列車が停まったのは、小さな無人駅だった。時計は午前二時を過ぎている。
ホームに降りると、空気はきつく冷えていた。吐いた息が、言葉になり損ねたもののように白く浮かび上がっては消えていく。
改札などはなく、構内には裸電球がひとつだけ、ぶら下がっていた。
その灯りに照らされていたのは、ひとりの男の子だった。
あどけなさの残る顔つきで、軍服のようなものを着ている。足元には古びた自転車。
「迎えに来た。乗って。」
少年は、それだけを言った。
私が荷物を抱えて自転車の荷台に乗ると、彼はためらいなくペダルを踏み出した。夜の道に、ぎこちない二人の影が伸びていく。
「このあたり、犬は多い?」
「うん。犬も人も、夜は黙ってるけど。」
「吠えない?」
「吠えるときは、誰かが帰ってこないとき。」
そう言って、少年は自転車を止めた。
「ここで待ってて。道、わからなくなるから。」
彼はそう言い残し、道の奥へ消えていった。私は寒さに耐えながら、しゃがんでホッカイロを取り出した。少し梅の香りのする飴を、まだ口に含んだままだった。
しばらくして、風に乗って犬の声が聞こえてきた。遠くて、小さくて、それでも確かに誰かを呼んでいるような声だった。
私は、何を迎えに来たのだったかを、あらためて考え始めていた。
少年が去ってから、どれくらいの時間が経ったのかわからない。
空の色は変わらず暗く、あたりの音も変わらない。まるで時間そのものがこの国の外に置き去りにされたようだった。
ふいに、足音が近づいてきた。乾いた土を踏む、軽い足取り。
少年ではない。
背の高い男が、ゆっくりとこちらに歩いてくる。顔はフードに隠れて見えない。だが私は、なぜかその人が夫ではないとすぐに分かった。匂いや気配、歩き方が違った。
男は立ち止まり、手に持っていた封筒を差し出した。無言のまま。
受け取ると、彼はまた何も言わずに去っていった。背中が暗闇に溶けていく。
まるで、何度もこのやり取りを繰り返してきたかのような自然さだった。
封筒の中には、一枚の写真と手紙が入っていた。
写真には、夫と見知らぬ子どもが写っていた。どこかの草地。ぼんやりと笑っている。
手紙には、夫の字でこう書かれていた。
「この国では、時間は後ろにしか流れない。
前に進むには、何かを置いていかなければならない。」
私は、目を閉じた。何かを思い出しそうで、思い出せない。
そのとき、小さな石が転がる音がして、少年が戻ってきた。
「ごめん、待たせた。行こう。」
「ううん、待ってない。」
私はそう答えながら、写真と手紙をショルダーバッグにしまった。
何も言わなかったけれど、少年は、きっとすべてを知っているような気がした。
再び静かな夜を進み始めた。
自転車は、草の背丈が高くなった小道へと入った。風が吹くたび、草は一斉にこちらを見てくるように揺れる。
「もう少しで着くよ。」
少年がそう言ったとき、不意に視界が開けた。
そこには、低くて白い建物がいくつも並んでいた。兵舎のようでもあり、古い学校のようでもある。だが、不思議と生活の気配がない。
「ここ、何?」
「ここで、みんな待ってる。」
「みんな?」
少年は答えなかった。代わりに、ポケットから鍵を取り出して、ひとつの建物の扉を開けた。
中には、何人かの人々がいた。みな一様に静かで、古い写真の中から抜け出てきたような服装をしている。壁にはカレンダーが貼られていたが、日付は十年以上前のまま止まっていた。
「この人たちも、誰かを迎えに来たんだよ。」
そう言って、少年は私を部屋の奥に案内した。
そこには、金属の棚に並べられた箱があり、それぞれに名前が書かれていた。私は、目を奪われるようにひとつの箱に手を伸ばした。
銀色の細い文字で、夫の名前が書かれていた。
箱を開けると、中には手紙、古い日記、折れた鉛筆、そして何枚かの紙幣が入っていた。すべて、時間の外に取り残されたようなものばかりだった。
「ここに来た人は、みんな”記録”を交換するんだ。過去と。」
「交換?」
「うん。今を持っていく代わりに、ここに過去を預けるの。だから時間は、ここで後ろにしか流れない。」
私は箱を閉じた。すぐに答えは出なかった。けれど心のどこかで、この地に来た本当の理由が、夫を迎えに行くことだけではないと、知ってしまった気がした。