ラオス 2日目 学校訪問。 | lai-thaiboxingのブログ

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タイチェンマイにて意拳、ムエタイ、瞑想の研究。山岳小数民族との交流や日々気づいた事を書いて行きます。
タイ国ムエタイ協会認定トレーナー。寺田式インパルス療法士。椅子軸法認定インストラクター。

ラオス🇱🇦2日目の朝は早い。


7時過ぎには、我々は、ホテルのロビーに居た。


今回のラオス🇱🇦訪問の目的は、ラオス教育支援プロジェクトと方々が準備してくれたラオスの学校訪問とインパルス療法の師匠の寺田先生のインパルス療法のラオスでのデモンストレーションの手伝いである。


今回の訪問は、日本🇯🇵側は寺田先生を中心に準備を進め、ラオス🇱🇦側は、ラオス教育支援プロジェクトの方々が進められた。


自分は、2週間前に、インパルス療法の師匠寺田さんに、是非参加して欲しい、と言われ、


「いざ!鎌倉。」もとへ、


「いざ、ラオス🇱🇦ビエンチャンへ。」と馳せ参じたのである。


だから、どう言う企画なのか、余り知らずに参加したのである。


ただ、日本🇯🇵側、ラオス🇱🇦側の凄い熱量と言うか、情熱をLINEのやり取りの中から感じていた。


何かをやるには熱量がいる。


○○だからダメだ、とか出来ない理由を探しているようなら、始めからそれは、やる氣がないのであって、そんな企画は成功しない。


今回は、寺田先生がデビュー当時からサポートして来た武尊選手、大岩選手が、わざわざ忙しい中、ラオス🇱🇦滞在24時間の弾丸で、ラオス🇱🇦の子供達に会いに来ると言う。


寺田先生は、学生時代、インドを旅されて、一人の両腕のない乞食の少年に出会われた。


寺田先生は、その少年に、何故、両腕が無いのか尋ねた。


その少年は、

「僕の腕を切ったのは、僕の親です。僕は、腕が無いお陰で、この辺りの乞食の中で一番稼ぎがあります。僕は、腕を切ってくれた親に感謝しています。」


寺田先生は、その話を理屈としては、理解したが、人として納得出来なかった。


そうならなくても良かったのではないか、と。


そして、彼らに学歴が有れば、乞食にならずに、他の仕事につけたのではないか、と。


それで、寺田先生は、インパルス療法の施術を一回する度に50円プールして、賛同者、支援者の方々の協力も得て、アジア各地の学校のない場所に学校を建てて回られている。


そんな話を武尊選手、大岩選手も寺田先生から聞いていて、

「僕達、いつか、アジアの子供達に会いに行きます。」と言ってくれていた、と言う。


そして、今回、スケジュール調整が出来、東南アジアの最貧国の一つであるラオス🇱🇦の子供達に会いに来てくれる事になった。


又、武尊選手、大岩選手や寺田先生に縁があり、活動に賛同される方々が、今回のラオス🇱🇦行きに日程の調整をして参加された。


熱量の高い志を持った人に、同じ志を持った人々が集まったのである。





自分は、最初、寺田先生からこの話を聞いて、世話になった人への恩返しになれば、と言うのもあるが、キックボクシングの世界のトップ選手である武尊選手、大岩選手の動きを側で見たい、と正直、思った。


それは、彼らの動きを見て、少しでも、内弟子にフィードバックしたい、と考えたからである。


内弟子は、タイ🇹🇭の所謂3Kの仕事を担っているタイ社会の最下層とも言えるタイヤイ族の青年である。


コロナのロックダウン後、暫く練習に来ていたが、犯罪を犯し刑務所に1年2ヶ月収監された。


出所後、3日で、コロナによる不景気からか、父親が自殺した。


そして、彼は、悔恨の思いと亡き父の供養から、僧になっていた。


が、自分の前から黙って姿を消した事への後悔と、練習していた時の生活の充実感が忘れられなかったのだろう、自分に、又、練習をさせて下さい、と連絡して来て、7月末から練習を再開した。


