Twitter見てるとラジオリスナーは7:3ぐらいで否定的・バカにしてる人の方が多い印象。僕は割と好きなんですよ、エイプリールフール。
好きな理由。まぁ単純なところから言うと、有名企業や団体の悪ふざけを楽しめます。「今年はGoogle何すんの?」って。「うわ!ももクロのホームページの写真、全員フリーザ仕様になってる!」みたいな。というか、そもそもそれらは「嘘」なのか?と思いますが。
理由もうひとつ。ここまで「4月1日はエイプリールフールだ」という認識をしているのにも関わらず、毎年ひとつはしっかり、真っ正面から騙される。これに興奮します。「さぁ、騙されるのは分かってるぞ」って思ってる僕を騙すんですから。楽しいです。「かぁ~!やられた!」つって。ちなみに今年はこのサイトにやられました。→http://www.kayac.com/company/event/mission/2015/matome/
で、最後の理由なんですが…これはエイプリールフールが好きな理由であると同時に、不満にもなります。
先ほど書いたように、エイプリールフールの文化は既にだいぶ浸透しているので、「エイプリールフールだから、色んなことが“冗談”だ」という前提を持って、みんな嘘を楽しんでいます。Twitterでは突飛なつぶやきの最後に「#エイプリールフール」なんて丁寧なハッシュタグを付けたものが沢山です。4月1日は「変なこと言ってるけど、嘘だよね」「冗談と分かってるんだから、怒ったりするのは粋じゃないよね」という認識を、ほとんどの人がしっかり持っているんですね。この「嘘を共有する」感じが好きなんです。
で、ですよ。何故4月1日だけなんだ、と言いたいわけです。ここからが不満になります。「エイプリールフールにこれだけ『嘘の共有』『悪ふざけへの寛容』を上手にこなせている人達が、なぜ普段お笑い・バラエティなどに対して馬鹿みたいな指摘をしたり、激昂したりするんだ」と思ってしまうんですよ。
もちろんそういったクレーマーの中にはエイプリールフールにすら「虚言癖デーなんて、けしからん!」と怒ってる人も多いでしょうし、エイプリールフールを楽しめる多くの人々はバラエティにも寛容なのかもしれませんが。
『嘘の共有』って表現はラジオでダイノジ大谷さんが使っていたものです。観客と嘘を共有して初めて、そこにエンターテインメントが生まれる。「漫才中の喧嘩は本当に怒ってるわけじゃない」というのを、我々は理解しています。嘘の共有こそが本質。リアルよりリアリティ。エンターテインメントは、年中エイプリールフール。「ハッシュタグ冗談」です。
エイプリールフールを楽しめる人は多い。不謹慎な「親が死にました」から、くだらない「彼女できましたー!」まで、みんな楽しそうに嘘をつく。嫌な言い方になっちゃいますけど「頑張って面白い嘘を言おうとしてる」感じは微笑ましかったりもする。もちろん出来不出来はありますが、割と多くの人々から「創意工夫」の意思を感じ取れます。だから、本当なら誰にでも『嘘の共有』は出来るはずだ!と思う。毎年思う。芸人さんが舞台に立ったなら、僕たちもしっかり「観客」をしようじゃありませんか。一緒に手を繋ぎましょうよ。
「ふざけるな!」「冗談じゃない!」という愛のない声によって、エンターテインメントが惨めに蹴散らされるのは悲し過ぎます。
とはいえ、そういう愛のない声に対して僕らが本気でキレちゃったら、それこそエンターテインメントじゃない。「エンターテインメントを踏みにじるな!」と青筋立てて怒鳴ることは、皮肉にもエンターテインメントから遠ざかってしまう。
「ウソなんて冗談じゃない!」と怒る頭の固い人がいたら、「そうそう!冗談じゃないですよ!分かります!確かにどうかと思いますね!はいはいはい!ウソは良くない!同意です同意!超分かる!」と、一緒になって叫びましょう。その人の顔を横目で見て、ニヤニヤしながら、わざとらしく。なにせ僕らは、嘘がつけるので。
