのアジア人差別に耐えてそれを乗り越えようとしてきた「過去」は絆の醸成にもってこいだったし、フェイクニュースの解明をARMYに強要するような仕掛けも、ARMY同士の絆を作るためのからくりだったわけで、「労力を費やして得たものほど大切にする人間心理」を巧妙に利用し、ARMYをまさに「育ててきた」のがBTSというグループなのでしょう。
そしてそうやって育ったARMYは、BTSランドを自分の「出身地」の1つのように感じるようになるのだと思います。ペン卒などという言葉、BTSを知るまで知りませんでしたが、卒後でさえ懐かしくなって、たまにBTSランドに戻るARMYは多いのではないでしょうか。だって戻るのはあまりにも簡単だから。彼らの歌を聴けば、青春の夢の香りに包まれて、過去の自分に会えて、その過去ごと包み込んで温かく迎え入れてくれる彼らと現ARMYとがいる。
そしてこのディズニーランドならぬBTSランドという発想、何も私が思いついたものではなく、私が勝手に先輩と慕っているブロガーさんの言葉であり(The Truth Untoldコメント欄参照)、年パスを買うかウジウジ迷っている私を、彼女は今チケット販売ブースから見守ってくれているというのです。不気味な美しさを放つスメラルドの花を片手に、かわいい耳までつけて。
釜山の海
Say lalalalala
青空の下 この地平線
Say lalalalala
おじさんたちは手をあげて
おばさんたちも手を振って
僕の街においで
来いよ俺の街に
よく見てろよ
パーティーのやり方はわかってる
俺を育ててくれた街
そうだ
ここが俺の街
俺の街へようこそ
すでに半年かけて60も記事を書いていて、まだチケットブースの前にいるというこの衝撃。このまままたBTSランドに乗り込んだらどんなカオスが待っているのか…。わくわくしたり、不安になったり、また裏切られたような気持ちになったり、また信じたり、ますます忙しくなって、ますます成長しちゃうのかしら。果たしてちゃんと抜け出せるのか。
でもここまで誘われて、買わないわけにはいかないですよね、年パス。
ここは誘われるがままに、「私の街」にしてしまおうと思います。BTSを。
最後までお読みいただきありがとうございます。
こんな私ですが、これからもよろしくお願いします♡