彼は、稽古を再開するに際して、

「先生は、僕に何を望みますか?」と言った。


自分は、

「強くなって、チャンピオンになって欲しい、と言うのもあるけど、それよりも、これを通じて精神的に強くなり、出来れば、人からも尊敬される人間になって欲しい。」と言った。


彼は、

「わかりました。宜しくお願いします。」と言った。


現在、彼は、昼間は、寺で仏教の入れ墨を修行して、それが終わってから、ダッシュで、ジムに駆けつけている。


練習に来ない時は、寺のお坊さんと、山岳少数民族の子供達の教育支援の為、山に行っている。


父親が死に彼の家庭の生活は苦しくなった。自分は、これからは、俺が父親代わりや、と彼の家庭の援助をしつつ、彼を鍛えている。


だから、「義理」の息子の為に、武尊選手、大岩選手の動きを側でこの目で、見たかった。


そして、将来、仮に日本🇯🇵で試合させる日が来たらなら、どのレベルまで持っていかないといけないか、と肌で感じたい、と言うのもあった。


しかし、実際、武尊選手、大岩選手に会った第一印象は、二人ともとてつもなくピュアな透明感のある子(子と言う表現は失礼かも知れないけど、少年の心を持ち続けている、と感じたので敢えて使わせて頂きたい。)


