花園は準々決勝が一番面白いと言われて久しいが、今日の一番はなんといっても国学院栃木対大阪桐蔭のゲーム。両チームともにゲームを切らず、かつ最も大事な規律を守り続け、そしてミスらしいミスもない、本当に素晴らしいゲームだった。特に国栃は積極果敢な展開ラグビーを続け、それでも大阪桐蔭は最終ラインを割らせず、「遂に高校ラグビーもこの領域まで達したのか」と思わせる感動的な戦いであった。敗者も何かが足りなかったと思う必要はまったくないと思う。見ていたものの心をこれ以上ないほどに動かされる戦いだったから。結果がよいほうもそうでないほうも、今後の人生に活かされる、そんな試合だったと思う。一介のファンの自分も、この一戦を胸に刻みたい。

 

 自分には昨日の大学選手権準決勝よりもずっと感動的だった。しかし、来週は明治、早稲田ともに頑張れ。伝統校がどうのではない。自分たちが持っているもの、そして自分たちの可能性を証明する格好の場である。心動かされるのはうまい下手でない。魂が込められたそのワンプレーに人は心動かされるのである。

If I were to name a turning point in my life, it would be the autumn of my first year in high school. As the younger brother of a legendary alumnus, I was disgusted with myself for failing to live up to expectations and was preparing to quit the rugby club. But a certain scene changed everything. I chose to stay, and that winter, I ran relentlessly. By the following spring, I could run like a different person—something inside me had changed.

 

The previous year, our team, led by captain K.M. and three other seniors, hadn’t achieved good results up to the summer. Still, in the Hanazono tournament qualifiers against AK-high, a perennial powerhouse, we realized that the outcome of a match can’t be predicted until it’s played. Our young team defeated them in a stunning victory. The joy was short-lived, however, as we were silenced by KN-high in the following match. We witnessed M kept diving into tackles, even after the outcome was decided. After the no-side, I felt it was all over and joined the team huddle around our coach. When I looked across, I saw M gazing firmly at the coach, tears spilling from his wide-open eyes and streaming silently down his dirt-smeared cheeks. I had never seen tears so pure, so calm, yet so fiercely burning. They were not born of simple sadness or frustration. They seemed to be tears that only someone who had burned themselves out entirely could shed. That image of M’s mud-stained face being washed clean by his tears took root deep in my mind and remains vividly etched to this day. On the walk back from the stadium, I found myself wanting to cry like that. From then on, the thought of quitting never came to me again.

 

We entered the same medical school and grew closer. After going into different specialties, our busy lives kept us apart. Still, M remained a monumental presence as a senior doctor. One day, I ran into him at the university hospital wearing a patient gown. Surprised, I asked what was wrong. Smiling, he said, “I’ve got fluid in my chest—they’re going to do a bronchoscopy now.” I quipped. “Tuberculosis? You’ve been working too hard.” “That might be true. It might be true,” he replied softly, as if convincing himself. I never imagined M could be stricken with cancer. The shock of fact that he had incurable lung cancer defies description.

 

When I visited his hospital room, desperately wanting to believe it was all a mistake, it was M himself who gently helped me face reality. Sensing my reluctance, he remarked, “I feel bad for the doctors treating me—they’re more worried than I am,” and, “I’ve pretty much learned what chemotherapy can do. I think it’s time.” He spoke as if it were someone else’s story, but with a calm resolve that I just couldn’t accept. I wanted to scream, “Why are you talking like that? Just be an ordinary person!” forgetting that, more than anyone, M probably wished he could. He confronted his fate with the same unshakable spirit he’d shown on the field, still fighting even after the final whistle. At 39, he passed away.

 

He never measured himself against others—only strove to elevate himself, often transcending results or victory, always continuing to challenge until the end. No matter who he faced, he met them with unconditional kindness. In every chapter of life, he quietly, yet completely, burned his passionate soul. His spirit never be burned out; yet unbroken. Since the tears, fifty years have passed that even telling his story feels difficult, but one thing is certain: M lives on, always, in our hearts.

