頑張れ、内田雄大選手。 | lai-thaiboxingのブログ

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タイチェンマイにて意拳、ムエタイ、瞑想の研究。山岳小数民族との交流や日々気づいた事を書いて行きます。
タイ国ムエタイ協会認定トレーナー。寺田式インパルス療法士。椅子軸法認定インストラクター。

2015年の年末に、伝統空手(全日本空手道連盟)の王者の内田雄大君が、総合格闘技のイベント、Rizinでデビューする。
しかも、いきなりトーナメントのリザーブマッチである。

自分は、内田雄大君とは面識がない。でも、両親とは面識がある、
特に、母親とは、大学時代、空手道部で一緒に練習した。

母親の名前は、小西智子。
自分が、大学3回生の時に彼女は一つ下の回生として空手道部に入ってきた。
彼女は、最初モダンダンス部に所属していたが、2回生から空手道部に入ってきた。
彼女が入って来る前の空手道部は、大会で好成績を残すセンスのいい先輩はいたが、いかんせん人数が少なかった。また、伝統空手でどうやったら勝てるかを必死になって試行錯誤していた時期であった。

自分は、一回生の時から伝統空手のルールによって技が限定されているのに疑問を持っていた。
具体的には、蹴りが直蹴りが主で、回転系の回し蹴りや後ろ回し等は、寸止めと言う事から、どうしても腰の入った破壊力のあるものよりポイント重視の軽い技になってしまっていた。又、突きもフック、アッパー系はポイントにならない為に、これも直突きが中心、しかも、ノーガードに近いものであった。

だから、格闘技として伝統空手を見た場合、100点満点で言うと、10点か20点位なものであろうと思っていた。
こんな事を考えていた為に、一回生の時には、新たな実戦空手同好会を立ち上げようとしてクーデターを起こした。
が、クーデターは失敗。氣がつくと8人いた同回生は、自分以外全員辞めていた。

クーデターの首謀者が、格闘センスのある先輩の説得で残ったが、他の先輩にしては面白くない。生意気な一回生とばかりに組手で潰しにかかる先輩が何人かいた。
でも、そのお陰で一回生の終わり頃には、レギュラーとして大学の団体戦に出て、他の大学の3回生と同等になっていた。
ただ、真面目に伝統空手をやっていたかと言うと、そうではない。部のない時間に一人、電柱にサンドバックを吊るして黙々と回し蹴りを入れていた。

同回生がいない事から3回生で主将になった時は、OB,先輩、そして、一つ下の後輩までもが、あいつが主将になったら部が潰れるんじゃないかと心配した。

と言うのも、大学では、練習メニューは、主将にほぼ一任されていたからである。

一つ上の先輩は、これが基本だから、これが部の伝統だから、と残念ながら基本稽古の意味を深く追及する事なく、ただ、しんどくなる練習をしていたと思う。

冬場は、空手の練習と言うより先輩が好きなスキーの為に足腰を作ると言う名目で山を走る事が多かった。
だから、試合では、残念ながら部として成績はよくなかった。

そんな中、世界チャンピオンの小西智子が入ってきた。
最初の組手の練習で自分は、面白い動きするな、入り方工夫してるな、と感心したが、いきなり右のカウンターを入れてしまい、危うく彼女の前歯を折る所だった。
世界チャンピオンと言っても女の子、怪我させてはいけない。また、部に入って来たが為に彼女が弱くなってしまってはいけない。
彼女のお陰で、伝統空手の勝つポイントと言うのが見えてきた。
また、彼女から、伝統空手の試合では、どのような攻撃によって審判の旗が上がるか、等審判へのアピールの仕方などを教えてもらった。

基本だから、これが伝統だから、と言う考えは捨てて、伝統空手で勝つポイントはスピーディーな攻撃と間合いとタイミング。遠い間合いをキープしながら相手の制空権に出入りして、ここっと言う、相手が反応出来ないタイミングでスピーディーな攻撃をしかける。その為に、どんな練習をして行けばよいかと言う事を逆算して行った。

結果、全体のレベルは、瞬く間に上がって行った。
今も、あの時のメンバーは、大学の空手道部の歴史の中でもっとも良かったと思う。
部員数も60名近くいたのではないか。OB会で諸先輩方から、有り難う、有り難うと握手攻めになったのを覚えている。

小西以外にも、男子でナショナルチーム1名、女子も1名、国体代表も男女1名づつ、輩出した。

伝統空手をスポーツとして、その競技の面白さを伝えてくれたのが、小西智子であった。
彼女は、性格は明るく誰からも愛される人間だった。

ルックスも良かった彼女には、マスコミの取材も多かった。彼女は凄いけど、他は大したことないとだけは言われたくはなかった。
そのお陰で、当時の部は、力をつけた。

毎年、12月になるとNHKで、全日本空手道選手権大会の放送があった。
日本武道館まで応援に行く金のない貧乏学生だった自分は、テレビにかじり付いて応援していた。
小西智子が、苦手な上段回し蹴りでポイントを取った時は、小躍りして喜んだのを覚えている。

内田雄大君の父、内田順久君は、大学の一回生の時からスター選手であった。
小西智子とは、ナショナルチームの合宿等で知り合い、大学時代から付き合っていた。

付き合っていた事を知っていた自分達は、大学の空手道部のコンパで内田君を呼ぼうと言う事になり、内田君に、
「お前の彼女は、俺たちが預かった。返して欲しければ、今直ぐ道場に来い。」といたずら電話を入れた所、京都から車で飛んで来てくれた。
その時も、いろいろ空手の話をしたと思う。

彼女らが結婚したら大変やろな、と当時、冗談半分で言っていた。
お父さんもお母さんも、全日本選手権3連覇。
これって、子供、大変やろな、と。
だって、どっちにも、逆らわれへんやんけ、と言っていた。

そして、彼女らの子が立派に成長して、空手チャンピオンになり、空手の枠を越えて、総合格闘技に挑戦する。

UFCで同じ伝統空手出身者で、リョート、マチダ選手がいる。伝統空手独特の遠い間合い、また、絶妙なタイミングの突き、蹴り、そして、足払い。
リョート選手は、ブラジリアン柔術も修行し、まさにオールラウンドの選手である。
彼の活躍により、伝統空手が復権した。自分がかつて、10点~20点と評していた空手が、そうじゃないと言う事が証明されたと言える。

内田雄大君は、伝統空手のキャリアで言うと、リョート、マチダ選手よりも上である。しかし、そこに落とし穴もある。
ルールで守られて来た所をどうフリーファイトに昇華出来るか、寝技の対応をどうするか?
総合の練習を1年以上やっているとの事だが、これが、柔道に置き換えると明白で、柔道を1年やりました、では、心もとない。

寝技に出きるだけ付き合わず、伝統空手の特徴、遠い間合いとタイミングでロシア選手を打ち負かして欲しい。

内田雄大君は、伝統空手のエースの遺伝子を継ぐ者、だから、必ず、何かを起こしてくれると信じている。

遠い西の空、タイ国チェンマイから君の活躍を祈っている。