武尊選手は、ピュアであるからこそ、限界を超えてまで打ち込め、K1と言う団体を一人で背負って立っていたのだろう。


そして、大岩選手は、その一番の理解者であるから、海外遠征に常に帯同して、今回も実質24時間の滞在期間であっても一緒に来たのだろう。


武尊選手は、単なるファイターではなく、何か持っている、ある意味チャンピオンになるべき宿命を背負っている選手やな、と思った。


ヤマトタケル


繊細で武勇の誉高き武人


の再来か、と言う人物である。


車は、寒季の乾いた大地を埃を舞上げなら進む。


幹線道路は、アスファルト舗装がされているのだが、幹線道路から外れると直ぐに舗装されていない地道になる。


道路脇の草や木は、アルミ分を含んだ赤土で、茶色になっていた。


今から10年以上前に、タイ🇹🇭北部チェンライの電気のまだ通っていないアカ族の村に、当時勤めていた中学校の同僚と一緒に行った。


その時も、今と同じような寒期で、雨は降らす乾燥していた。


ピックアップ🛻トラックの荷台に乗っていた同僚数名は、村に到着するまでに、全員、茶髪になっていた。


今回は、ピックアップ🛻トラックではなく、バンでの移動なので、茶髪になる心配はない。



首都ビエンチャンから1時間程車で行っただろうか、目的地の学校に到着した。


学校の入り口から、子供達が花道を作ってくれて拍手で出迎えてくれる。


花で作ったレイを首にかけてくれた。


俺何にもしてないのに、申し訳ないな、と思いながら、子供達の前を歩いた。





今回は、武尊選手達は、ラオス🇱🇦に到着した時からラオス国営放送の密着取材が入っていた。


セレモニーが始まる。


校長先生や偉いさんのスピーチ。


日本🇯🇵側を代表して、武尊選手のスピーチ。


日本🇯🇵側から先生への贈答品。


ラオス🇱🇦の先生からの感謝状。


セレモニーは、進んだ。


武尊選手、大岩選手など日本🇯🇵側から子供達へ、一人一人手渡しでプレゼントが配られた。



プレゼントが配られている時、自分は二人の子が気になった。


自分が学校の先生をしていた時、浄土真宗の自分の師匠である僧から、

「お前はな、はみ出した生徒を見てやれ、はみ出した奴をお前は大事にしてやるんや。」と言われていた。


プレゼントの列に入らずに、お母さんと思われる女の人から、列に入れ!と言われても、駄々を捏ねている男の子がいた。


自分は、母親の所に行って、どうしたんですか?と、尋ねた。


母親は、恥ずかしがり屋で、と言った。


列に並んでいる子達にも聞いた。

彼女達も、恥ずかしがり屋で、と言った。


自分は、その子の側に行って、タイ語で話しかけた。


彼には、デカいタイ語を話す男が近づいて来たので怖かったのかも知れない。


自分は、その子の側にあったブランコに座り、その子と目の高さを同じにした。


自分が座って、ミシミシ言うブランコを周りの女の子達が笑って見ていた。


男の子は、お母ちゃんがなだめても列に入ろうとしなかった。


自分が抱き抱えて連れて行こうとしたら、遂に、大声で泣き出し、左右フックを虚空に向けて連打した。駄々捏ねパンチの鶴瓶打ちである。


このままだと一人だけプレゼントをもらえなくなるので、自分は、

「お前が行かないのやったら、あっちから来てもらうわ。」と、


「寺田先生!この子恥ずかしがり屋で、皆んなと一緒にようもらわんねん。悪いけど、そっちからプレゼント持って来てやってくれへん?」


子供好きで優しい寺田先生がやって来て、いきなり抱き抱えた。


またまた、大泣きである。


スタッフの人が、プレゼントを持って来てくれた。


最初は、プレゼントをもらおうとせずに、駄々を捏ねていた子も、暫くしたら落ち着いて、珍しそうにプレゼントを触っていた。


恥ずかしがり屋だけではなく、この子には子の事情が子供ながらにあるんだろう。


プレゼントをもらわんのは、お前の勝手や、と今流行りの自己責任にしてしまったら、皆んながプレゼントを貰って喜んでいるのに、プレゼントが無いと矢張り可哀想やな、と思った。


追記、


自分がその子の元を離れ、もう一人の氣になる子の所に行った時、その子に直接プレゼントを渡しに来てくれたのは、自分が、遠目から見て、スタッフの人と思っていた人ではなかった。


何と武尊選手が直接、その子の所に来てくれたのだ、と寺田先生から、このブログを書き終わってから聞いた。ここに訂正、加筆させてもらいます。

武尊選手は、プレゼントを渡すだけではなく、その子を優しく抱き上げてくれたと言う。


実るれば、頭を垂れる稲穂かな、である。


強くなればなる程、謙虚で優しく。


そして、もう一人氣になったのは、靴を履いてない男の子である。


ラオス🇱🇦の歌手である女性が、その子に話しかけていたので氣がついた。


埃まみれの服に裸足。


でも、この子供の姿、どこか懐かしい。


どこかで見たと思ったら、子供の時の自分の奥さんの写真の姿によく似ていた。


貧しい山岳少数民族であった彼女は、子供の時に親元を離れ、おばあちゃんの家に預けられていた。

その時の写真を、タイ🇹🇭北部チェンライで山岳少数民族の教育支援施設『暁の家』を運営されている中野穂積さんが、撮ってくれていた。


中野さんは、実家のある三重や支援者のいる豊田で、山岳少数民族の子供達の写真展をされた時にその写真を展示されていた。


当時、泥々の服を着て貧しかった彼女は、子供の頃は、貧しくて、何も無かったけど、生活の事や将来の事など、考える必要も無かったので、毎日は、楽しかった、と、言っていた。


ラオス🇱🇦は、森の国と言われ、山岳地帯が多い。山岳地帯は、熱帯(亜熱帯)と言えども、冬は時には、5℃前後になる事もある。


そんな中、裸足で服も何着もないと、暖房器具のない家では重ね着して耐える事も出来ず、凍死する子供も出て来る。


子供好きで、優しい、タイに住みます芸人のあっぱれ小泉さんは、子供達を追いかけ回して、子供達が、キャッキャ キャッキャと喜んだ。


子供好きの寺田先生が、コスプレをして、これ又、子供を喜ばせる。


ラオス🇱🇦柔道ナショナルチームのメンバーが、子供達の前で、柔道のデモンストレーションを行った。


ナショナルチームの監督は、東南アジア大会(シーゲーム)で、女子柔道52kg級で三連覇したサヤラット ボンナリーさん。


彼女は、天理大学、奈良教育大学に留学されていたので、日本語が堪能で、今回は、全体の進行も含めて、通訳もされていた。



そして、続いては、武尊選手と大岩選手のエキシビションマッチである。


このエキシビションマッチに関して、寺田先生から、事前に頼まれた事があった。


「チェンマイからキックミットとパンチングみっを持って来てもらえませんか?」


自分は、

「喜んで。」と。


本当は、彼らのミットを持って見たかったけど、普段、彼らのミットを持っていない自分が、持っても彼らは、やりずらいだろう。それより、普段お互いが、ミットを持ちあっているなら、2人にやってもらう方が遥かにいい。