 医師の働き方改革が始まり、帰れる人はさらに早く帰り、帰れない人は何も変わらないという声が聞かれる。しかしこのままではいけないと考え、知恵を出し合って改善を図っている職場も少なくないはずだ。私たちは2010年の時点で当直明けは帰宅、手術は厳禁、しかしやむを得ず外来診療は黙認を通してきた。人は少ないが皆でやればなんとかなった。それが、最近の学会の調査で、当直明けで手術に入っている人がなお34%いるという。80時間以上の時間外も同比率だという。それぞれ言い分はあろうが改善できないところには指導が入ってしかるべきではなかろうか。労基署も医師の時間外手当ての不払いに関しては厳しいが、それ以上のことはしているのだろうか? 地域医療の担い手の問題が自分たちで手に負えないのであれば、他者の力や知恵を借りるしかないと思うのだが、実際助けてくれるのは医局しかないという現状は変わっていないのだろうか。
 30年前にドイツで研究生活をした時、医師は研究室にたまに顔を出すだけで、研究助手や学生によって研究が進められていた。結果が出ると論文はもちろん医師が出す。業績が出るようになると研究資金に応募し、獲得すると助手を雇って研究を継続し、さらに業績を出す。日本も今は変わってきているだろうが当時の日本の学位研究とは全く違うシステムが成り立っていた。研究所で休日出勤する人はいなかった。8時過ぎに来て4時には仕事を切り上げる。もちろんランチタイムは1時間以上あった。私の行った研究所の医師は移植医なので忙しくしていたが、手術が終われば任務完了で、術後管理や標本整理まで行う日本の医師の忙しさとは全く別物であった。主任教授の権限は絶大であったが、医師は若手でも自由度と権限、そしておそらくお金を持っていた。
 自分ではあまり意識せずにいたが、この外国での経験は、タスクシェアのあり方を含めて、私が目指してきた働き方に関係しているのかもしれない。当院での働き方で重視している点は、学年によらず公平に働くこと、そしてできれば同じ年代の仲間がいることである。同じ年代がいると症例があたらないとかいう話を聞くが、そんなことよりも仲間がいることでどれだけ助けてもらえるか。お互い困った時に補うだけで、どれだけ楽になるかは真剣に考えて欲しく思う。なので、私は常々、少なくともペアで入ってほしいと思っている。

 新臨床研修制度で大学から医師が消えたようにいわれることが多いが、それだけが原因だろうか?
 昔は村(医局)と外との境界に高い囲いがあり、外をみる機会がなかったので皆村にいることに何の疑いもなかった。しかし、各学会は自分たちのプレステージ性をあげるためなのか専門医制度に熱心になり、学位研究に進むというそれまで当たり前だった日本の医学会を自ら変えてしまったのではないだろうか。専門医になるには何より臨床経験が必要で、そうなると目は外へ向く。分野によっては大学にいてもその取得が困難な状況をつくってしまった。
 ほぼ期を同じくして、インターネットをはじめ、さまざまな情報が入るようになると、医師は大学に所属するよりも市中病院にいる方がよいということに気づいた。臨床・研究・教育で忙しいのに碌な報酬を受け取れない大学にいるよりも市中病院が選ばれるのは、いわば自分たちでつくってしまった流れでないかと思うところがある。
 流れを元に戻そうというなら、専門医を取るのに学位に近い研究(英文投稿かそれに準ずるもの)が必要とか、欧州のように大学時代に研究に向かわせるとか、何か大きな変革をしないと難しいだろうと思う。ある大学で外科医の報酬を追加するとニュースになっていたが、それは現在のあまりの不条理さ、低賃金を是正するためのものでしかない。報酬で外科医を増やそうというのは診療報酬が公定価格になっている日本ではまず無理な話であろう。1割、2割報酬を上げたからといって外科にはいる人が増えると思っている人は多くはないだろう。繰り返すが、今のひどすぎる労働条件を是正するのは必要であるけれど。
 途中から外科の話になってしまってしまったが、職業の魅力を伝えるのは本当に容易なことではない。百聞は一見にしかず、ということを忘れてはいけない。やはり皆が楽しそうにしていないところには人は集まらない。大学の先生は、それが本当にそうだとしても自分たちが特別な医療をしているというスタンスから脱却しない限り、外科医は増えないのではないかと思う。特別でなくても階段を登って行けば到達する世界があるということを説いて欲しい。女性が大事とか言いながら、相変わらず土日出てくるのは当たり前にしているようでは、誰も見向きはしない。疲れ果てて、それでも先輩に怒られて、という職場になっていないか、本気で改善しないと、外科を選ぶ人が増えるとは私には思えないのである。

 ヤクルトファンの私としては、甲子園での勝利は格別だ。何しろ、神宮にいてもホームはどちらなのかわからないくらいの応援ボリュームの阪神である。溜飲を下げるとはまさにこのことだ。
 入団以来の24年間勝利を続けた石川投手の努力はおそらく誰にも真似できないものではないかと思う。すべての選手の鏡である。年々一つの勝利、ひとつの登板に対する入れ込みようが大きくなり、昨日はその結果として自身のエラーに繋がってしまったのかもしれない。それにしても石川投手は去年よりも明らかによいし、昨日について言えば、後の投手が皆よく投げた。ナイスゲームです。

 今年のヤクルトは、というか、どの球団もなんとも言えない戦いが続いているが、昨日のヤクルトの勝利は4年前の開幕戦、山田やサンタナの本塁打で大差をひっくり返した阪神戦くらいのインパクトがある、意義深いゲームだと思った。今日も山野投手の力投に期待したい。

医師のひとつのメリットって、間違いない医師に診療をお願いできることだと思います。病気になったのが自分であれ、家族であれ、親しい友人であれ、です。そういう意味で、同僚に頼られる医師になることはすごく名誉なことだし、本当にありがたいことだと思います。これは、専門医とか、いわゆる資格や肩書とは全く関係のないことなのですよね。資格は医療の内実を知らない人向けなんですね。一方で、資格の有無に関わらず、職員、同僚は内実を知っていますから。ですので、当院で学ぶ皆さんは、同業者から信頼されて、治療を頼まれる、そんな医師を目指して、さまざまなことに励んで欲しいと思います。研究は大学が一番かもしれませんが、臨床はやはり経験値を高められる市中病院が有利なんですよ。臨床医として高みを目指すなら、ぜひ同僚、同業者から信頼される医師を目指してください。決して楽な道でなく、簡単ではありませんが、とてもわかりやすい、自分にとって励みになる目標だと思います。

