メキシコの天才バイオリニストが来日開催へ | clandestina

clandestina

foto del mundo

未知の世界へ 



メキシコの天才バイオリニストが来日開催へ
メキシコのバイオリニスト、アドリアン・ユストゥス(39)のリサイタルが13日、東京都千代田区の紀尾井ホールで開かれる。
第1回国際ヘンリック・シェリング・コンクールで金メダル、ニューヨークの国際演奏家コンクール受賞など世界の音楽賞で高評価を得た。カーネギーホールで演奏するなど国際舞台で活躍している。来日は6回目で、リサイタルではパガニーニの「ラ・カンパネラ」などを披露する。

「歌うヴァイオリニスト」!

「アカデミア・ユリコ・クロヌマ」とは。

1980年、メキシコ在住のヴァイオリニスト黒沼ユリ子によってメキシコ・シティーのコヨアカンに開校されたのが「アカデミア・ユリコ・クロヌマ(黒沼ユリ子音楽院)」。メキシコ政府より非営利法人として認可され、弦楽器専門の音楽院として黒沼が主宰し、メキシコの子供たちへの音楽教育を続けています。
  また、「アカデミア・ユリコ・クロヌマ」は日本・メキシコ間の文化交流で重要な役割を果たし、これまでに両国間で音楽の勉強を続ける少年少女が互いに訪問し合い、友好コンサート、合宿などの交流を重ねています。
  黒沼はこの活動を含め、メキシコの音楽普及への貢献などを認められ、メキシコ最高の音楽賞とされる「モーツァルト・メダル」を、日本人として初めて授与されました。1991年創設のこの賞は、社団法人モーツァルト・メダル・アカデミーからクラシック音楽への貢献者に毎年贈られるもの。今までにメキシコ育ちのテノール歌手、プラシド・ドミンゴらが受賞しています。
  因みに、黒沼は2005年にはメキシコ人歌手が日本語で歌うオペラ《夕鶴》の公演をメキシコ・シティーで実現させるなど、日本とメキシコの音楽の架け橋を担っているのです。

「アカデミア・ユリコ・クロヌマ」が生んだヴァイオリニスト!

  11歳より「アカデミア・ユリコ・クロヌマ」で黒沼ユリ子に師事し、全メキシコ学生コンクール優勝したアドリアン・ユストゥス。彼は1985年4月、「アカデミア・ユリコ・クロヌマ」のメンバーとして、12名の生徒と共に初訪日した体験を持ち、彼は《ツィゴイネルワイゼン》を独奏。言葉の通じない人々(日本人)とのコミュニケーションがヴァイオリンを通せば可能であることを発見し魅了され、メキシコへの帰途の機内で将来はヴァイオリニストになる決意を固めたと言います。黒沼に見出されて、日本での演奏体験がヴァイオリニストになることを決意させたということは、我々日本人としても誇らしいことでしょう。

黒沼ユリ子からのメッセージ。

  黒沼ユリ子はアドリアン・ユストゥスのことを「歌うヴァイオリニスト」だと言います。師として弟子アドリアン・ユストゥスへの最高のプレゼントとなる言葉だと思いますが、黒沼自身がそんな愛弟子を端的に紹介するメッセージがあります。
「歌うヴァイオリニスト」アドリアン・ユストゥス 黒沼ユリ子

偶然にも私の息子と同名だからかどうかは定かでないが、私にとってのアドリアンは言語の介在が不要な、あたかも二人目の息子にも似た不思議な存在だ。少年時代にレッスンに通って来ていた頃の彼の外観は、ごく当たり前の、または少々のんびり型の男の子にも見えたが、実は、ずば抜けた集中力の持ち主で、どんな説明にも超スピーディーな理解を示し、驚かされたものだ。
テニスに夢中で、そのトレーニングやトーナメントへの参加に向けた情熱は、どう見てもヴァイオリンへのソレを抜いていたように見えたが、その彼がある月を境に完全にヴァイオリンの虜(とりこ)になってしまったのである。「1985年4月」そう断言できるほど明確に決定的な証拠を残して。
<アカデミア・ユリコ・クロヌマ>の12名の生徒と共に初訪日した彼はツィゴイネルワイゼンを独奏し、言語では不可能だった日本人とのコミュニケーションがヴァイオリンを通せば可能であることを発見、初体験し、その不可思議な力に打ちのめされるほど魅了されてしまったのだ。メキシコへの帰途の機内ですでに将来はヴァイオリニストになる決意を固めたと言う。
幼い頃、ハイドンの弦楽四重奏曲のLPをかければ兄弟喧嘩も即座に止むことを知っていた歯科医の父親の手ほどきでヴァイオリンを弾き始めたが、それはテニスと同量の重みでしかなかった。つまり、アドリアンは日本の聴衆から受けた暖かい拍手によって今日の彼が在ると言っても過言ではない“メイド・イン・ジャパン”なのである。

