Lady Rock -14ページ目

Lady Rock

香港より、国際的に活躍してい人や輝くために自立したい人のためのブログをお届けしています

自分が恐れている事、不安に思ってる事に向き合うのはとても勇気がいる事ですよね。

 

きっと大丈夫。

だから、向き合わなくても良い、

なんとか騙し騙し過ぎ去っていく…

 

・・・なんて思っていませんか?

 

でも、その時に訪れた不安や恐怖は、その時に取り組まなければならない人生の課題であって、意味があって訪れます。

 

それを無視して、向き合わず、騙し騙しやり過ごしてしまった日には…

 

…後からより強烈になって戻ってきます。

 

私が、アメリカ系某経済紙の会社で働いた時、その時の同僚の紹介でもらったオファー・・・

 

それは、イギリス系のメディアエージェンシーで、日本ビジネスを立ち上げるという内容のオファーだった。

 

面白そう。

ただ、すごーく不安・・・

 

日本人が誰もいない会社っていうのは別に気にもならなかったが、立ち上がるか、上がらないかが、全て私の腕にかかってしまう。プレッシャーに押しつぶされて逃亡を図ったりなんかしたら、他にカバーできる人は誰もいない。

 

やったことがない仕事に取り掛かる時は、いろんな恐怖が押し寄せる。

 

もし上手くできなかったら?

ボロボロになったら??

 

ひとしきり不安と向き合った後、私は腹を決めたのである。

 

どんなことがあっても成し遂げてやる!

 

自分ができないことに、とことん向き合ってやる!

 

・・・と。

 

だって、これが今、私が取り組まなくてはいけない課題、不安であるからだ。

 

意を決して新しい職場での業務が始まったが、実際毎日、恐怖心との戦いが続くのであった。荒波に飲み込まれないよう、とにかく必死。そんな毎日の繰り返しで、目の前にあるものをとにかくに必死に、夢中に取り組んだ。

 

「夢」じゃなくて「ゴール」がきちんと見えていたから。

 

「ゴール」を見据えた時、目の前にかかっていた霧も荒波も暗雲も…スッと消えて進むべき道が明確になったのである。

 

実際大変だったけれど、眠れぬ夜も過ごし、涙した日もあったけれど、そんな中で結果だけはちゃんと付いてきた。

 

それが私に自信を与えてくれた。実力がついて行くのが体感できたのである。

 

初めて人生で生きてる感がした

 

「自分には出来ない」

 

という弱音を正当化するために、か弱く、可愛く、控えめな女に見える鎧をつけていただけで、そういった鎧をーを一枚一枚はがしていき、武装解除が完了して出てきた本当の私は、、、

 

白馬に乗った王子様を待つお姫様でも、

塔の上に囚われたか弱いお嬢様でも、

玉の輿を企てる女性でもなく…

 

 

実は、凄く強くて挑戦的な女だった。

 

 

ダイヤモンドも削らなきゃ輝かないように、私には仕事という研磨が必要だったのだ。

 

不安が訪れた時は、気がつかないフリをするのでもなく、目をすらすのでもなく、一度、腰を据えて、向き合って下さい。それは今、あなたが取り組まなければいけない、人生の課題の一つだからです。

 

それを克服した時、きっとあなたも、

新しい自分の可能性に気付くことになります。

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 最高の人生へ
にほんブログ村

 

「お見合いの時、箔がつくから受けなさい」

 

留学を終え、私の元に舞い込んだ、短大での非常勤講師の話。

 

お見合いに興味はなかったが、時間を持て余していた私には、悪い話ではなかった。

 

別に他にすることもないし、まぁ、受けて見てもいいかと軽い気持ちで初めて見たのである…

 

・・・が、

 

いざ、教室のドアを開け、特にやる気があるわけでもない大勢の無関心な学生を目の前にした瞬間、柄にもなく突然緊張した私。照笑なんてして見たところで、微笑んでくれる人もおらず、思わず心の中で浮かんだ言葉は、文字どおり

 

きやあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ〜〜〜〜!!!

