医師の働き方改革が始まり、帰れる人はさらに早く帰り、帰れない人は何も変わらないという声が聞かれる。しかしこのままではいけないと考え、知恵を出し合って改善を図っている職場も少なくないはずだ。私たちは2010年の時点で当直明けは帰宅、手術は厳禁、しかしやむを得ず外来診療は黙認を通してきた。人は少ないが皆でやればなんとかなった。それが、最近の学会の調査で、当直明けで手術に入っている人がなお34%いるという。80時間以上の時間外も同比率だという。それぞれ言い分はあろうが改善できないところには指導が入ってしかるべきではなかろうか。労基署も医師の時間外手当ての不払いに関しては厳しいが、それ以上のことはしているのだろうか? 地域医療の担い手の問題が自分たちで手に負えないのであれば、他者の力や知恵を借りるしかないと思うのだが、実際助けてくれるのは医局しかないという現状は変わっていないのだろうか。
30年前にドイツで研究生活をした時、医師は研究室にたまに顔を出すだけで、研究助手や学生によって研究が進められていた。結果が出ると論文はもちろん医師が出す。業績が出るようになると研究資金に応募し、獲得すると助手を雇って研究を継続し、さらに業績を出す。日本も今は変わってきているだろうが当時の日本の学位研究とは全く違うシステムが成り立っていた。研究所で休日出勤する人はいなかった。8時過ぎに来て4時には仕事を切り上げる。もちろんランチタイムは1時間以上あった。私の行った研究所の医師は移植医なので忙しくしていたが、手術が終われば任務完了で、術後管理や標本整理まで行う日本の医師の忙しさとは全く別物であった。主任教授の権限は絶大であったが、医師は若手でも自由度と権限、そしておそらくお金を持っていた。
自分ではあまり意識せずにいたが、この外国での経験は、タスクシェアのあり方を含めて、私が目指してきた働き方に関係しているのかもしれない。当院での働き方で重視している点は、学年によらず公平に働くこと、そしてできれば同じ年代の仲間がいることである。同じ年代がいると症例があたらないとかいう話を聞くが、そんなことよりも仲間がいることでどれだけ助けてもらえるか。お互い困った時に補うだけで、どれだけ楽になるかは真剣に考えて欲しく思う。なので、私は常々、少なくともペアで入ってほしいと思っている。
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新臨床研修制度で大学から医師が消えたようにいわれることが多いが、それだけが原因だろうか?
昔は村(医局)と外との境界に高い囲いがあり、外をみる機会がなかったので皆村にいることに何の疑いもなかった。しかし、各学会は自分たちのプレステージ性をあげるためなのか専門医制度に熱心になり、学位研究に進むというそれまで当たり前だった日本の医学会を自ら変えてしまったのではないだろうか。専門医になるには何より臨床経験が必要で、そうなると目は外へ向く。分野によっては大学にいてもその取得が困難な状況をつくってしまった。
ほぼ期を同じくして、インターネットをはじめ、さまざまな情報が入るようになると、医師は大学に所属するよりも市中病院にいる方がよいということに気づいた。臨床・研究・教育で忙しいのに碌な報酬を受け取れない大学にいるよりも市中病院が選ばれるのは、いわば自分たちでつくってしまった流れでないかと思うところがある。
流れを元に戻そうというなら、専門医を取るのに学位に近い研究(英文投稿かそれに準ずるもの)が必要とか、欧州のように大学時代に研究に向かわせるとか、何か大きな変革をしないと難しいだろうと思う。ある大学で外科医の報酬を追加するとニュースになっていたが、それは現在のあまりの不条理さ、低賃金を是正するためのものでしかない。報酬で外科医を増やそうというのは診療報酬が公定価格になっている日本ではまず無理な話であろう。1割、2割報酬を上げたからといって外科にはいる人が増えると思っている人は多くはないだろう。繰り返すが、今のひどすぎる労働条件を是正するのは必要であるけれど。