「天性の音楽家」という表現には、いささかマユツバの響きも否定できないが、私はアドリアンを「歌うヴァイオリニスト」と呼びたい。彼にとっての音楽とは歌そのものであり、どんなに超絶技巧なパッセージを弾いていても、そこには必ず彼の歌う心が同席しているからだ。そして彼のヴァイオリンの音には「ヴァイオリニストに成れた人間」としての幸福感が、どの音にも満ちあふれている。この世に「音楽」という掴める実体のない不思議なモノが存在するということへの感謝の気持ちもヴァイオリンを通して常に振り撒きながら、音楽の歓びを共に分かち合う演奏が自然に生まれ、聴く者をも幸せにしてしまう音楽が流れ出てくるからだ。 
「ヴァイオリンを弾いて人々を幸せにすることが、神から与えられた自分の使命」ということを信じて疑わないアドリアン・ユストゥスの音楽は、説明抜きに人間を感動させる自然界の景観の美のように、普遍的にヒューマンな感性から生まれ、聴く者の誰にも生きる歓びを与えてしまう。今や彼は私にとっての二人目の息子以上の存在であり、メキシコが誇る宝物のひとつでもある。
黒沼から「今や彼は私にとっての二人目の息子以上の存在であり、メキシコが誇る宝物のひとつ」とまで言われるアドリアン・ユストゥス。彼のヴァイオリンによる「歌」を聴き、楽しみたいものです。山口眞子

《プロフィール》
アドリアン・ユストゥス(ヴァイオリン)
  メキシコ・シティー生まれ。幼少より父親からヴァイオリンの手ほどきを受け、11歳より<アカデミア・ユリコ・クロヌマ>で黒沼ユリ子に師事。全メキシコ学生コンクール優勝。オーケストラとデビュー後、ロチェスター大学の<イーストマン音楽学校>でツヴィ・ザイトリン教授に師事し、栄誉賞つきで学位を取得。その後、<マンハッタン音楽院>にてピンカース・ズッカーマンのもとでも研鑽を積む。第一回国際ヘンリック・シェリング・コンクールで一位金メダル、メキシコの「モーツァルト・メダル」、ニューヨークの国際演奏家コンクールで受賞。カーネギー・ホール、ウイグモアホール、バービカン・センター、テルアビブのアート・ミュージアム、メキシコの国立芸術宮殿、プラハ城のスペイン宮殿など国際舞台で演奏、各地で高評を得る。
  ロンドンのフィルハーモニア・オーケストラとシベリウスのV協奏曲、メキシコのケレタロ・フィルハーモニーとエンリッケスのV協奏曲第1番、アメリカで現代室内楽アルバム「タペストリー」、イスラエルでのリサイタルのライブなどのCD録音がある。東京・紀尾井ホールでの「メキシコ音楽祭2010」では、弦楽合奏団「ソリスタス・メヒコ・ハポン」と共演し、完璧なテクニックに裏付けされた「歌うヴァイオリニスト」として絶賛を浴びる。1985年の初来日以来、今回で6回目の訪日となる。

黒沼ユリ子
 鷲見三郎の指導を受け桐朋学園高校音楽科1年の1956年、日本音楽コンクールで第1位ならびに特賞。1958年、プラハ音楽芸術アカデミーに入学、在学中の1960年、プラハ現代音楽コンクールで第1位。1962年、栄誉賞つきディプロマを得て首席で卒業、「プラハの春」国際音楽祭でデビュー。同アカデミーでF.ダニエル教授の指導を受けたほか、D.オイストラフ氏や、H.シェリング氏にも師事。以来、世界各地で演奏活動をおこなう。主な共演オーケストラに、チェコ・フィル、シカコ交響楽団、モスクワ放送交響楽団、スロヴァキア・フィル、メキシコ国立交響楽団、スーク室内オーケストラなど。1980年、メキシコ・シティーに「アカデミア・ユリコ・クロヌマ」を開校。1981年、ニュ一ヨークのカーネギー・ホールでアメリカ交響楽団と廣瀬量平のヴァイオリン協奏曲をアメリカ初演する。なお、長年のチェコ音楽紹介の功績に対してチェコスロバキア政府よリ、1970年に「演奏芸術家賞」、1974年には「スメタナ・メダル」を受ける。また、1986年に、メキシコ政府より、文化交流に貢献した外国人に与えられる最高の勲章「アステカの鷹勲章」を受賞。さらに、1992年には、日墨の青少年の交流、育成につとめた功績が認められ、国際交流基金よリ「国際交流奨励賞」を受ける。著書に、「メキシコからの手紙」「メキシコの輝き」(共に岩波新書)、「アジタート・マ・ノン・トロッポ」(未来社)、「ドヴォルジャーク」(リブリオ出版)など。