(注:心の悲鳴)

 

である。

 

その授業は、それなりにやりこなし、教室を後にしたのであるが、その後、あまりのプレッシャーに逃亡を企てた私

 

しかし、紹介され始めた仕事である手前、逃亡する前に、冷静になってもう一度向き合って見ることに決めたのである。

 

生徒が興味を持ってくれそうなことを、「勉強」というアプローチから離れた、ゲームのような感覚で取り組めるようなプログラムに変え、そして、クラス中を巻き込みその教科に関係する雑談も面白おかしくしたら、生徒の反応は徐々に変わって行ったのである。

 

プログラムも自分で組めるし、そのフレキシビリティや生徒との時間は最高に楽しい時間となった。

 

その頃、掛け持ちで、英語を使った不動産開発会社の営業サポートを行なっており、そこで徐々に、仕事をもっと本格的にやってみたいと思うようになり、企業で働いて行こうと決意をするのである。

 

そして、損保系グループ会社のリクルーティングの仕事を始めるのであったが、私は当時、20代も黄昏、もはや花も恥らわぬ29歳。結婚ブームなお年頃であった。

 

そんなタイミングで、当時お付き合いをしていた、外資投資銀行に努める彼にプロポーズされ、間も無く結婚。

 

リーマンショックを期に、元夫が香港へ転勤する事になり、主婦として生活する事になったのである。

 

仕事を楽しみ始めた頃で、辞めてしまうのは勿体無い気もしたのであるが、その間、二人の子供を授かり、一般的に見れば幸せな主婦生活を送っていた私。お手伝いさんもフルに活用し、

やりたくない家事は全てお任せしていた。

 

しかし、再び限られた狭い世界の枠の中に押し込められた窮屈さを感じた。

 

子供達の事は愛しているし、二人の成長を見るのは幸せではある。

 

けれど、自分自身が何かを達成するような事はないまま、ただ毎日を過ごしているだけの状態が凄く虚しくなるのである。

 

そんな中、やはり自分の可能性と向き合いたくなり、

再度、仕事をする事にした私。

 

職場でのスピード感や、適度な緊張感、プロジェクトを進めていく高揚感・・・仕事を通して徐々に輝きを取り戻していくのであるが、同じ頃、夫とのすれ違いが始まるのである。

 

 

そして離婚・・・。

 

 

そこで、私は、「香港で働いて生きる」と決めたのである。

 

そして、香港にある、アメリカの経済紙の会社へ転職。

 

3年後、大抵の仕事はこなせるようになり、安定した頃、このままで良いのだろうか…と疑問に思い始めたのである。

 

そんな中で気がつく。

 

毎日目の前にある事を

一生懸命やっていれば、いつかは花が咲く・・・

 

 

・・・と。

 

もはや難しくはなくなってしまった業務ではあるが、とにかく遮二無二に、半ば意地になり、思いっきり仕事に打ち込んでいた頃、同僚から新しい仕事を紹介されたのだ。

 

・・・そして、それが人生の大きな転機となる

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 最高の人生へ
にほんブログ村

「幸せになりたい」

 

って誰もが願う。

 

でもその幸せって、誰が決めるのかしら?

 

国が定めた教育方針の中でいい成績を取ること?

適齢期に結婚してみんなに祝福されること?

子供を授かって暖かい家庭を築き上げること?

 

私達が生まれるもっと前から、一般的な幸せって、なんとなく決まってるけど、

 

・・・もしも、それが自分の幸せじゃなかったら?

 

「出る杭は打たれる」

 

だから、合わない教育システムの中でなるべく目立たないように、本当の自分を押し殺して、当たり障りのない事しか言えない苦しさを経験した私。

 

そのまま迎合して、いわゆる結婚適齢期に、バリバリ働く金融マンと結婚。

 

幸せな女

 

きっとそう思われたに違いない。

私も、それをシアワセと思わなきゃいけないんだって思ってた。

 

・・・しかし、

 

ある日、私は気づいてしまう。

 

「本当の私」は、自分で思うより

よっぽど強く

生き生きとしていて、

逆境を楽しんでしまう

しなやかで、したたかな女性だったのだと。

 

殻を破る事に、少しの間戸惑ったけれど、一度気づいてしまったものは、もうどうやっても抑えられない。気付かないふりももう無理。

 

一度、殻を破ってからは、

どんな困難も乗り越えるようになったし、

乗り越えたことが力になる。

それが自身の美しさとなるって実感できた。

 

だから、困難が襲ってきたときこそ、

「自分が美しく、強くなるチャンスが来た」

ってワクワクできる。

 

怖いけど、武者震いがする。

乗り越えた時のことしか見てないから。

 

自分の本当の強さと美しさに気がついた時に、

他人の人生を生きる自分から、

自分をたくましく生きる、

カッコイイ自分になる。

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 最高の人生へ
にほんブログ村