赤信号、アナタは渡るの怖くない | 梯子ダルマ オフィシャろうブログ

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ラジオネーム:梯子ダルマとして深夜ラジオにメールを送っていた、現在放送作家として働く26歳の男が書くブログです。

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赤信号なのにおじさんが一人が渡った。

キョロキョロと左右を見渡して、おじさんが渡った。

その瞬間色々なことが嫌になりました。


まずは非常識なおじさんの行動。

これは嫌ですね~。
いい歳のくせに「赤信号は止まれ」なんて簡単なことが全然守れてなくて。愚かな大人の姿には情けなくなってしまう。「え?車いないじゃん?普通に渡れますよ?」じゃないよ馬鹿野郎っ。



次に、馬鹿正直に信号を待ってる自分。

これも嫌ですね~。確かにね、車は全然通ってないんですよ。スッカスカ。道スッカスカ。確実に渡れる。おじさんの行動は物凄く合理的なんです。でも僕は馬鹿みたいに目の前の赤い信号を見つめて、突っ立ってるんですよね。「いやいや、赤信号は赤信号ですから。ルールは守りますよ、もちろん。」って頭固いんだよ馬鹿野郎っ。



最後に。
「おじさんはちゃんと車がいないのを確認して横断してるのに、自分は馬鹿正直に信号を待ってる。これは嫌ですね~。」って、ちょっとでも思っちゃった自分。これに嫌になります。

冷静に考えれば僕の行動は、僕の行動こそ、正しいわけです。赤信号で止まる。当たり前のこと。もし確実に渡れるとしても、万が一という場合もあります。あと例えば僕の信号無視を小さな子どもが目撃したら「あ、渡っていいんだ」なんて思っちゃう。教育上良くない。あとモラルの問題。

「馬鹿じゃん」
「偽善者」
「時間の無駄」
「お前はルールを守っている自分のことが好きなだけ」

誰に何を言われても、僕の行動は正しいはず。揺るぎない交通ルール。


それなのに僕は、目の前でおじさんの信号無視を目撃して「え、僕はどうしようかな」なんて思っちゃった。


それまでは普通に信号を待ってるだけだったのに、誰か一人がルールを逸脱した瞬間、自分の行動に「俺は意地でもルールを守るもんね」感が出てる気がしちゃう。してきちゃう。何でもない普通の行動だったはずなのに、突然「我慢」というレッテルを貼られたのだ。


心の中で自分の行動を正当化しようと、少しだけ意識してしまうんです。正当化も何も、僕の行動は間違ってないのに。ムズムズする。ちょっとだけ恥ずかしい。本当は「恥ずかしい」なんておかしい。何にも恥ずかしくない。ただの正しい行動なんだから。でも、やっぱりどこか恥ずかしい。


確かに車はいないから、渡れるのだけど。だからこそ、赤信号渡りが賢く見えるし、待ってる自分が少しだけ滑稽にも見える。そして、そう思ってしまった自分のことが嫌になるんです。


ルールを破って早く目的地に着くおじさんと、ルールを守って心をかき乱される大学生。おじさんは車にも、他の歩行者にも一切迷惑をかけてはいませんが、僕だけは心を攻撃されました。

一体自分の行動の何が誰にどんな影響を及ぼしているか。もしかしたら何気ない行動、電車の中で僕が少し自分の鼻を触るだけで、知らぬ間に誰かへ強烈なダメージを与えている可能性だってあります。でもそれは仕方のないことです。人と人。割り切るしかない。だからせめてその行動の部分には、しっかりとモラルがあってくれないと遣る瀬無いですね。


あと自分で書いといてなんだけど「お前はルールを守っている自分のことが好きなだけ」は、ちょっと耳が痛いな。

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