「人生は、食うて、寝て、起きて たれて、子は親となる。子は親となる。」と一休宗純さんは、言ったとか。
つまり、食うて、寝て、起きて、たれれとる内は、人は中々死なん、と言う事でもある。
自分が食いしん坊であるからかも知れないが、「食うて」、と言う所に興味が行く。
ただ、闇雲に新しい味にチャレンジしているか、と言うと、食べ物に好き嫌いの多い自分には、そうでもない。
好き嫌いにしても、自分でもよくわからない好き嫌いなのである。
例えば、鶏肉は食べれないけど、鶏ガラスープは大丈夫とか、餃子の中に豚肉と一緒に入っていたら大丈夫とか。
また、きずしはダメだけれど、バッテラはいけるとか、イカの寿司はダメだけど、刺身ややいていたらいけるとか、タコは、寿司やさしみはダメだけど、焼いていたらいける、とか。
自分でもよくわからかい好き嫌いが沢山ある。
嫌いなものだったけれど、努力と慣れで食べれるようになったものもある。
それが、タイ料理。
タイに最初に来た時は、タイ料理が全くダメだった。
タイ料理と言うよりも、タイで作られていた料理がダメだった。
タイ料理の香辛料の匂い、そして、ナンプラーと言う魚臭い醤油の匂い。又、屋台などなハエや食器を洗う水の濁り具合。
殴られたり、蹴られたり、と言う外面的な攻撃に強い身体も、雑菌やウィルスには弱く、子供の頃から風邪をよくひいたり、お腹を壊していたりした。
発展途上国は、多産多死の国が多いから、自分のように防衛体力のないやつは、早く死んで、身体の強い人間が生き残って大人になってんのとちゃうか?
だから、彼らは、自分とは、身体の出来が違うので、少々不衛生で雑菌が入っていても問題ないのでは、と思ってみたりした。
そして、最初、タイに来ていた時は、抗生物質なんかを持って来ていた。
それが、いつからだろうか、自分の身体もしぶとくなって来た。しぶとくなったのは、身体と言うよりこころの方かな。
食べれるものを食べるようになり、この店、この屋台、やばいかな、と言う所には行かないようにした。
食べるもの、食べる場所を探して、その範囲を拡大して、勢力範囲を広げて来た。
北タイ料理にしても、最初は、なんじゃこれ、だったのである。
日本にない野菜やハーブなんかがある。
そのまま食べたら、苦かったり、エゴかったり。
昆虫じゃあるまいし、何でこんなもん食うてんや?
これ、野菜と言うより、限りなく草やんけ!と思っていた。
それが、辛い物を食べた後や辛い物と一緒に食べると、辛さが和らいだりして、水を沢山飲まなくて済むとか、と言うのがわかって来たりした。
又、香辛料の醸し出す味のハーモニーが、最初は、辛いだけだったのが、このハーモニーは、これが弱い、これが強い、なんて言うのもわかって来つつある。
海から遠いチェンマイの料理の特徴なんかも、感じられるようになって来たような氣がする。
そして、今や毎週のように、北タイ料理の有名店に来ているのであり。
最初は、この店も、なんじゃこりゃ?だったのに。
その土地では、その土地の料理が一番美味い。当たり前のようであるが、それが、わかるにはちょっと時間はかかったかな。
開店時間直ぐに行くと空いていて、ゆっくりいただける。北タイ料理専門店『Huen Jai Yong.』