一台のパトカーが駅前の牛丼屋の狭い駐車場にすっと入り、細身の警官が店の入り口に向かうまでの流れを私は歩きながら見ていた。
彼は入り口の前に立つと扉に顔を半分ほど埋めて中の様子を確認しているようだった。扉の外に残された後ろ頭が左右に振れている。
一軒一軒、中へ入って捜査するより確かに早そうだ。そんなことを考えながら私は牛丼屋を通り過ぎ、店の裏手から伸びる白い階段へ足を掛けた。
よくある一階が店舗でその上が居住スペースとなっているこの建物に私が越してきたのはつい先日のことだった。通勤に便利な駅前を所望したら狭い部屋になってしまったという、こちらもよくある話だ。
人ひとり分の幅ほどしかない白い階段は二階で終わり、そこから先は階段の代わりに錆びた梯子が伸びていた。ザラリとした鉄の棒に手を伸ばすと、下を見ずに三階まで登った。
滅多に他の住人と顔を合わせることのないこのアパートで、珍しく小学生の男の子と鉢合わせた。「こんにちは」と言ってみたが男の子からは何の返答も得られなかった。ランドセルからぶら下がった防犯ブザーが「見知らぬ人とは話さないようにしているんです」と言っているようだった。
階段も狭ければ通路も狭い。一人通るのがやっとの共用廊下で、なんとか男の子とすれ違うと目的の部屋の鍵を開けた。服や本で溢れた三畳ほどの部屋だ。こんな部屋でも自分の家に入ると少しホッとした気持ちになる。ここへ辿り着くまでに頼りない梯子を登ったり狭い廊下を通ったりしたこともその気持ちを増幅させているのかもしれない。
小さな戸棚からカップを取り出すと紅茶を注ぎ、砂糖の瓶を取り出して一かけら入れると瓶を仕舞い、ミルクを取り出しほんの少し入れてはまた仕舞う。何をするにも一つやっては片付けて、また一つやっては片付けないと身動きがとれなくなるほどの狭さに鬱陶しさを感じる。そんな時は決まって前の家を恋しんだ。
ただ日が落ちてきて辺りがすっかり暗くなると、この辺りは少し賑やかになる。毎晩部屋の壁に取り付けられた滑りの悪い小窓を開けては、駅前の灯りと混じり合った夜の匂いを部屋へ招き入れた。牛丼屋だった下の店舗にも赤提灯が垂れ、夜になると居酒屋として活気付く。その雰囲気は気に入っていた。
外の席で酒を楽しむ男が小窓から見えた。男は熱燗で顔を赤くして隣の男に何やら饒舌に話している。二人の間に細身の男が近付き、何か尋ねているようだった。青い制服に官帽、牛丼屋の前で見たお巡りだと思った。
警官の表情は官帽で隠れて見えなかったが、何か探している様子で、客の男たちはそれに対する有益な情報を持っていない様子だった。
警官は一礼すると踵を返しその場を離れようとしたが、足を止めて振り返り、こちらを見上げた。
彼には顔がなかった。警官が探していたのは顔だったのだな、そう思いながら彼の視線を感じていた。