2024年2月14日
日本時間バレンタインの日の朝
アメリカ時間3時半を過ぎた仕事中に
母からの電話が鳴りました
子供の頃から一番と言って良い程お世話になった
叔父が他界しました。(85歳)
大泣きしたと思われる母から
涙声で
「ショウちゃんが逝っちゃった」と
涙声で聞き取るのが大変なくらいまた泣き始めましたが
すぐ理解できました。
数年前より体調が思わしくなく・・・
今年もベッドの中での会話した
ただ会話は「もうFに会いに行く・・・」
Fとは叔父の娘、20年以上前に乳癌で他界
あの日も体調が思わしくなかったからでしょう
「Fが早く迎えに来てくれんかなぁと思っとる」と
「F姉ちゃんは迎えになんか来ない
そんな事言ってたらお姉ちゃん悲しむし、少しでも元気にならないと」と
話をして来たのが元旦
そして1月半ば
叔父がコロナで入院したと従弟から連絡があり
回復を願っておりました。
一時は危なかった・・・と聞きましたが
1週間後には無事ICUから一般病棟へ
ホッとしながら母と面会に行きました
ゲッソリ痩せた叔父、コロナで肺をやられたせいか
苦しそうで、言葉もままならず、言語障害も
その後も数回面会に行きました。
それから別の日に父が面会に行きましたが
首からチューブを繋ぎ流動食になっていたと聞いた
父が母に「もうそろそろかも知れんぞ、行けるだけ会いに行って来いよ」
そんな会話をしてました
それから1週間後、私は渡米
そしてバレンタインデーの今日
逝ってしまいました
叔父との思い出は沢山あります
厳しい一面もありながらも
優しい、優しい
とっても優しい叔父でした
今は言えます
「良かったね、Fちゃんがやっと迎えに来てくれたね」って
コロナからの回復
いっぱい頑張ったからきっとFちゃんも
「お父さんよく頑張ったね、もうこっちに来て良いよ、一緒に過ごそう」ってね
Fちゃん、叔父さんと楽しく過ごしてね
そして叔母さんや兄ちゃん達を見守っててね
そんな気持ちでいっぱいです
これからのバレンタインデーはHappyだけではない
忘れられない日となってしまいましたが
逆に忘れず叔父を思い出せる日になった
特別なバレンタインデー
叔父さん、ありがとう
心を込めて
葬儀は日本時間16日に葬儀場で執り行われ初七日まで終わりました。
今回母に香典を立て替えてもらい
弔電を出しましたが・・・
やっぱり親族の死は
こうして離れて暮らす私には辛い
"海外に住んでいる"
と言う事はこう言うこと
でも
両親にもし何かあったら・・・
その覚悟は
全く出来ていない私です。