猫の黒ちゃんは、今日も快適。
年明けから喘息に悩まされていた。
1月にタイ🇹🇭チェンマイの病院の喘息専門の所に行ったら、いつから、どのような症状が出て、それに対して、どの薬を飲んで、どのように対処して来たか、を説明しても、まともに聞いてもらえず、
「はい。今、喘息の症状だから、この薬飲んで。」と、言われた。
対処療法をしても、原因を抑えないと、と思っていても、それを聞いてもらえないからしょうがない。
自分のは、12月の初めくらいから、気温が下がったのと、家の前の田んぼが埋め立てられ、その埃がまともに家の方に降り注いだせいか、咳が出だしたのが始まり。
会長が、咳が出てるから、咳対策の薬を飲め、と強要して来たが、自分は、咳が、埃か、もしくは、気温に対するアレルギー反応だから、咳よりもアレルギーに対して何とかしないと、と考えていた。
だから、アレルギーの薬を飲んで、生理的食塩水を買って鼻洗浄をした。
左の鼻から水を入れると右の鼻から水が出た。が、右の鼻から水を入れたら、どこからも出て来ない。
三年前に右の鼻の副鼻腔炎の手術をして右の鼻の通りは良くなっていた。
右の鼻の穴から水を入れて、出て来ないのは、どうも眉間の所の空洞、前頭洞に水が入っているようだ。
丁度、いい洗浄になって良い、と思っていたら、年末、どうも副鼻腔炎の症状、つまり、膿が出て来ているようだった。
しかも、その膿は、前回の副鼻腔炎の時のように鼻から出ずに、喉の方に流れている。
症状で言うと後鼻漏と言う奴である。
朝、3時か4時になると、寝苦しくなって起きるようになった。
年末年始と、日本🇯🇵から人が訪ねて来てくれていたので、前回のように病院に行って手術と言うのは避けなければならない。
薬局で、抗生物質アモキシリンを買って飲んだ。
今イチ、効いているような気がしなかった。
ネットで調べたら、副鼻腔炎には、アモキシリンより別の抗生物質が良いとの事だった。
近所の薬局に行き、調べた抗生物質がないか、と聞いた。
その薬局には、生憎、その薬は無かったが、同じような成分だと言って別の抗生物質を勧められた。
後鼻漏はマシになったような気がした。
が、
アレルギーの方の対処が甘かったので、年明け、喘息による呼吸困難に数年振りになった。
メプチンと言う気管支拡張の飲み薬を飲んだ。
呼吸困難はその時は無くなった。
が、
その日から喘息の症状が度々出て来て、早朝は勿論、運動時にも出て来た。
1月末、運動がほとんど出来なくなる。
でも、アレルギーは、季節的なものだろう、とたかをくくっていた。
が、
良くならないので、1月末に先述の一回目の病院行きをした。
この時は、喘息と言っても、吸入は、早朝に1回したら何とかなっていた。
鼻洗浄が出来ないのでネプライザーを購入して、ミストで鼻を洗浄した。
そして、2月11日から急遽日本🇯🇵に2週間行く事になった。
で、その前に何とかしないと、日本🇯🇵で症状が悪化する可能性もあるからと、2回目の病院。
2回目は、喘息専門の先生ではなく、耳鼻科の先生の所に行った。
そして、この時、通訳の方が、ことの経緯を熱心に聞いてくれて、耳鼻科の先生に説明してくれた。
この耳鼻科の先生は、副鼻腔炎の手術をした先生ではないけれど、ちゃんと話を聞いてくれた。
そして、ファイバーで鼻の中のチェック。
先生と一緒にモニターを見た。
確かに炎症を起こしていた。
今まで、色んなケースを見られて来た通訳の方は、医師よりもしっかりされていて、患者の立場に立って話をして下さった。
「結局、どの薬が合うか、ですね。」と。
医師、通訳さん、自分と診立てと意見は一致していた。
抗生物質と去痰剤と日本へは持ち込み禁止になっている薬をもらった。
抗生物質は、日本の寒さで反応が出てはいけないからと2週間分もらった。
日本への持ち込み禁止の薬が、個人の感覚としては一番良く効いていたような氣がする。
日本🇯🇵に着いて、予想通り、寒さで直ぐに反応した。
少し気温が下がるだけで、呼吸がおかしくなった。
コンビニで買い物して、車に戻っただけで、長距離を走った時のように、息が、ハァハァと上がった。
泊まらしてもらった友人のマンションが大改装とかで、ペンキがマンション全体に塗られて、ペンキの匂いに身体が反応する。
又、友人の部屋は引越し前で、埃も普段より多い。
早朝、3時か4時からの発作が始まる。
部屋から出ると温度差で発作。
少し歩くと発作。
チェンマイでは1日1回だった吸入を発作の度に行った。
息が出来ないのでしょうがなかった。
段々、歩ける距離が短くなる。
