遠慮するという言葉も受け取りようによっては、相手を不快にすることがあります。
例えば、何かに誘われた時、これは出ておいたほうが良いという判断を誤ると、後々の行動がやりにくい状態に陥ることもあり得るからです。
人間関係のややこしいのは、こういうところ。
あとは京都でよく言われていた例では、「何か食べていきませんか」と訪問先の人に言われた場合、「ありがとう。いただきます」というと、後々「遠慮がない」と悪評を立てられるとか。
これは顕著な例なので、現代の京都人が「いけず(意地の悪い人)」かどうかは分からないとしても、遠慮という言葉に対する嫌味とも受け取れます。
何事も遠慮が肝心ではないということ。
無遠慮で批難されてもいいから、たまには試してみるのも良いかな。
乱発は絶対ダメですけど。
論旨がそれましたね。
ここにあるような、控えめにしていること
その表現の中での遠慮は、一番よい使い方と言えます。
控えめ
日本人なら、高く評価される言動。
今の日本では、少し変わってきているけど、何事も控えめって私個人では好きな表現です。
それで、最近控えていること とは、
何にしても、ちょっと控えめにするよう心がけるってことでしょうか。
あくまでも、私はそうしようとしている、にすぎないのですけどね。
来ていただいて、ありがとうございます。