第18ー19回 読書会『危機の大学』(「現代思想2011年12月号」より) | TDGのブログ

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大学生・大学院生からなる自主ゼミ。

岩谷です。12月15日。今回は都内某所にある夫馬宅にて、月刊雑誌「現代思想」12月号特集危機の大学について各自担当を選んで発表、ディスカッションを行いました。裏表紙に法政大学出版局と書いてあったり、各記事の所々に「マルクス」と書いてあったりと、色々と冷や汗を掻いたものです。内容としてはとても実のあるものばかりで、私が読んだ「知力解放~」は知らない言葉が出てくるたびに興奮しました。

ちょうど議論が落ち着いた頃には夜の帳が下りてきたので、近所のいかにも「定食屋」といったイメージの、まあ定食屋に入って食事を取りました。10分しかないと急いでいたので混乱していたのでしょう、各人「アジフライ定食」を選択、さらには女性店員の「三尾は多いというお客様には二尾にも出来ます」との食べた後に気づいた嬉しいアドバイスにも頷かず、熱々で口に決して優しくない骨を幾多もその体(衣かな)内に隠し持つアジを三尾とご飯と味噌汁を腹九分目ほど食べたのでした。ちゃんとした食事処で飯を掻き込むこと、右にいた男性が訝しむような目つきで出入り口付近の席で食べる僕らをチラリチラリと捉えていること、そしてここに書くまでもない極私的な事故ですが僕が左口蓋を火傷してしまったことを含めた、とても渦巻くような体験と経験でした。

現代思想2011年12月号 特集=危機の大学
野家啓一 村上陽一郎 酒井直樹 島薗進 金森修
青土社 (2011-11-28)
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特集=危機の大学   

【討議】
大学はいかに可能か / 石田葉月+岩崎稔+岡山茂+島薗進+西山雄二

【インタビュー】
大学と科学者の社会的責任 / 野家啓一

【エッセイ】
大学の変貌 / 村上陽一郎
マイナスからゼロへ / 最首悟

【科学技術論批判】
ポスト・ノーマル・サイエンスによる 「科学者の社会的責任」 / 塚原東吾
科学技術 「社会」 論の新自由主義的偏向 科学技術論の再建に向けて / 木原英逸

【大学と知識人の役割】
公共性の黄昏 / 金森修
哲学とポストコロニアリズム 文明的転移と 「西洋ウエスト/その他レスト(the West and the Rest)」 という言説 / 酒井直樹 (訳=本橋哲也)
知力解放とその頭痛 新自由主義的政治状況における知識人の役割と債務 / 廣瀬純

【大学装置】
未開の大学 フクシマ以後のために / 白石嘉治
コグニタリアートの構造と沈黙 / クリストファー・ニューフィールド (訳=佐々木夏子)
大学の未来、フレンチ・セオリーの現在 / 鈴木哲平

【別様の大学へ】
都市、青年期、大学 ポスト・モラトリアム時代の大学 / 村澤真保呂
「生活民」 としての学びのために 一九七〇年代日本の学習運動に見る産業社会への反省のかたち / 安藤丈将


ニコ生×現代思想 「危機の大学」~御用学者と高学歴ワーキングプア~ - ニコニコ生放送
出演者=島薗進(宗教学者) 、西山雄二(フランス思想家)、千葉雅也(批評家)

博士課程はアーティストを目指すのと同じ? 高学歴ワーキングプアの実態(1/2ページ) | ニコニコニュース



・「大学はいかに可能か」(石田葉月+岩崎稔+岡山茂+島薗進+西山雄二)


・「公共性の黄昏」(金森修)
1.身近な問題である原発・放射能の問題や、それに準ずる鉢呂前経済産業相の「失言」に対するマスコミの怪しげな立ち振る舞い。そこに陰謀説が少なからず噂されてしまうという現状は社会全体に大きな意味を持つ。(ここでジョージ・オーウェルの「1984年」のダブルスピークをさらっと引用した。)もし特定集団の利に適うような思想になるのだとすれば、それは社会正義を後ろ盾にした重要な公共性構築という本来の任務を自ら手放すということになる。そうなると大変なことが起こる。誰も文字通りには大手マスコミのことなど信用しなくなる。

この辺りの内容は本題である「大学」に入る前の「迂回路」とのこと。関係するかどうか心もとないですが上杉隆の「記者クラブ崩壊」で新聞の記者クラブに対しての問題についてまとめていたのでこの部分はある程度納得出来ました。

記者クラブ崩壊 新聞・テレビとの200日戦争 (小学館101新書)/上杉 隆

¥735

マスコミだけが悪いのではなく産業界にも問題はある。「産業界が衰退すれば、それは結局国民一人一人の生活水準の低下を招くのだから、弱者保護云々などといっている場合ではないだろうという、暗黙に囁かれる声である。」

・「未開の大学 フクシマ以後のために」(白石嘉治)


・「知力解放とその頭痛」(廣瀬純)
知識人で「ある」ことは出来ないが「なる」ことは出来る。人間ひとりひとりが持つ知力を使うのだ。ランシエールは平等の実践のために知力を使って「その人自身の問題」以外のあらゆる問題にも発言するように、とずっと言い続けてきた。つまり「知力」とは「すべての物事について思考する力」のことだ。(ネオリベラリズムとの関係を踏まえながら)、これからの仕事場(文中では工場)では「仕事中なので静かに!」ではなく「仕事中です、話しなさい」になる。個々のジェネラルインテレクトを働かせるべきなのだ。知力の全てを生産プロセスに総動員すること、それがランシエールが「知力開放」と呼んでいるものなのではないか。(「知性のコミュニズム」云々は未だ不可解な点が多いのではっきりと理解ができ次第、此処に反映させたい。)

・「大学の変貌」(村上陽一郎)/「マイナスからゼロへ」(最首悟)


・「大学の未来、フレンチセオリーの現在」(鈴木哲平)

編集・責=岩谷