亡き母を見送ったのは6年前。
昨年10月に七回忌を済ませた。
父親は28年前だった。
親不孝な私は父親の死に目には合えなかった。
父親に誓った!
母親は私が見送る。
やんちゃな私の次女の高校卒業を亡き母親は指折り数えていた。
卒業式から二週間後に倒れた。
心膜に水が溜まる症状で、その水から癌細胞が見つかった。
癌は消えたのか、どんな精密検査でも発見できなかった。
水と言ってもタンパク質を豊富に含んだ体液だから、
身体は弱って行く。
それより、水が溜まり出すと
心臓の動きに制約が掛かるので呼吸がしずらくなる。
病院にて手術で水を抜いてもらうと、エッと思う程に元気になる。
その繰り返しだった。
私が家で介護がしたいという我儘に付き合ってくれた。
目で数字が見えると不安が減るから、
血中酸素濃度を計る機器も自前で購入した。
酸素ボンベも用意した。
ベットが写る位置にカメラをセットし、
呼び出しベルも設置し緊急に対応した。
熱そうな動きをしたり、寒そうな動きをしたら、
気がつかないように、そっと温度調整をする。
楽しい時間だった。
食事の時も常に笑いが絶えなかった。
私は思った。
一つ嫌になったら、
すべてが苦痛になる。
摘便もなにも気にはならなかった。
健康な内に命について話していたので、i意志通りに出来たと思う。
延命はしない。
痛みはモルヒネを使う。
最期は息子である自分が命を閉じさせて頂く・・・などなど
中には自分勝手な失礼な見舞人も居た。
女性はいくつになっても女性だ!
病に弱った姿を見られたくないのも心だ。
私は防御した。
嫌われ者なっても構わない。
葬儀の際に、
私の独断でお見舞いをご遠慮して頂いたと詫びた。
もちろん、近親者には今生の別れの場は設けた。
人は老いると、まず身体が不自由になるのでワガママになりやすい。
死にかけるとお願いするしかならなくなる。
やっと、角がとれて人間様の出来上がりのようだ。
自我に固執してしまうと己が苦しくなるばかりという事を、
私は何度も死にかけて気がつく事ができたような気がする・・・
介護は一人では大変です。
半年が限度だとも聞きました。
私は家族でローテーションが組めて、
お互いが、有難うと言い合える見送る方が出来た。
命の階段を降りる母の傍らで手を差し伸べれたのは光栄だった。
もちろん、亡き母親の協力があっての事なのは言うまでもない。
親孝行したい時には親はなし。
親御さんを大切に、
お袋、ありがとう。

(愛知 地球博2000)