LADです。今日は、OL時代の友人とランチをしました。同期のメンバーの話になり、そのまま会社の勤めている人もいますが、起業していたり、別会社で働いていたり、色々な所で活躍しているのが分かりました。懐かしかったです。
先日の大学で話した、息子の生育記録について、載せておきたいと思います。長文です。
≪ 診断前の様子≫
(1) 出生直後:音や環境の変化に過敏、1時間半おきに起きる、抱っこを嫌がる、目線が合わない
→夜は、1時間半おきに起きてしまう。抱っこを嫌がる、目線が合わないなど、兆候があった
(2) 手がかかる子:多動、目が離せない、しゃべらない、指示が伝わらない、パニック1日に数回、頭を壁や床に打ち付ける自傷があった
→問題行動が多く、他の子とは違う、育てづらいと思うが、親に知識がないので障害とは気づかなかった。「子育ては大変」と周りがいうのを、信じていた。
.≪診断を受けた後~幼稚園時代≫
(1) 3歳半検診:言葉の遅れ、発達の遅れを指摘され、市の療育相談へ。2歳で言葉が消えている、ジャーゴン(意味の分からない造語)で会話にならない。問診ができなかった。
(2) 幼稚園年少の4月に自閉症と診断:診断は出たが、どうしたらいいか誰も教えてくれない
→幼稚園の年少の4月に診断が出たが、病院は診断はしてくれても、今後何をすればいいかは指導してくれない。療育も、すぐ受けられず、子育てに悩んだ。
(3) インクルーシブで理解のある幼稚園に助けられる
・障害のある子も無い子も一人一人の特性に合わせる。無理に他の子に合わせない
・苦手を克服するのでなく、良いところを伸ばす。
・「子どもだから、楽しく過ごすのが一番」「人と関わるのが楽しい」と思えることが大事だと教えていただき、息子の子育ての基本になりました。
(4) 幼稚園の時に一緒だった子たちが「ナチュラルサポーター」に
≪小学校から就職まで≫
(1) 小学校特別支援級へ入学、進路をどう決めたか。
→将来的にも地域で暮らしていくので、地元の兄弟と同じ小学校を選んだ。普通級への交流授業が多かったことが、刺激になった。社会や理科、図工、音楽、体育など一緒に学びました。集団行動を学び、順番を待つことや、やりなくないことも我慢することを学んだ。
(2) 中学校の特別支援級へ入学、小学校と同じ理由で地元の学校を選んだ。
→小学校と違い、周りの子が高校受験の勉強を始め定期テストがあるので、交流級に行くことが難しくなった。その分、支援級内で先輩後輩関係を構築したり、目上の人に対する言葉遣いを学んだ。少人数で英語や技術家庭科の授業が受けられた。
(3) 知的部門の養護学校高等部に入学。住んでいる市に養護学校がないので、隣の市まで電車通学。
→義務教育後は、養護学校以外に、県立のインクルーシブ校や私立の単位制のサポート校など、様々な進路がありますが、将来的に、福祉枠での就労をするので養護学校を選びました。
(4) 特例子会社へ入社。親会社があり、ジョブコーチなどの指導者の人と障害者が務める子会社です。
→企業就労以外に、他には、福祉就労と呼ばれる、就労移行支援事業所、就労継続A・B型事業所、生活介護事業所など、様々な就労形態があります。福祉就労は、継続雇用でなく、賃金や工賃が低いのが悩みです。
18年間、就労までを振り返ってみると、いろいろありました。これからは、10年後を目安に、グループホームへの入居を目標に、自立に向けて、色々考えていこうと思っています。
【今日のいいとこ探し】
息子、今日は、ガイヘルさんとお出かけでした。朝、やって来たガイヘルさんが風邪をひいて喉を痛めていると聞いて、家に戻っていきました。のど飴の袋を持ってきて、「これ舐めてください」と、渡していました。やさしい息子です。
「今日、いいことあった」と、ニコニコ帰ってきた息子。京急のハッピーイエロートレインと、大好きなポケモン「サンダース」の「ぬい撮り」が出来たそうです。
追伸
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