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Lady Rock

香港より、国際的に活躍してい人や輝くために自立したい人のためのブログをお届けしています

 

就職超氷河期真っ只中、就活戦争へ送り込まれた私。 

「枠」の中に、既に肥大しきった自分を押し込まなくてはならないことに

吐気すら感じたのであるが、仕方なく就職活動をしていると、 

個性、すなわち、その人たち一人ひとりだけが持ち合わせている

長所を押し殺すことが求められている。

 

その長所を理解もされなければ、求められもしない。 

そんな価値観を感じ取り、人生がわからなくなり、

すっかり疲労困憊、意気消沈するのであった。 

とりあえず大学を無難に卒業し、家事手伝いをしながら、

セレブの通うジムに通ったり、 社交ダンスを習ったり、

周りから見たら悠々自適に見えるのであるが、 

私には何も燃えるものがなく、何がしたいかもわからず、 

しかし、容赦なく時間だけが過ぎて行くだけの日々に

嫌気がさしたのである。 

色々考えたが、やはり海外への思いが捨てられず、 意を決し、

洗濯物を畳む母を前に、再度、 海外留学がしたいと

挑むのであった。 

一瞬険しい顔をする母。 
しかし、私とて、もう大人。 

情熱とともに学びたいことを打ち明け、 説得し倒したのである。 


行き先は一度行ったことのあるハワイの大学。 

初めての長期留学となった。 初めての海外暮らしは苦悩の日々。 

しかし、親にわがままを言った手前、 私は、

何がなんでもやってやると決意していたのである。 

 

再度、打ち込むものが見つかった私は、 水を得た魚…いや、
空を得た龍のように活き活きと自分らしさを取り戻すのである。

そしてオールAを取り、模範生として表彰されたのである。
人生で初めて学校を全うした気がした。
勢いをつけ、卒業では名誉学生。 

私は気づいた・・・。 
やればできるのだと。 

…が、 華々しく卒業をした私を待っていたのは、 

親が持ってきた医者やら社長やらの縁談。 

依然、会社という「枠」に入るのは気乗りしないし、 

とはいえ、結婚もピンとせず。 

結局、祖父の紹介で、短大の非常勤講師として働くことに。 

受けたのはいいものの、毎週150人の生徒を教えることに。 

働いた経験もなければ、教えた経験もない私。 

 

プレッシャーに押しつぶされそうになり、 逃亡を図るも、

やってしまったらこっちのもの。 結局はまってしまい、

「仕事って楽しいんだ!」と、初めて学ぶ。 

4月に教え初めて、6月には東京に転居。 

英語力を活かして派遣の仕事をしながら、 

翌年3月まで週に一回地元の短大で教え、 

東京暮らしを再開した。

その後、初めて企業で働こうと就活に行った大手損保系の

リクルーティング会社に誘われ転職。 

 

入社前に偶然、前の夫と六本木の

外国人金融マンが通うクラブで戦略的に巡り合う。

金融マンと結婚しようと思ってたのでちょうど良い相手くらいに思い、

デートを続けていた。  

仕事もそれなりにこなしていたが、 

世間の中の波にのまれ、親からのプレッシャーもあり、 

結婚願望そこまでないまま結婚し、 

夫の仕事の関係で香港にやってきたのであるが・・・。

 

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当初は数学の女王として君臨し、

完璧な高校デビューを果たした私なのであるが、 

次第に女子高生の分際で、日本の教育制度に疑問を持ち、

同級生の生産性のない上辺だけで群れる「女子」の付き合いに 

興ざめする日々を送る…。
  

結果、拒食症を煩い、毎日ウサギのように草を食べて

暮らすようになる。

 

そのせいか、学校で何度も倒れ、

最後の1年間はほとんど学校へ行かず。

 

しかし、校長の特別な配慮で、

大学に合格したら卒業させてもらえることに。  


・・・そして私は閃くのであった。 

 

受験までもはや残り2ヶ月。 
こうなりゃ、お嬢様大学に入って、金持ちを引っ掛けて玉の輿に…

などと、全国で必死に頑張る受験生を尻目に、 
思いっきり不純な動機で大学受験を志す私。 

特に大学を見たわけでもないが、都内のいわゆるお嬢様校
片っ端から受け、 中でも一番保守的で歴史のある女子大へ
戦略的に入学したのであった。 

画して、口うるさい親から離れ、
悠々自適な東京一人暮らしが始まったのである。 

華やかな女子大生活、バイトもせず、華やかなゴルフ部に所属。

お嬢様な先輩にも可愛がられ、楽しい日々を… 

 
…送っていたはずなのであるが、 

 

徐々にそこでも違和感を感じ始めるのである。 

休みのたびに、マンハッタンへ短期留学をし、 

一人で自由に生きられる海外生活への思いを

強くして行くのであった。 

 

東京でも、もっと広い世界を知るべく、 

六本木、西麻布へ繰り出すようになる。 

 

自分が住む世界を変えるため、動き続けた。 

 

今思うと、枠の中で生きることが退屈だってことに 

その時気がついたように思う。  

 

ある時、縁あってお坊ちゃま私立校上がりの10歳上の

御曹司たちと知り合う。 

 

その御曹司の会のリーダーに「お前は面白い女になる」と見込まれ、

毎週、日本のエリートと言われてる人に会ったり、 

学生では絶対に行かない社交界へ首を突っ込むなど、 

自由奔放に生きていることに初めて満足した。 

とんでもない人々とのクレイジーなパーティーライフを 

楽しんでいたのであるが、、、

 

華の女子大生活も黄昏。 
就活が始まったのである・・・。

 

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ミーハーな両親のおかげで、子供の頃から、
アメリカ、 オーストラリア、ヨーロッパへキッズキャンプなどへ
一人で参加したり、 家族で海外旅行へ行っていたため、
海外への興味と英語力だけは備わっていた。 

 

そうして私は、英国に憧れ、英国の私立の寄宿学校へ
中学から通いたいと母親に打ち明けたのである。 

 

 …片田舎で、情熱に目を輝かせた少女(すなわち私)を、
洗濯物を畳んでいる母は呆然と眺め、

 

 「馬鹿なこと言ってないで宿題しなさいむかっ

と、

夢見た子供の戯言と、バッサリ斬るのであったハートブレイク

 

仕方なく、徒歩圏内のエリートコースを選んだ私。 
しかし、心ここに在らずの私が学校に馴染めるわけもなく… 

そんな私だったが、唯一、中学最後の2年間は楽しんだ。 
個性が強すぎて学級崩壊寸前のクラスを、
学校一、感動を与える合唱団へと変えた経験、 
そして、水泳部の部長として、アホ顧問に立ち向かい、
自力でチームの最高成績を達成したこと。 

考えてみれば、昔から、ドン底から這い上がることに
情熱を燃やしてしまう様である。

そのまま勢いに乗り、トップクラスの公立女子高に
入学するのであるが、 、、

 

・・・そこで私は再度地獄を見るのである。ドクロ

 

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