初夏の夜更け、開けたままの窓から吹き込んだ風が濃紺のカーテンを揺らす。
枕元に何者かの気配を感じて薄目を開けると、細長い男のシルエットが見えた。それだけでもぎょっとしたが、月明かりに照らされた彼は、黒く長いマントを羽織って青白い顔に鋭い歯をのぞかせた、ひと目でそれとわかる絵に描いたような吸血鬼だった。
咄嗟に体が動かなかったこともあるが、例え運良く起き上がる前に捕まらなくとも、玄関の鍵を開けている間に奴はコウモリのように素早く生き血を捕らえに来るだろう。状況の不利さを鑑みて、このままやり過ごせる可能性に賭けて死んだふりをすることにした。
しかし彼は期待に反し音もなく近づくと、尖った爪を私の右手と心臓に刺して傷口から血を流し込んだ。
あぁ、このまま私も吸血鬼にされてしまうのだと諦めつつも、頭の片隅で9歳の夏に読んだダレン・シャンを思い出していた。
今からでも死んだふりを止めて逃げ出すべきかと考えているうちに、ガブリと首筋を噛まれて私はゾンビになってしまった。
ただ完全なゾンビではなく、半ゾンビだった。
普段は言葉が片言になるくらいだったが、両腕を前に突き出しヴゥゥー、と唸ると顔が少し緑になるのである。
自我を残された半ゾンビは、まず家族に申し訳ないな、と考えた。一緒に暮らすことはもうできないだろう。誤って噛んでしまったり特性上の衝動が抑えきれなくなってしまったりした場合に相手をゾンビにしてしまう恐れがあるからだ。
ここを離れて私を半ゾンビにした吸血鬼と旅に出るのが妥当だろうと判断した。
しかし、実は片言になるというのは嘘で、普通にしていたら噛まれる前と何も変わらず人間らしく振る舞えた。でもそれがバレると半ゾンビでは済まず今度こそゾンビにされるか、ゾンビを克服した細胞を研究する為に切り刻まれるかだと思い、普段はなるべく片言になるよう注意して過ごす必要があった。
今思えば半ゾンビの正しい振る舞いを知っていたわけではなかったが、片言に話しているだけで特に怪しまれる事もなくやり過ごしていた。早口にならないよう、ゆっくり話していたのも良かったのかもしれない。
我々は旅の途中で食料を調達する為にスーパーマーケットへ寄った。カートを押しながら手当たり次第に商品をカゴに入れていると、見知った姿が目に入った。白いTシャツにストライプのスカートを合わせた彼女は、半ゾンビになった私の妹だった。
もちろん見た目は人間と変わらないが、半ゾンビになった私には、すぐに彼女も半ゾンビだと見分けることができた。
妹は、私を追う為に自分も半ゾンビになったのと言って笑った。
大切な家族を巻き込まない為に家族から離れたのに、結局彼女を巻き込んでしまったと胸が締め付けられたが、胸の内は明かさずに微笑み返した。
妹を加えた三人で店内を回り、二台のカートは山のように積まれた食品で一杯になった。
ふと、前を歩く無口な男は金銭を持っているのだろうかと疑問に思った。吸血鬼が何かで収入を得て生計を立てているのかどうかなんて今まで考えたこともなかった。
人や動物の生き血さえ飲んでいればそれだけで何百年も生きていそうだか、現にこうして買い物に来ているし、よく見ると履いている靴も年季は入っているものの、高そうな代物だった。
そろそろ店を出ようか、と妹の声がする方を見たが、彼女の姿は見当たらない。
心なしか生鮮コーナーの前で空間が歪んだ気がした。
そこに彼女はいるらしい。妹が言うには、半ゾンビになると透明人間としてのスペックが備わるのだそうだ。吸血鬼も、当たり前のように体を透過させていた。
私は体のどこに力を入れても、どんなにイメージしても指先一つ透けることはなかった。
私は、半ゾンビとしても半人前だった。ちなみに妹は流暢に言葉を話していた。
自分を特別だと考えていた事を少し滑稽に思ったが、これで会計の心配はなくなった。
透過した二人がカートごと店を出れば良いのだ。
やけになった私はロイズのチョコレートを持てるだけ掴むと、出口に向かうカートに追加した。
外に出るとすっかり陽が落ち、薄暗い闇が心地よく顔をくすぐった。
そして我々三人は暗闇の中に溶けるように同化していった。
次に人間の前に姿を現すのは
血に飢えた満月の夜