事件が起こる数週間前、一家で近所のショッピングモールを訪れた際に、駐車場で父の愛車が覆面を被った男に盗まれていた。

買い物を終えた一家が車に戻る途中で遠目に犯行は目撃していたのだが、その時は現場から走り去る車をただ見つめるしかなかった。

もちろんすぐに警察へ被害届けは出していたが、有力な情報は一切ないまま時間だけが過ぎていた。

 

そして事件当日。休日の昼下がりだった。ディーゼルの懐かしいエンジン音が庭に響いた。

運転席でハンドルを握る男は、初めて家族の前に現れた時と同じ、黒の覆面を被っていた。前回遠くから見た分には気付かなかったが、ニット生地で目の周りが赤く縁取られている。

「お父さん!お父さん!犯人が車を返しに来たよ!」

娘は声を張り上げた。

台所から母も駆け寄ってきて、皆で窓から外の様子を窺った。

 

男はエンジンをかけたまま車を降り、覆面に手をかけた。日の元に晒された男の顔は、意外な事に日本人ではなかった。

特別驚くことではないが、車を一家の住む小さなログハウスに返しに来たことから、顔見知りの線が濃厚かと推理した手前、見ず知らずのドイツ系アメリカ人の登場は予想外としか言いようがなかった。

そしてグリーンともブラウンともとれる瞳の持ち主は、上着の内ポケットから銃を取り出し、迷うことなく銃口を父に向けた。しかし、銃を向けられた当の本人はまるで仲の良い友人に冗談はやめてくれよと促すかのように、首を横に振った。

次の瞬間、映画やドラマでしか聞いたことのない耳を劈く様な音と共に、銃弾が窓ガラスを突き破って父の座っていた座椅子の背もたれを射止めた。それは父の顔が置かれている場所からわずか数センチのところであった。

今更ながら、我が家のリビングに緊張感が走る。

 

娘は考えるより先に玄関へ向かって走り、鍵を閉め、ドアチェーンを掛けた。

にもかかわらず、男がノブに手をかけ取っ手を引くと扉は僅かな隙間を作った。中を覗き込んだ男と目が合う。怯みそうになったが、慌てて娘も中から取っ手を引っ張ると幸い扉はもう一度閉まった。

しかし油断は出来ないので左手で力強く取っ手を引き続けた。

怯える祖母を後ろ手に庇いながら弟が夜勤で不在であることに安堵していた。

息をつく間もないまま、父に警察への通報を、母に犯人を動画に収めるよう頼んだ。

しかしすぐに警察へ電話した父が、首を振る。どうやら、不審者が押しかけたというだけでは駆けつけることはできないと言っている。犯人は窃盗と発砲もしている、早く来てくださいと頼んでも、警察の答えは依然変わらなかった。

何のために税金を納めているのだ、と罵倒したい反面、一抹の不安がよぎる。

そう、警察もグルなのだと悟った。

その瞬間、言いようのない虚脱感に襲われた。

太刀打ちする術も思いつかないまま、脱衣所から鳴る洗濯の終わりを告げる機械音を聞いていた。