秋の風に揺れる稲穂が、黄金の波を立てていた。乾いた空気で肺を満たすと、それを何度か出し入れした。吐き出した空気が透明の雲になって空へ上昇していった。

砂利の混ざった畦道が、兄の家から実家まで少し歪に伸びている。その歪な畦道に建てられた高さ一メートルほどの塀もまた、兄の家から実家までの二百メートル程の距離を繋いでいた。濃灰色の塀は太陽の光をたっぷりと吸収し、触るといかにもぽかぽかと暖かそうだった。しかしその暖かそうな壁は、触れようと手を伸ばすとグニャっと変形して逃げてしまう。左腕を壁に這わせて進むと、壁は波打って私を避けるのであった。

私は波打つ壁を諦めてUターンをすると、小道を左へ曲がった。小さな木の集まった、森と言えない森を駆け足で抜け、自宅の扉を開けると真っ直ぐ中庭へ向かう。そこには小さなログハウスが建っていて、父と母が暮らしている。ログハウスの中に入ると、僅かに足元が揺れるのを感じた。地震かと思い外の様子をモニターで見ると、ログハウスは雛鳥のロボットに変形しており、親鳥に運ばれるところだった。

鉄板が剥き出しで繋ぎ目やボルトが見えるロボット雛は、雛特融の柔らかい毛や愛くるしい瞳も備わっておらず、作りが荒く見えなくもないが、親鳥は他の雛と分け隔てなく接していた。

銀色の雛鳥が巣を変え、成長し、いずれ独り立ちし、その後また別の生き物になるところを想像し、ログハウスは形を変え拠点を変え、また別の地に根を張るのだろう、と思った。

 

 

松の葉から垂れる雫は尖った葉を離れると、一つ、二つと土へ吸い込まれていく。朝露を纏った庭からは年季の入った木造住宅より漏れ出る賑やかさを感じることができた。

祖母の家は当主をなくしてからも常に十名ほどが寝泊まりをしていて、いつも活力とエネルギーに満ちていた。

この日は家から幾分も離れていない葬儀場で、祖母の葬儀が執り行われることになっていた。目と鼻の先とはいえ住人全員が家を空けるのは初めてで、鍵もなく金庫もないこの家で、私は貯金箱をどこに隠そうかと仏壇の周りを行ったり来たりしていた。

位牌の裏や引き出しの中。筒状の貯金箱はメタリック色の鈍い光を放ち、どこに隠しても見つかるような気がした。また、仏壇に隠すというのがありきたりだ、と思った。

ジャラジャラとコインの音を立てながらうろうろしている私に、台所からやってきた母が「私と同じところに入れておく?」と言うのでそうさせてもらうことにした。

 

階段下の薄暗いスペースに、白いハンドドライヤーのような機械が壁に取り付けられていた。手をかざすと上から風が出るタイプのものだ。

「そこに置いて二階の電話番号を押すのよ」母は角の丸まった四角い機械を指差しながら言った。

階段に頭を打たないよう屈みながら水受けの部分(もっともこれが本当にハンドドライヤーとして機能するかは分からないが)に貯金箱を寝かせて置くと、少し奥へずれて母に場所を譲った。ボタンは、機械の右側面に付いているのがすぐに分かったけれど、私は肝心の電話番号を知らない。私の知る限り二階に電話はないが、かつて一人一台電話をもたなかった時代には二階にも電話をひいていたのだろうかと考えながら母が暗証番号を押すのを見ていた。

ピピ、ピピピピと機械音が終わると、貯金箱は浮き上がり、機械に吸い込まれていった。

預けた物を出す時には二階に行き、もう一つのハンドドライヤーに同じように暗証番号を入力するのだという。試しに二階へ行くと今まで気が付かなかったが、たしかに階段下に備え付けられた物と同じ機械があった。しかし母と同じように暗証番号を入れても貯金箱は出て来なかった。代わりに光る粉が噴出し、花火のように散った。