移動は、誰かに車に乗せてもらわないと、数百メートルが、遥かな距離になっていた。
気持ちは、元気でも、身体は、完全に病人だった。
喘息が酷くなって10年前に教師を辞めた。
その辞めた時より、今回のは、酷くなっていて、これでは、どんな仕事も務まらない状態になっていた。
日本🇯🇵でのミッション(運転免許の更新、イス軸法のインストラクター練習会、大学空手道部の指導)以外に、会って欲しい、と直接連絡をくれた人には、会う事にしようと決めていた。
最初は電車に乗って会いに行っていたのが、駅まで歩く事が出来なくなって、友人の車で送ってもらう形になっていた。
最終日前日に、連絡して来たサッカーの教え子には、流石に、会うのを断った。
チェンマイに帰る直前には、喘息の症状が酷くて、会える状況になかった。
後、もう一人、会う予定だった人物にも会えなかった。
その人物は、三浦泰年。
彼とは、チェンマイで知り合った。
彼は、チェンマイでのある意味、戦友で、又、自分のチェンマイでの弟子第2号でもある。
こちらから、一時帰国の際に会いに行くと言っていた。
彼には、自分がチェンマイで体得した事を伝えに行くつもりだった。
しかし、誰かに、車で鈴鹿まで送ってもらわないと、自力では行けない。
誰かいないかな、と考えていたら、ニュースが入って来た。
監督を辞任した、と。
心配して連絡したら、暇だから、自分のいる大阪に行こうかな、と言ってくれた。
結局、彼は来なかった。多分、来てもらっても、あの時の身体の状態なら、お互い会っても、満足した話にはならなかっただろう。
彼は、日本🇯🇵で監督するより、やはり、サッカーが、這い上がる手段であるブラジルなどの国で監督をした方が良いと思う。
日本🇯🇵にいた時、インパルス療法をインパルス療法の師匠の所で、受けた後、呼吸が楽になり、歩くスピードもいつものスピードになって、喘息克服に希望の光が見えた。
ただ、それも、気温が下がると喘息が出た。
フラフラになりながら飛行機に乗り、チェンマイに戻った。
タイ🇹🇭チェンマイは、季節が一つ進んで、チェンマイの冬から一気に夏になっていて、山焼きによる大気汚染・煙害も始まっている、とチェンマイ在住の日本人の方が教えてくれた。
これは、空港から病院直行かな、と機内でも、呼吸困難になり、吸入を2回した自分は、考えていた。
しかし、チェンマイに着くなり、自分の身体は、日本に居た時より好調になっていた。
あれだけ、苦しんだのが嘘みたいになっていた。
咳が出ない、呼吸も大丈夫。
病院直行どころか、自分で、バイクを運転して、自宅に戻った。
日本🇯🇵では、1時間毎に呼吸困難になって眠れなかったのが、チェンマイに帰った日は、久しぶりに良く寝れた。
これで快復したか、と思っていたら、次の日から調子が悪くなり、2日後には、日本に居た時と同じような状態になり、少し寝ては、呼吸困難で起きて、吸入。そして、又、少し寝て、吸入となった。
喘息用の吸入スプレーが手放せなくなった。
これは、呼吸が出来なくなって、数分そのままだと死ぬ可能性もあるな、と。
で、今日、病院に行く事にした。
ただ、動作を速くすると呼吸がしずらくなって、呼吸困難になる事もあるので、一つ一つの動作に時間がかかった。
病院に着いたのは12時前になっていた。
午前の受付は終了していて、前に診てもらった先生は、今日は来られてないとの事。又、前回の通訳の方も今日は来られてなかった。
他の先生なら午後2時半から予約を取れますけど、と言われたけれど、最初からの経緯を説明しなければならないのと、その先生と、共通理解が得られるかどうかもわからなかったので、前回の先生と前回の通訳さんが来られる月曜日に予約を入れて帰る事にした。
けれど、それまで何とかしなければならない。
副鼻腔炎により、卵の白身のようなネバネバした唾液が喉の方に流れ込み、それが悪さをしている。
それで、
最初に欲しかった抗生物質を何とか手に入れようと考えた。
それが、この薬。
日本では、処方箋が無いと買えない薬であるが、タイでは薬局で処方箋無しで買える。
家の近くの薬局には無かったが、会長が教えてくれた大きな薬局にはあった。
しかも、日本で買うと4200円から16800円するのが、650bt(約2600円)である。
又、日本🇯🇵にいた時に使っていた長期作用型気管拡張吸入ステロイド薬、1000bt(約4000円)もそこでゲットした。
早速、帰ってから飲んだ所、効いて来た。
今度こそ、これで克服出来る事を願っている。
何か闘病記のようになったけど。
必ず復活するで!