途中から外科の話になってしまってしまったが、職業の魅力を伝えるのは本当に容易なことではない。百聞は一見にしかず、ということを忘れてはいけない。やはり皆が楽しそうにしていないところには人は集まらない。大学の先生は、それが本当にそうだとしても自分たちが特別な医療をしているというスタンスから脱却しない限り、外科医は増えないのではないかと思う。特別でなくても階段を登って行けば到達する世界があるということを説いて欲しい。女性が大事とか言いながら、相変わらず土日出てくるのは当たり前にしているようでは、誰も見向きはしない。疲れ果てて、それでも先輩に怒られて、という職場になっていないか、本気で改善しないと、外科を選ぶ人が増えるとは私には思えないのである。
ヤクルトファンの私としては、甲子園での勝利は格別だ。何しろ、神宮にいてもホームはどちらなのかわからないくらいの応援ボリュームの阪神である。溜飲を下げるとはまさにこのことだ。
入団以来の24年間勝利を続けた石川投手の努力はおそらく誰にも真似できないものではないかと思う。すべての選手の鏡である。年々一つの勝利、ひとつの登板に対する入れ込みようが大きくなり、昨日はその結果として自身のエラーに繋がってしまったのかもしれない。それにしても石川投手は去年よりも明らかによいし、昨日について言えば、後の投手が皆よく投げた。ナイスゲームです。
今年のヤクルトは、というか、どの球団もなんとも言えない戦いが続いているが、昨日のヤクルトの勝利は4年前の開幕戦、山田やサンタナの本塁打で大差をひっくり返した阪神戦くらいのインパクトがある、意義深いゲームだと思った。今日も山野投手の力投に期待したい。
医師のひとつのメリットって、間違いない医師に診療をお願いできることだと思います。病気になったのが自分であれ、家族であれ、親しい友人であれ、です。そういう意味で、同僚に頼られる医師になることはすごく名誉なことだし、本当にありがたいことだと思います。これは、専門医とか、いわゆる資格や肩書とは全く関係のないことなのですよね。資格は医療の内実を知らない人向けなんですね。一方で、資格の有無に関わらず、職員、同僚は内実を知っていますから。ですので、当院で学ぶ皆さんは、同業者から信頼されて、治療を頼まれる、そんな医師を目指して、さまざまなことに励んで欲しいと思います。研究は大学が一番かもしれませんが、臨床はやはり経験値を高められる市中病院が有利なんですよ。臨床医として高みを目指すなら、ぜひ同僚、同業者から信頼される医師を目指してください。決して楽な道でなく、簡単ではありませんが、とてもわかりやすい、自分にとって励みになる目標だと思います。
新年度を迎えるにあたりご挨拶を申し上げます。
昨年11月以降、かつてないほどのひっ迫した病床利用状況が続き、救外受入れ休止など、連携医療機関の皆さまにご迷惑となることが少なからず生じました。救急受入れは病院として大切な機能であり、次の混雑時期を見据えて体制を整備していきたいと考えております。
先日、私がかつて属していた高校ラグビー部の記念式典がありました。その際、大先輩のS氏はあいさつの中で「ラグビーで大事なのが”Honor is equal”の精神」と述べられました。「トライした人か脚光を浴びがちですが、パスをつないだ者、タックルで敵の突進を防いだ者、スクラムで圧力に耐えた者、役割は違っても皆の力が結集したのが最後のトライであり、個々の受けるべき栄誉は等しい」という考えを指します。
大会社を率いたS氏らしい言葉と感じたと同時に、状況は違っても医療、病院にもそのままあてはまることではないかと思いました。異なるのは、私たちが目指すのは自分たちの成功や名誉でなく、患者さんの健康を取り戻すこと、患者さんと家族の満足感と幸福を追求するという「人のため」であることです。大変なことも多いですが、人のために働く私たちの仕事は尊く貴重なもので、そのような仕事についている私たちは幸せであると思います。さまざまな仕事をこなす職員一人ひとりの力をつないだ先に患者さんの健康や幸福があるということを意識し、他の職員に対する敬意を欠くことなく、連携先の方々をも思いやる風土を、病院全体でもっと磨いていきたいと願っております。新病院という箱物は完成しましたが、今後新病院に魂を入れ込む作業が必要です。これからを生き抜くためには、何よりも市民の皆さまが「なくてはならない」と思う病院に成長していく必要があります。皆さまの変わらぬご協力をお願い申し上げます。
「こんな職場なら、少しは人が来てくれるのだろうか?」と思って書いた、ある雑誌に掲載された医局紹介です。もっているかと言えば、そんなことはありません。
