【観光】ボストン美術館 ~天心園~(マサチューセッツ:ボストン) | らけ@ボストン

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主人の海外赴任に伴い、
アメリカ マサチューセッツ州 ボストンで
専業主婦・駐在妻になりました。

体験したこと・学んだことや、
薬剤師的な観点から医療・薬のことをつぶやきます。
ボストンに留学・駐在・帯同・旅行される方の
参考になれば幸いです。

アメリカにやって来てから

より好きになったものの1つに

美術館があります。

 

アメリカでは、

各地にある美術館に行くと

モネ(Claude Monet)などの作品を

気軽に見ることができます。

 

ボストンには、

アメリカにおいて

規模の大きい美術館の1つである

ボストン美術館があります。

 

美術館内の展示品も

もちろん素晴らしいのですが、

今回は、

ボストン美術館外にある日本庭園

天心園について紹介したいと思います。

 

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ボストン 美術館 

(MFA:Museum of Fine Arts, Boston) 

 

ボストン美術館は、

マサチューセッツ州(MA:Massachusetts)

ボストン(Boston)にある美術館です。

 

1870年、

地元の有志によって設立され、

アメリカ独立100周年にあたる

1876年7月4日に開館しました。

 

当初は

コプリースクエア(Copley Square)の

現在のフェアモント・コプリー・プラザ(Fairmont Copley Plaza)

というホテルがある場所に

建てられており

所蔵品は約5600点ほどでした。

 

1909年に現在の場所に移転し、

2010年には

北中南米の芸術を展示する

アメリカウィング(Art of the Americas Wing)が増築され、

現在の所蔵品は約50万点におよびます。

 

 

美術館の隣には

1876年に設立された

ボストン美術館の学校があります。

(The School of the Museum of Fine Arts, The Museum School)

 

2016年、

タフツ大学(Tufts University)

芸術科学部の一部になっており

学位プログラムを提供しています。

 

 

 

ボストン美術館は

日本との関係が深いことでも知られています。

 

また、姉妹館として

日本の愛知県名古屋市に

名古屋ボストン美術館がありました。

(2018年に閉館しました)

 

 

 

ボストン美術館の日本庭園・天心園は、

美術館の裏

西側駐車場の側にあります。

 

春~初秋に見学可能で、

2022年5月現在

ボストン美術館の一般入館料は$27ですが

天心園はチケットなしで入ることができます。

 

 

天心園 Tenshin-en おかくら

天心園(Tenshin-en)

 

天心園は

1988年10月に完成した

石や草木で構成された枯山水風の日本庭園で、

ボストン美術館の

東洋美術部門の歴史に貢献した

岡倉天心の功績を記念して作られました。

 

造園者は

「昭和の小堀遠州」といわれた中根金作で、

日本テレビの当時の会長・小林與三次が

寄贈しました。

 

 

また、

2014年から約1年間

大規模修復がおこなわれました。

 

冠木門は

当初は日本から運ばれた木材を使用しましたが、

修復にはオレゴン州のヒノキを主体として使用しています。

 

 

日本の枯山水庭園と、

ニューイングランド地方の

岩石の海岸や深い森を思わせる情緒を合わせ、

2つの文化の融合を表現しているのだそうです。

 

石や砂利は大半が

アメリカで採掘された花崗岩でできており、

桜・紅葉・松などの

約70種以上 1750点の植物は

日本・アメリカから集められたもので

季節の移り変わりを感じることができます。

 


 

 

 

 

 

 

岡倉天心(本名:岡倉覚三)は、

1863年、

元越前福井藩士で

生糸の輸出を生業とする石川屋(現・横浜開港記念会館)の

貿易商・岡倉勘右衛門の次男として

横浜で生まれました。

 

天心が幼い頃は文明開化の時代で

当時の横浜は

海外との交流が盛んな開港地でした。

天心は

James Hamilton Ballaghの英語塾で

英語を学びます。

 

東京開成所(現・東京大学)に進学し

政治学・理財学(経済学)を学びますが、

英語が得意だった天心は

東京開成所の講師であった

Ernest Francisco Fenollosaの通訳として

行動を共にするようになります。

 

Fenollosaは

日本美術に深い関心を寄せており、

天心も古美術への関心を深めていきます。

 

1880年、

東京開成所を卒業した天心は

文部省へ入省し美術行政に携わりました。

 

欧米の美術館を視察したり

日本全国の古社寺調査をする過程で、

日本美術の優秀性を認識すると共に

伝統的日本美術を守っていこうという

思いが高まっていきます。

 

1889年、

東京美術学校(現・東京藝術大学)を開校、

1890年には同校2代目校長就任します。

 

しかし、

急進的な日本画改革を

進めようとする天心の姿勢は、

伝統絵画に固執する人々からは

激しい反発を受けました。

 

1898年、

東京美術学校騒動により校長の職を退き、

その半年後

彼に付き従った同志とともに

民間の美術団体・日本美術院を創設しました。

 

William Sturgis Bigelowの資金援助などを受け

美術の研究・制作・展覧会などを行う

研究機関として活動しました。

 

1904年、

Bigelowの紹介で渡米した天心は、

ボストン美術館の中国・日本美術部に迎えられ、

東洋美術品の整理や目録作成を行います。

 

また、

当時ボストン社交界のクイーンと呼ばれた、

大富豪・Isabella Stewart Gardnerとも

親交を深めることになります。

[参考]

ボストン美術館の近くにある

イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館

(Isabella Stewart Gardner Museum)は、

彼女のコレクションを展示した美術館です。

 

 

1906年、

日本美術院の拠点を茨城県五浦に移しますが、

日本とボストンを往復する多忙な生活を送ります。

 

晩年の天心は、

ボストン美術館において

中国・インド・日本の美術品収集を行いつつ、

日本美術・東洋美術を欧米に紹介する

著作や講演の仕事をこなし、

1910年、

ボストン美術館の中国・日本美術部長に就任しています。

 

1913年9月2日、

静養に訪れていた新潟県赤倉温泉の山荘で

50歳の生涯を閉じました。

同日、

従四位・勲五等双光旭日章を授与されています。

 

 

 

 


【まとめ】
ボストン美術館内の壮大さと比べると

なんとも地味な庭園で

訪れるのをつい忘れてしまいがちな場所です。

ここでは
日本にある日本庭園との違いを感じたり、

都会でありながら静けさを感じたり、

アメリカにいながら

日本を思い出すことができます。

 

是非お散歩の途中にでも訪れてみて下さい。

 

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