第二章:記録の村
建物の裏手には、古びた温室があった。ガラスは曇り、ひび割れた天井からは、蔓のように冷たい風が入り込んでいる。
「夜になると、ここに音が集まるんだ。」
少年がぽつりと言った。
「音?」
「昼間に失われた言葉とか、言いそびれた返事とか。ここで溜まってる。」
私は何も言わず、温室の扉をそっと押した。蝶が一匹、宙に浮かび、消えた。
奥に、小さな木製の机があった。上には、分厚い帳簿のようなノートが置かれている。
開くと、見覚えのある筆跡が並んでいた。
「今日も誰にも見つからず、北の空を見上げた。
生きているかどうかは、誰かが思い出してくれるかどうかで決まる。」
夫の日記だった。数年前のものだ。だが、そこにある言葉たちは、まるで今日書かれたばかりのように瑞々しい。
ページをめくると、文字が急に乱れた箇所があった。滲んだインク。
「逃げろ」「もうすぐ」
繰り返される不明瞭な言葉たち。
そして、最後のページだけが、破かれていた。
第三章:夫の真実
「この国では、誰かがいなくなると、記録だけが残る。」
振り返ると、さっきの男がまたいた。
あのフードの男。今度は、フードを下ろしていた。
それは、夫だった。
けれど、私の知っている夫とは、少し違っていた。
顔つき。目の奥の静けさ。歩き方。
「似ているけれど同じではない」——それは、夢の中でしか味わえないような違和感だった。
「君に会わせたい記録がある。」
そう言って、彼は別の建物へと私を導いた。
そこには、古い映写機があり、壁に白い布が吊るされていた。
映像が始まる。
写っていたのは、ある家族の風景だった。夫と、子どもと、笑っている女性。
——私ではない。
私は言葉を失った。
何かが崩れかけている。そのとき、彼がそっと言った。
「この国で、記録は時々、人の姿を借りるんだ。」
「……あなたは、誰?」
彼は微笑んだ。
「君が迎えに来たのは、記憶か、真実か。
それとも、君自身かもしれない。」
私は、答えられなかった。