〇県は本州の最北青森県の南で日本海に面している。みちのく、蝦夷などと呼ばれるが、平安武士活躍の場であり歴史・文化は古い。国の重要無形民俗文化財が最多の県であり、ナマハゲ、竿燈、かまくら、西馬音内(にしもない)盆踊りなど挙げるときりがない。大曲の花火も有名で今は季節毎に打ち上げられている。冬はスキー、スノボ愛好者にとって天国である。何しろ人気のラーメン店以外で行列を作ることはないのでリフト待ちもない。それに知られていないがマリンスポーツの穴場である。海流のため水温が高く長期間サーフィンができる。海、渓流、ワカサギ釣りもできるし、秘湯がそこかしこから湧き出ている。水、米、酒、魚が美味しい。
〇県の医師は〇大出身者が多くなったが、競争のない社会の常なのか、大学に関係なく和気藹々である。県外から来ても心配なく過ごせることは受け合える。当院の外科は、院長を除く10名全員が50歳以下、平均37歳である。そういう指標があるか知らないが、手術数と年齢から割り出すと全国で最も若い部類に入るだろう。女性は3名である。研修理念は、①十分な術者数、②都会のhigh volume centerに遅れない技術、③若手の裁量尊重である。専攻医は年100例以上の全麻手術を行う。腹腔鏡がメインで2年前にロボットを導入し大腸・胃・肝・膵で200例あまり行った。日本肝胆膵外科学会の修練施設でもある。4年目以下を除く全員が外科専門医、消化器外科専門医を取得し、内視鏡外科技術認定医3名、肝胆膵高度技能専門・指導医3名、ロボットプロクター2名という布陣である。つまり、若き指導者がさらに若い医師を手ぐすね引いて待っており、実際若い医師がロボットや膵頭十二指腸切除を行っている。
病院は新築移転したばかりで手術室はかなりすばらしい。映像環境は皆に羨ましがられる程で、全手術室で高精細録画が可能で、手術ライブ配信を全端末で見られ追っかけ再生もできる。働き方で大切にしているのは公平性で、下に仕事を押し付けたりせず休みも公平である。全員にタブレットを配布し画像・検査・経過表だけでなくカルテすべてを院外で見られる。スマホで診療相談、学会プレゼン・動画の提示、休みの届出や飲み会の連絡などを行う。体育会系理念でなく、合理性•公平性を軸に運営される。他科志望から進路変更した医師が多いのも特徴である。
科内で競争や不毛な争いはなく、若手が伸び伸び成長できる環境は整っている。資格取得を目指す者、ロボット術者を目指す者、肝胆膵術者になりたい者、スポーツや釣り好きの者、祭りや温泉を楽しみたい者などの見学をお待ちする。
「ベンチを暖めるということを知らない人は不幸だね。たとえ自分にそのような経験がないにしても、だ。そういう立場にある人の気持ちを思いやったことのない人には、他人の気持ちはわからないもの。」
高校の部活動には、体格的にも運動能力からしても、とてもレギュラーにはなれそうもないのに懸命に努力を続ける部員がいた。体格にめぐまれ能力は高いのに努力を惜しむ部員にはとても厳しい監督であったが、そのような常に「ベンチウォーマー」になる部員には、監督はひときわ心をくだきさまざま言葉をかけていたように思う。
そのような人こそが組織にとって大事であることを監督は知っていたからであろう。もちろん何人かの心ある部員たちも知っていた。だからこそ彼らも厳しい練習を続けられたのだと思う。
しかし彼らが何をどう感じていたかどうか。やはり各自目標や楽しみがあったのだろう。それに努力をする過程を惜しまないことを自然にできる人たちはそれだけで幸福なのだ。どんな立場にあっても、他人がメインである仕事に協力を惜しまない人、結局はそういう人が周囲の人から信頼される。そうして得られた他人の信頼は何ものにかえがたい。いくつになっても”ベンチを暖める”ような役回りはある。自分もそれを厭わずに粛々とできれば幸せなのだと思う。
私は小学生の時、親に連れられ花園でわが校と松尾擁する目黒高校と引き分けた試合を見ました。中学の時には国立競技場での早慶戦に連れていってもらいました。高校入学後、お前は兄とは違うと親に入部を反対されましたが、これだけの動機付けをしておいて親は無責任だったと思います。私の高校3年間は戦績こそ残せませんでしたが、わが校ラグビー部に加われたということは自分が最も誇りに思うところであります。
