アーチャン マンに会いに行く。森の中で、イス軸法、スワイショウ、瞑想、拳舞 | lai-thaiboxingのブログ

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タイチェンマイにて意拳、ムエタイ、瞑想の研究。山岳小数民族との交流や日々気づいた事を書いて行きます。
タイ国ムエタイ協会認定トレーナー。寺田式インパルス療法士。椅子軸法認定インストラクター。



アーチャン マンとは、今から150年前にタイ東北部で誕生された僧である。


アーチャン マンは、頭陀袋一つで、山林に分け入り、1日1食で瞑想三昧の修行をされていた方で、タイ東北部、北部で知らない人はいない、と言われる僧である。


アーチャン マンは、不思議な能力を持っておられた方で、瞑想中に天上界から地獄界まで様々な世界に行かれた。


そして、そこで、仏教の法を説かれていた、と言う。


アーチャン マンは、タイ仏教サンガから任命されて、一時期、チェンマイ市内のど真ん中、大きなチェディ(仏塔)のある寺、ワット チェディルアンの住職をされていた。


が、


そこを抜け出して行方不明に。


その行方不明になられていた時に、来られていた場所の一つがチェンダオだった。


チェンダオは、リス族、カレン族、ラフ族などの山岳少数民族の多く住むエリアで、今も、現役のシャーマンがいる。


不思議な能力を持っていたと言われるアーチャン マンは、彼らシャーマンとも交流があったとか。


会長の妹が自分に、

「何でタイ🇹🇭に住むようになったんや。」と、聞いて来た。


自分は、即座に、何故か、

「アーチャン マンに呼ばれて来たんや。」と応えていた。



チェンダオと言う高原の町の由来は、チェン もしくはチェーンが町と言う意味で、ダオが星である。


直訳すれば、星の町。


少々ロマンチックな名前であるが、自分には、アーチャン マンが修行をされていた、と、聞くまでは、ちょっと不気味な町だった。


と言うのは、チェンマイからチェンダオを抜けて、ファーンへ向かう幹線道路から見える山が、兎に角、不気味だったから。


トーマス マンと言うドイツの作家が、『魔の山』と言う小説を書いたが、そのタイトル、魔の山の呼び名に相応しい、と自分は感じた。


巨大な真っ黒な岩の塊。


幹線道路を通る度に、魔の山の異様さを感じていた。


南側から見たドイ ルアン山



チェンダオの観光資源は、自分が魔の山と呼んでいた山、ドイ ルアーン山の麓にある洞窟と、日本人が開発した土管温泉♨️とそれに隣接してあった露天風呂位だった。


タイで3番目に高いドイ ルアーン山への登山と言うのもあったが、これは、国立公園に指定され、又、自然保護区に指定されているとかで、入山の時期、1日の入山出来る人数制限もあり、一部の人にしか解放されてなかった。


魔の山は、人が入るのを許してない、と言った感じで、又、地元の人からは、霊山として崇められて来たのだろう。


ただ、この魔の山、南側から見るのと北側から見るのとでは全く違う山なのである。


南側から見ると、黒い岩の塊🪨に見えるのが、北側から見ると、北アルプスにいるのか、と錯覚してしまう位の美しい稜線を見せてくれる。


本当に、面白い、と言うか、不思議な山なのである。


北側から見たドイ ルアン山。



南側の麓にある有名なチェンダオ洞窟から東側の道を山に入った場所にあるのが、アーチャン マン縁の山の洞窟寺である。


確か、アーチャン マンが修行されていた洞窟の場所に、お弟子さんが、寺を建てた、と言うものだったと思う。


猫のクロちゃん🐈‍⬛が亡くなった時、命って何や、と思って、アーチャン マンの寺に行きたいな、と思っていた。


そして、訪れた。


クリスチャンである会長は、駐車場で待っていてくれる、と言う事で、自分は、山寺の階段を一人昇る。



この寺は、チェンマイ市内にある観光用の寺と違い、修行の寺で、瞑想修行に来られている方が多い。


階段のあちらこちらに、テラワーダ仏教のお経の言葉、おそらく法句経の言葉が書かれている看板がある。


その一つ一つを読む。

タイ語の読めない自分は、英語で書かれた言葉から理解するしかない。


これは、日本に、テラワーダ仏教が入って来た時、一度ヨーロッパに行って、ドイツ語や英語に訳されたのが日本に入って来たのと同じやな、と思った。


お経と言うと日本人は、インドから中国を経て入って来たもので、漢字で書かれていて、内容も難しい。


しかし、テラワーダ仏教、法句経に書かれた仏陀の言葉は、いたってシンプルな言葉である。



タイ語、英語、中国語で書かれた仏陀の言葉


アプリで翻訳する。



日本🇯🇵から選手が来た時は、この階段を何往復か走らせた。


途中、東屋があり、そこでイス軸法とスワイショウを行った。


日本🇯🇵に居た時、自分は、大阪の箕面に住んでいた。

箕面の滝周辺は、役行者が修行され、又、終焉の地でもある。

自分は、時々、滝道の瀧安寺の奥之院へ行って稽古をしていた。


日本🇯🇵の森とタイ🇹🇭北部の森は趣きが違う。

単純に言えば、タイ北部の方が生き物が溢れている。


タイ北部の森の中で、溢れる生き物の声を聴きながらのスワイショウ。




こんな日があっても良い。


スワイショウをしてから再び、山寺の階段を登って行く。


本堂に到着した。


瞑想されている方々が何組かいた。



本堂の奥にアーチャン マンとそのお弟子で、この寺を建てられた方の像が安置されている。


アーチャン マンの像の前で、久しぶりに座らせてもらった。


アーチャン マンと一対一でいるような氣になっていた。







アーチャン マンと暫く対峙させてもらい、その後、森の中で拳舞をさせてもらった。



自分の所に稽古に来た人と、この寺で、イス軸法の稽古やスワイショウ、拳法の稽古が出来たらいいな、と思う。


霊山ドイ ルアーン山、神の山での稽古。




稽古の後は、チェンダオのカフェや温泉♨️で、ゆったり、まったり。



京都の元地上げ屋の藤川さん。はちゃめちゃな人生を経て、タイで坊主になられた。藤川さんには、自分が教師をしていた学校に来てもらい授業をしてもらった。






中学生に、売られて行く子の話をしてくれた。お父さんがヤクザやった子が食い入るように聴いていたのを思い出す。