最近、チェンマイ市内から東の山の麓のエリアによく来ている。
昔のチェンマイを知る者としては、最近のチェンマイは、どうもチェンマイじゃないような氣がしてならない。
特にコロナ以後は。
コロナで、観光業が主な産業であるチェンマイは、大打撃を受けた。
観光に関わる商売をしていた所で体力のない所は潰れた。
代わりに、バンコクのお金持ちがオーナーになっている所が増えた。
人口の5%が、95%の富を牛耳っていると言われたタイ🇹🇭、ホンマかどうかは知らんけど、タイの金持ち階級にしてみたら、コロナなど何するものぞだったかも知れない。
それどころか、コロナで、ホテル、事業、店、土地などを手放した人から安く買い叩いた人もいたであろう事は、容易に想像出来る。
コロナで、豊かな人は、より豊かになり、貧しい人は、より貧しくなった、と言うのは、タイだけではなく、世界的な事かも知れない。
タイの富裕層が、買った物件を、富裕層の為にリノベイトして、これがチェンマイですよ、と言われても、誇り高きランナータイ王国の古き良き時代のチェンマイを知る者としては、それ、ちょっと違うんやけど、と思ってしまうのである。
おそらく今後、チェンマイの旧市街を中心としたエリアは、観光による収入を求めて、より綺麗に、機能的になって行き、街全体が、歴史的テーマパークのようになって行くのかも知れない。
チェンマイの人々の生活を考えれば、それは、それで良いのであろう。
が、
昔ながらのチェンマイは、そこには無いのである。
機能的になればなる程、速く、正確に、と言う事が求められる。
そこに無駄な時間は必要なくなる。
自分達の格闘技の練習においても、同じ時間を使うなら、無駄の無いように、効率、能率を突き詰めて行く。
しかし、そればかりでは、人間は、パンクする。
何故なら人間は機械ではないから。
人間が機械なら、『わかちゃいるけど、やめられない。』なんて事は生じないから。
解剖学者の養老孟司先生は、
「AIが人間に近づいた?バカ言っちゃいけないよ、人間がAIに近づいたんだよ。」と、言われている。
そして、何でも枠に収めて、数字に置き換える人間の思考に警鐘をならされている。
少子化の原因→収入が少ない。
教師不足→給与が少ない。
自殺の増加→収入が少ない。
果たして、そうだろうか?
大東亜戦争、第二次世界大戦に敗れた日本は、貧乏な時代になった。
が、子供はたくさんいた。
貧乏人の子沢山と言う言葉もあった。
そして、自殺は、今より遥かに少なかったのではないか。
タイでも、近年、自殺は増えている。
何故か?
一言、夢が無くなったから。
前回書かせてもらったブログで、谷口巳三郎さんの言葉を紹介させてもらった。
谷口さんは、増え続ける世界の人口に対して、このまま人口が増え続けると、いずれ食糧不足がおきる。
それに対抗する一つの手段としては、東南アジアの食糧生産を増やす事である、と、60歳を過ぎてから、タイの若者に、安全で、持続可能で、それでいて、生産量を増やす農業を指導された。
又、農民の貧困問題。教育問題にも取り組まれた。
その谷口さんが、言われた言葉、
希望を持っている人の瞳は輝いている。
君達の瞳は輝いていますか?と。
能率、効率を追求し、AI化した脳を持ち、希望を持って瞳を輝かせている人は、どれだけいますか?
能率、効率を追求する思考回路には、非能率、非効率は悪になるのかも知れない。
年寄り、障害者などの社会的弱者、生産性の低い人は、そう言う思考回路にとっては、どうですか?
喜怒哀楽の感情もAI化した脳は、数値化していくのだろうか。
タイ🇹🇭チェンマイ郊外の田舎町ドイサケットには、まだまだ能力、効率化では推し量れないのんびりとした雰囲気が残っている。
ガツガツしていない人々。
自分も会長も、チェンマイの街の中より、ゆっくりと時間が流れる郊外の方が好きである。
今日行ったカフェは、ドイサケットの街のワット プラタート ドイサケット寺の麓。
道路の道端の木陰にあるカフェ。
カフェと言っても、常設のカフェではなく、車を改造した移動式のカフェである。
一杯35btから50bt(約140円〜200円)
自分は、ラテを注文した。
値段は安いけど、丁寧に作ってくれる。
道端のカフェなんだけど侮るなかれ。
結構お客さんが来ている。
客は、タイ人に混ざって、白人もいる。
自分達と同じように、チェンマイ郊外の田舎町が好きな白人もいるようだ。
丁寧に淹れてくれたコーヒー☕️を車の隣のベンチで頂く。
コーヒーの産地チェンマイドイサケットならではのコーヒー☕️。
日本のその辺のブレンドコーヒー☕️より遥かに美味しいと自分には感じる。
速く、正確に無駄なく、に疲れたら、タイ🇹🇭チェンマイの田舎町を訪ねてみるのは如何ですか?