卒業式 日本とちょっと違う。 | lai-thaiboxingのブログ

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タイチェンマイにて意拳、ムエタイ、瞑想の研究。山岳小数民族との交流や日々気づいた事を書いて行きます。
タイ国ムエタイ協会認定トレーナー。寺田式インパルス療法士。椅子軸法認定インストラクター。



今日、上の娘の卒業式があった。


自分は、日本🇯🇵にいた時、中学と高校の教師をしていた。


最後の7年間は、中学校の生徒指導主事をしていた。


卒業式前は、緊張感を持っていた。


中学校は、残念ながら学年によってカラーが違っていて、生徒(特に問題行動を起こして来た)と先生たちとの関係性が悪い年は、卒業式前に何か起きないかと特に警戒していた。


先生の面倒見が悪くて、一般生徒にも不満が溜まっている時に、


「卒業式前に、ガラスを割られたりする可能性があるので、氣を付けて下さい。」と、先生方に注意喚起した所、見事に予言が的中して、卒業式1週間前に学校の窓ガラスが割られ、新聞記事になった事もあった。


先生に対する恨みが深いなら、もう一度、卒業式前日に、式場破壊に来る可能性がある。


そこで、卒業式前夜のパトロールの協力をお願いしたら、PTAのお母さん達は、協力してくれたが、その学年の先生は、誰も協力しなかった事もあった。


学校が荒れるのは、生徒だけが悪いのではない。家庭だけに問題があるのでもない。


その生徒に対して、先生がどれだけ手をかけるかによる。


一生懸命面倒見てくれた人に、何かしようとする生徒は普通はいない。



卒業式の時、生徒指導主事をしていた時は、式場にほとんど入った事がなかった。


警備担当として、卒業生や他校生や不審者の対応やパトロールに来てくれた警察や教育委員会との対応などをしていた。


式後も、生徒が、校区のどこかに溜まっている、と、苦情が来た時に直ぐに対応出来るようにスタンバイしていた。


卒業式後の生徒の送り出しで、生徒や保護者には、喜びの表情があったろうが、少年係の刑事さんと自分の目は笑ってなかったと思う。


だから、卒業式を、警備の仕事では無く、保護者として参加する。しかも、日本🇯🇵ではなくて、異国のタイ🇹🇭で、との言うのは、新鮮だった。


タイ🇹🇭チェンマイの卒業式の朝は早い。


学校からの連絡で、家族は、7時半には会場に入って欲しいとの事だった。


式は、8時から10時半の予定。


この時期、チェンマイ昼前になると気温は35℃を超える。最高気温39℃と言うのが当たり前である。


だから、朝早い内ならまだしのぎやすいので、朝早くから式は始まる。


保護者は、1名に限り椅子に座れるとの事だった。


日本🇯🇵の卒業式では、保護者席は、満席と言うのが当たり前なんだけど、家族に一席と聞いたけど、保護者席はガラガラだった。


しかも、椅子に白布が被せてあるVIP席もガラガラだったので、自分は、会長と共にVIP席に座らせてもらった。


日本🇯🇵なら、卒業式は体育館で行われるが、娘の学校には、そもそも体育館がない。


暑いタイで体育館に鮨詰めされたら、冗談抜きで死人が出るだろう。


式場は、大きな天井を持つコンクリートのオープンスペースである。


普段、そこで、体育の授業が行われている。


天井を見上げると、巨大なファンが回っていて、結構涼しく感じられた。



天井に巨大なファンが付いている。


娘の学校は、カソリックの学校で、幼稚園から高校まである。


今日は、それぞれのカテゴリー全てを一緒にして卒業式を行われる。


生徒の前に立って、指示を出していたのは、女の先生だった。


日本の学校では、男女平等と言いながら、女性の先生よりも明らかに男性の先生が、生徒に対する指示を行っているケースが多い。


しかも、日本なら体育の先生がそれをしているのがほとんどである。


体育の先生が指揮を出来ない学校は、ある意味、しんどい学校で、生徒のコントロールが効いていない学校である。


学校が荒れているかどうかは、体育の授業を見れば大体わかる。


が、


娘の学校では、女性の先生が堂々と舞台に立ち指示されていた。生徒は、先生のコントロール下にある。


タイ国国歌吹奏で式は始まる。

演奏は、生徒のブラスバンド部。


シスターの話があり、その後、校長先生から卒業証書の授与である。


幼稚園から始まり、小学校、中学校と行き、娘の高校生の段になった。


幼稚園から15年、この学校に行って卒業する生徒が数名いて、特別表彰されていた。


娘は、小学校1年生から12年お世話になった。


日本🇯🇵なら、証書の授与は一回だけなんだが、終わったと思っていたら、もう一度、名前を呼ばれて、壇上で、何かを渡されていた。


その後、生徒によるタイ古典部用やダンスなどが行われた。


日本なら三年生を送る会で行われるような事を卒業式で、やっていた。


高校3年生が退場した。


ここで驚いた。日本🇯🇵の卒業式と決定的な違う事を発見した。


誰一人として泣いていないのである。

日本なら退場の時、誰かしか泣いている。



一旦、式場後方に退場した高校3年生が一塊になる。

それを取り囲むように、高校2年生と1年生が円を作った。


何をするんだ、と思ったら、突然、


「先生!」と大きな声がした。


これは、自分に、先生!と聞こえたのだけど、勿論、タイ語で、発音がセンセイに聞こえただけである。


が、


それは、ラグビーニュージーランドのオールブラックスが試合前に行うハッカにも少し似ていた。


会長に聞くと、先輩に感謝とエールを送っているそうである。



それが終わると、再び、三年生は元の席に着く。


式の最後は、タイ国国王讃歌。


そして、幼稚園児から順番に退場となった。


ここからが、タイの人々にとっては本番となる。


あれだけガラガラだった保護者席だったけど、この時間になると、こんなに人居たっけ、と言う位人が湧いて来て、写真撮影会となる。


その写真撮影用のグッズが学校周辺で売られている。


花束に始まり、ぬいぐるみなども。そして、これも日本人なら絶対にしないであろう、お金の首飾り。


娘も首から100bt紙幣を何枚もぶら下げていた。


日本🇯🇵と違って、涙の全くない卒業式。南国ならではのおおらかさと言うものだろうか?


日本🇯🇵の型にハマった卒業式とは違う雰囲気の卒業式。


本人も家族も喜んでいるのだから、これはこれで良い卒業式である。


娘が12年お世話になりありがとうございました。

ゆったりした雰囲気の学校で、娘は伸び伸びと成長させてもらいました。

良い学校に行かせてもらいました。


卒業式やからスーツで行こうか、と思ったけど、スーツで来ている保護者は誰もいなかった。スーツで行っていたら逆に浮いていただろう。


写真撮影用の場所が他にも数カ所あった。


次は4年後。