題は未定 -2ページ目

題は未定

ブログの説明を入力します。

久しぶりに図書館で李白の詩集を読んだ。

 

横江詞六首 其之五

「横江館前 津吏向へ

余に向つて 東に指さす

海雲の生ずるを

郎 今渡らんと欲するは

何事にか縁る

此の如き風波 行く可からず」

 

今から30年余り前、田舎の「底辺校」に通っていたとき、

地元の進学校を定年退職した先生が古文と漢文の非常勤講師として教えに来ていた。その時、先生が朗読したあと、

「ワシはこれを旧制中学の時に知って、その時は何とはなしに時代の重苦しい空気を感じたんよ。ほんで、高等師範の時分に学徒動員されてから、朝鮮へ送られて、戦争終わったと思うたら露助に連行されて中央アジアで強制労働させられて、やっと復員したらアカ扱いされて…。ほんに人生狂ったで。この李白の詞を読むと若い頃を思い出すんよ」

と涙声で話していたのを今でも覚えている。とはいえ、勉強のできない同級生はほとんど全員寝ていて、何とも寂しい光景であった。

 

先生は数年後、癌で亡くなられた。

 

この漢詩は「じゃりン子チエ」で取り上げられて、今でもときおりブログのネタにされている。ある大学の教授は、「いかにも反骨の人であった花井先生の心境を表している」と評し、またある人は「原作者のはるき悦巳もアニメ監督の高畑勲もよく知らなかったのでは?」と論じていた。

 

無学の自分にはその真偽は判らないが、50年近く生き永らえた今、一つの詞に、国家に翻弄された自分の人生を重ね合わせて生徒の前で嗚咽したあの老先生を決してpedantic(学者ぶった、衒学的)だとこき下ろす気にはなれない。

 

人生五十年…というが、そんな年齢まで生きるとは考えたことがなかった。こんなに長生きするのなら、若いうちにもっと本を読んでおけばよかった。

 

今からでも遅くないと人は言う。

そんな気力が残っていたら、もう少し真っ当な人生だったろうに。

 

仕事も居所も転々とし、酒に溺れ、「病気・貧困・孤独」に苦しみ、近づく死に慄く。

今さら見栄も恥もない。でも、醜い己の内面と向き合う勇気もない。

 

今夜もここで愚痴を吐き、薬を飲んで寝る。

明日も恐らく目が覚め、自己嫌悪を抱えつつ生き延びるために動き回る一日がやってくる…。

久しぶりの更新。

どうやって冬を越して、春も過ぎたのか記憶にない。

その間に恩師と従兄がコロナウイルス由来の合併症で亡くなった。

生活力のない自分は悲しみに暮れる余裕もなく、その日暮らし。

 

カネもない、まともな仕事もない、就けない、身体はガタガタ…。

それでもなかなか人間は死ねない。

昔、勤めていた会社で退職直前に急死した人がいて、通夜に参列した。参列した当時の役員は、

「ああ、○○さんはええ人じゃった」

と言っていたが、それこそ人の噂も七十五日…とやらで話題にも上らなくなった。

台風が上陸すると聞けば家族が止めるのも振り切って暴風雨の夜中、工場の建屋を点検したり、トラブルが発生すれば事務所に泊まり込んで働いていた人で自分も世話になったが、死んだら「いい人だった」で終わるのかと思ったら空しく感じたのを覚えている。

 

今の仕事も今月末で終わり。次はまだない。

これで無職のまま行けば通院もできずに死ぬのかと、死ぬのが人一倍怖いくせに、どこかでこの貧困・病気・孤独から逃れたいと微かに期待する自分がいる。