急いで階段を滑り下りると、下の階に到着する前に大声を出した。「おかあさん、貯金箱消えちゃったよ!」

かね折れ階段を下りてすぐ左手、台所の引き戸の透けガラスから光が漏れていたので助走をつけたまま戸を引いた。古い引き戸は低音の唸り声を上げた。

母は絹さやの筋を取っていたようで、ダイニングテーブルの上には山のように盛られた絹さやと、丸まった筋が分けられていた。さやから飛びだした豆をザルへ戻すと、

「そういった場合は、サイバー犯に盗まれた可能性がある」と落ち着いた様子で淡々と教えてくれた。手掛かりは宝石となって海の底に散らばるとも言っていた。

そういえば光る粉を見ていたので心当たりはあった。

 

岩場に打ち付ける波は軽やかで、寒々しさは感じられなかった。

海と言えばここしか思いつかなかった。潜ると海底には光るものが無数に散らばっており、岩の陰や砂の隙間から輝きを放っている。エメラルドやルビーと言った宝石の類かと思ったが、近付いて見るとそれらは瓶の蓋や小さいトランプだった。

色とりどりの海藻や小魚、透き通った水と鮮やかな砂、宝石のように輝く手掛かりたち。海の底は想像していたよりも遥かに豊かな色彩で溢れていた。

ひとしきり海底見物をして目が慣れてくると、細かく動く生物がいることに気が付いた。魚やエビ、オコゼとは違う動きだ。ゆっくり近付くと彼らは人間だった。いや、人間と同じ姿をしていたと言ったほうが正しいのか、今でも正確には分からない。

私と同じように手掛かりを探しに来た人が何人かここに住み着いていた。彼らは数ヶ月間、あるいは何年間かかけて岩陰に隠れられるよう小さな姿に変わっていた。そのうちの一人は時々ぺっ、と痰を吐くように真珠を吐いた。

親指ほどの大きさの同志といくつか言葉を交わし、(と言っても彼らの声はとても小さく、聞き取れても理解できない単語も多かった)砂に半分埋もれたビーズの指輪を拾い上げながら、ここに散らばる“手掛かり”は、かつて誰かの宝物だった品ではないかと見当をつけた。

 

 

バケツに入った水に、水色の絵の具を垂らしたような薄い空が広がっていた。飛んでいく赤い風船も色褪せたオレンジ色をしていて、瞳に映る景色はまるで昔の記憶を思い出しているかのように褪せていた。

遊園地特有の、陽気な音楽と賑わう人々の声を閉じ込めたガラス玉を持ち歩いているような距離感で雑音が聞こえてくる。瞳にも鼓膜にもフィルターがかかったような感覚だった。

白いテント型の建物に吸い込まれるように入ると、派手な衣装の男が客を列に並ぶよう誘導していた。男はピエロのような恰好で、ニスを塗ったようにテカった顔をしている。どこかの国のお土産にもらった、木の人形と同じを首の上に乗せているという表現がぴったり当てはまる人物だった。

目的地のない私は男に促されるままアトラクションに並んだ。行列が何メートルか進み私の位置が階段に差し掛かった所で、どんなアトラクションに並んでいるのだろうと窓の外を見てみると、巨大な待ち針のような形の白いものが行列を収める建物を囲むように建っていた。

ニスの顔の男がカウントダウンを始めると、客も一緒になって声を出した。

三、二、一、

すると待ち針の上の部分が勢い良く飛び上がり、空気の抜けた風船のように縦横無尽に空を舞った。

ジェットコースターさえ苦手だというのに、あのような常軌を逸する乗り物には乗れるはずがないと外に出ようとするも、隣に並んでいた背の高い男に捕まり列に戻されてしまった。

列の先頭に目を向けると、さっきまであと八十分ほどかかるはずだった行列は、私の番まであとほんの僅かのところまで来ていた。そしてあっという間に先頭になると、プールの飛び込み台のようになっており、下を見ると地上から何十メートルかありそうだった。

そこへ丸太を四、五本並べた筏状の物が左から右へ流れてきた。足元へ来たタイミングでそれに乗り、待ち針まで行くのだと悟った。半畳の半分ほどの筏には、柵も命綱も何もない。筋斗雲スタイルだ。

目を閉じて丸太へ一歩足を乗せると、雲のようにふわりと沈んだ。足元を見ると丸太のあった場所にあるのは、いつか吐き出した透明の雲だった。