 新年度を迎えるにあたりご挨拶を申し上げます。

 

 昨年11月以降、かつてないほどのひっ迫した病床利用状況が続き、救外受入れ休止など、連携医療機関の皆さまにご迷惑となることが少なからず生じました。救急受入れは病院として大切な機能であり、次の混雑時期を見据えて体制を整備していきたいと考えております。

 

 先日、私がかつて属していた高校ラグビー部の記念式典がありました。その際、大先輩のS氏はあいさつの中で「ラグビーで大事なのが”Honor is equal”の精神」と述べられました。「トライした人か脚光を浴びがちですが、パスをつないだ者、タックルで敵の突進を防いだ者、スクラムで圧力に耐えた者、役割は違っても皆の力が結集したのが最後のトライであり、個々の受けるべき栄誉は等しい」という考えを指します。

 大会社を率いたS氏らしい言葉と感じたと同時に、状況は違っても医療、病院にもそのままあてはまることではないかと思いました。異なるのは、私たちが目指すのは自分たちの成功や名誉でなく、患者さんの健康を取り戻すこと、患者さんと家族の満足感と幸福を追求するという「人のため」であることです。大変なことも多いですが、人のために働く私たちの仕事は尊く貴重なもので、そのような仕事についている私たちは幸せであると思います。さまざまな仕事をこなす職員一人ひとりの力をつないだ先に患者さんの健康や幸福があるということを意識し、他の職員に対する敬意を欠くことなく、連携先の方々をも思いやる風土を、病院全体でもっと磨いていきたいと願っております。新病院という箱物は完成しましたが、今後新病院に魂を入れ込む作業が必要です。これからを生き抜くためには、何よりも市民の皆さまが「なくてはならない」と思う病院に成長していく必要があります。皆さまの変わらぬご協力をお願い申し上げます。

 

「こんな職場なら、少しは人が来てくれるのだろうか?」と思って書いた、ある雑誌に掲載された医局紹介です。もっているかと言えば、そんなことはありません。

 〇県は本州の最北青森県の南で日本海に面している。みちのく、蝦夷などと呼ばれるが、平安武士活躍の場であり歴史・文化は古い。国の重要無形民俗文化財が最多の県であり、ナマハゲ、竿燈、かまくら、西馬音内(にしもない)盆踊りなど挙げるときりがない。大曲の花火も有名で今は季節毎に打ち上げられている。冬はスキー、スノボ愛好者にとって天国である。何しろ人気のラーメン店以外で行列を作ることはないのでリフト待ちもない。それに知られていないがマリンスポーツの穴場である。海流のため水温が高く長期間サーフィンができる。海、渓流、ワカサギ釣りもできるし、秘湯がそこかしこから湧き出ている。水、米、酒、魚が美味しい。


 〇県の医師は〇大出身者が多くなったが、競争のない社会の常なのか、大学に関係なく和気藹々である。県外から来ても心配なく過ごせることは受け合える。当院の外科は、院長を除く10名全員が50歳以下、平均37歳である。そういう指標があるか知らないが、手術数と年齢から割り出すと全国で最も若い部類に入るだろう。女性は3名である。研修理念は、①十分な術者数、②都会のhigh volume centerに遅れない技術、③若手の裁量尊重である。専攻医は年100例以上の全麻手術を行う。腹腔鏡がメインで2年前にロボットを導入し大腸・胃・肝・膵で200例あまり行った。日本肝胆膵外科学会の修練施設でもある。4年目以下を除く全員が外科専門医、消化器外科専門医を取得し、内視鏡外科技術認定医3名、肝胆膵高度技能専門・指導医3名、ロボットプロクター2名という布陣である。つまり、若き指導者がさらに若い医師を手ぐすね引いて待っており、実際若い医師がロボットや膵頭十二指腸切除を行っている。


 病院は新築移転したばかりで手術室はかなりすばらしい。映像環境は皆に羨ましがられる程で、全手術室で高精細録画が可能で、手術ライブ配信を全端末で見られ追っかけ再生もできる。働き方で大切にしているのは公平性で、下に仕事を押し付けたりせず休みも公平である。全員にタブレットを配布し画像・検査・経過表だけでなくカルテすべてを院外で見られる。スマホで診療相談、学会プレゼン・動画の提示、休みの届出や飲み会の連絡などを行う。体育会系理念でなく、合理性•公平性を軸に運営される。他科志望から進路変更した医師が多いのも特徴である。


 科内で競争や不毛な争いはなく、若手が伸び伸び成長できる環境は整っている。資格取得を目指す者、ロボット術者を目指す者、肝胆膵術者になりたい者、スポーツや釣り好きの者、祭りや温泉を楽しみたい者などの見学をお待ちする。