彼らが、子供達に、ホンマもんの素晴らしさを最大限伝えてくれる事が、子供達にとって一番いい事である。


自分は、学校訪問の様子を最初、動画で撮っていたが、途中で、iPhoneが高温で使えなくなってしまった。


エキシビションマッチの様子を動画で撮ろうと思っていたけど、これは、神さんが撮らんでええ、と言うたはるんやろ、と考え動画撮影を諦めた。


ラオス🇱🇦では、首都ビエンチャンを除いては、ムエラオのジムはほとんど無いと言われている。


ムエラオとは、ムエ=ボクシング🥊、ラオ=ラオス🇱🇦である。


ムエタイは、タイ🇹🇭のボクシングである。


ラオス🇱🇦では、タイ🇹🇭のTVが見る事が出来て、子供達の中には、タイ🇹🇭のムエタイの英雄、プアカーオの事を知っている子が多い。


日本🇯🇵のキックボクシングは、ムエ イープンと呼ばれている。イープンとは、日本🇯🇵の事である。


ラオス🇱🇦では、武尊選手や大岩選手は、ムエ イープンのチャンピオン、ムエ イープンのスーパースターと紹介されていた。


子供達が取り囲むブルーシートで、少しでも子供達が、盛り上がる事に貢献出来ないか?


自分は、そう考えて、少しでも試合の雰囲気を出してもらおうと、エキシビションマッチのレフェリーをさせて欲しい、と申し出た。


武尊選手と大岩選手からも承諾を得た。


子供達にとっては、初めて、本格的世界のトップファイターを間近で見る事になった。



最初、ムエタイとは違う回転の速いパンチの攻防を見て、子供達は本当に、ビックリしているみたいだった。


そして、途中から、

「TAKERU TAKERU」の大合唱となった。


子供達には、武尊選手、大岩選手の熱いハートは伝わったのではないだろうか。


ただ、二人のエキシビションの動画を撮られていた方々、デカい奴が急遽写り込んで、


「コイツ、邪魔じゃ、ボケ!」と思われた方も居られたかも知れない。この場を借りて、お詫びします。


寺田先生、武尊選手、大岩選手。


その後、子供達との綱引きや、あっぱれ小泉さんの地元歌手のものまね芸などで交流は進み、最後に、ラオス教育支援プロジェクトの方々が前夜から仕込んでくれた特製カレーを子供達と一緒に頂いた。


カレーを自分が食べていたら、武尊選手や大岩選手が、ラオス教育支援プロジェクトの方々と校庭の隅に行き、何やら話仕込んでいた。


楽しい時間は、あっという間に過ぎて、別れの時が来た。


そのセレモニーの中、先程話し合われていた内容が発表された。


今年の大雨で壊れた校舎に代わり、新校舎の建設を武尊選手が子供達に約束してくれたのだ。


そして、

「また、必ず来ます。」と。


武尊選手の透明感のあるピュアな心が、今度はより多くの人を動かしてくれるだろう。


武尊選手


まさにヤマトタケル。


ラオス🇱🇦の子供達のスーパーヒーローの誕生である。



「先生、僕に何を望みますか?」


「チャンピオンになって欲しい、と言うのもあるけど、それよりも、これを通じて、精神的に強くなって、出来れば、尊敬される人になって欲しい。」


自分が弟子に望む事。子供達に望む事。




https://youtu.be/uMomejyhsZM


https://youtu.be/QmgxiEGr72A