その後、50年近く経ちラグビーとは縁遠い人生を歩んだ私ですが、高校時代素晴らしい指導者と先輩、仲間たちに出会えたことは一番の宝物です。華やかな戦績は誰しもが得られるものではありません。それよりも一つひとつの出会いを大切にする。それこそが私たちが学んだことではないでしょうか。私たちが今日こうして集うのは、単に過去を振り返るためではなく、素晴らしい先輩たちのことを語り継ぎ彼らの精神を受け継ぎながら、自分たちの未来をより豊かにするためなのだと思います。
本日、改めまして、関係するすべての方々に心から感謝申し上げます。ありがとうございました。
卒業生の皆さん、そしてご家族の皆さま、ご卒業本当におめでとうございます。また、学校長をはじめ、教職員の皆様にも心からの祝意を表したいと存じます。
今年の卒業生の皆さんのうち多くの方は、高校時代にコロナが始まり、学校に入られて1,2年でコロナの扱いがかわるという、大変な時期を乗り越えてこられました。年齢が上の方も含めまして、これまで普通にやってきたことができなくなり、さまざまな制約も加わり、言葉で表現し難いようなつらいことも多かったことと思います。ですが、よく言われることではありますが、困難ほど人を賢く、そして強くするものはありません。この時期にパンデミック感染症を経験したということは、今後医療人としてだけでなく、必ず人としての強みになり、その経験を生かす時が来ると思います。
卒業にあたり、アメリカのある牧師が述べた言葉を花向けとして贈りたいと思います。”Nothing is so strong as gentleness. Nothing is so gentle as real strength.” 日本語で言えば、「やさしさよりも強いものはなく、本物の強さほどやさしいものはない」ということになるかと思います。これから皆さまは社会人、医療人としてさまざまな困難に直面することと思います。ですが、どのような状況においても他人に対する思いやりを持てる人こそが強いのです。そして、その強さを発揮するための胆力、精神力は決して大舞台で醸成されるものではなく、日頃の小さな行動が積み上げられてできていくものなのです。このことを意識して、目の前の事をひとつひとつ丁寧に積み重ねていけば、将来皆さんは必ずや患者さんや周囲の職員に頼られる医療人になると信じております。
本日は本当におめでとうございました。
令和7年3月吉日
なでしこJapanがSHE BELIEVES CUPでアメリカを破って優勝した。
私はもともとなでしこJapanの大ファンで、昨年はオリンピック出場を決める北朝鮮戦を国立で応援した。普段から、Manchester Cityやバイエルンに移った谷川選手の試合などをよく見ている。
長谷川唯選手はManchester Cityでのほうがなぜなでしこでやるよりフィットして見えるのか? これは長らくのなぞであったが、答えをニルス・ニールセン監督が実戦で示してくれた。彼女の良さが決勝でも光っていた。今までの”耐え忍びカウンターをねらう”という伝統的日本女子サッカーから、ボールを支配し攻撃的なパスサッカーの継続への戦術変更は、やはり外国人監督だからできたのだろう。もちろん、日本女子それぞれの技術と体力が向上したのが一番の勝因だ。どう見ても一流の選手の集まりである。もともと精神力はどこにも負けないなでしこだけに、鬼に金棒なのだ。
今大会のベストゴールはもちろん、敵にボールに触れさせずに奪ったオーストラリア戦の3点目、浜野選手のゴールである。何度みてもほれぼれするような完璧な展開だ。ニールセン監督は本当にすごいと思ったのは、どんどん選手を使い、使われた選手が登場直後からことごとく活躍したことだ。コロンビア戦での谷川選手のスーパーゴールにしろ、アメリカ戦での籾木選手の先制弾や古賀選手の決勝弾にしろ、器用があたった結果なのは誰にも疑いようがない。皆が満を持して、そして緊張ではなく伸び伸びとプレーできる雰囲気で送り出しているからこのような結果になっていると思う。
それにしてもアメリカは強い。他のチームとはレベルが違っていたのは確かだ。しかし、今大会を通じて、どうすれば負けないかではなく、どうすれば勝てるのかを経験したのは大きいと思う。そして熊谷選手はやはりなでしこには必要だ。今から次戦(4月6日、大阪)がとても楽しみである。
おめでとう、なでしこ。そして好ゲームをありがとう。