一つ前の日記にも書いたが、誕生日の8日から建国記念の日までの4日間でLeza先生から20時間のリストラティブ・ヨガのティーチャートレーニングを受講した。
リストラティ部の心を忘れないうちにまとめておく。
リストラティブ・ヨガは人間本来の姿にリストア(回復・復元)するヨガ。
このヨガだけではないが根本にあるのが以下の四つだと。
慈:Maitri
悲:Karuna
喜:Mudita
捨:Upeksha
人の幸せを望む心、慈。
人の苦しみを取り去ってあげたいと思う心、悲。
人の幸せを共に喜ぶ心、喜。
そして嫌いでも好きでも誰であろうと分け隔てのない心、捨。
宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の
東ニ病気ノコドモアレバの一説を思い出した。
http://www.youtube.com/watch?v=hvFEffacY5g
ヨーガ・スートラにもあるようにヨガの心そのもので向き合うということ。
他の幸福を喜び(慈)不幸を憐れみ(悲)
他の有徳を欣(よろこ)び(喜)不徳を捨てる(捨)
態度を培うことによって、心は乱れなき静澄を保つ。
ヨガの目的は心の作用を止滅させるためなのだから。
そして五つの鞘に似た、たまねぎの話。
実例を挙げてコントを交えて(競演わし)説明してくれた外側からのアプローチ。
ヨガ・アーサナをして体を動かし呼吸をすることで身体の内側が変わっていき、イライラや攻撃性は少なくなって平穏な心になり、行動も平穏になる。
朝、駅で人にぶつかってけんかになりそうになった「わたし」はヨガをして身体を伸ばし気持ちよく深い呼吸をしてその帰り道にまた人とぶつかる。その時は「ごめんなさい、大丈夫ですか」とぶつかった相手を気遣う。世の中は何も変わってないのに「わたし」が少しばかり変わっただけ。
この話はよくわかる。だからヨガスタジオは平和なエネルギーに満ちている。
そして今度は内側からのアプローチ。
ヨガをしてのどが渇き水を飲む。コンビニで100円玉ひとつで手軽に清潔でおいしいお水が手に入る。
でも、地球上にはそのお水が飲めなくて餓死する子供や風呂にも入れず不衛生な身体で病気になる人がたくさんいる。そんな人がいることを思い、祈りつつ水を一口飲むことにする。そうするとその子供たちのために募金をしてみるとかフェアトレードのお菓子を買うなどの行動に現れてくる。
Lezaは話しながら目にいっぱい涙をためていた。
ぐっときた。
この話もLotus8TTでも聞いていた。その時はあまりピンとこなかったんだろう、今回はちょっと違った。
311の後、政府の不手際や東電や自治体の対応などのニュースを聞くにつれイライラが募り、妙に飯を食うようになった。よくわからないがそのイライラを食べることで紛らわせようとしていたのかもしれない。1~2週間そんな状態が続き身体も気持ちも重くなっていった。これではいかん何とかしようと思った。
そして昼飯を抜くことにした。サラリーマンの楽しみの一つ昼ご飯は楽しみではあるけれども本当に必要なものかどうかは疑問だ。昼になったので飯を食う。半チャンラーメン、インドカレーナン食べ放題、ランチブッフェ...、オフィス街は魅力的なランチメニューが満載だ。しかし、大して腹も減っていないし、食うほど消費していない。午後の仕事へのエネルギーだって今までの蓄えが体の中にたっぷりある。
こうして今まで鱈腹食っていた昼飯を抜くことにした。勤め人の昼飯代は大体500円ほど。月に20回食べたとして10000円。この10000円の半分を自分のために半分を被災した人のために使うことにした。
赤十字やいろんな機関を通じて寄付を続けている。グリーンピースには小額だけど毎月口座引き落としにしている。
当初の「被災者のため」がいろいろ変わってきて、自由な報道のためとか、捨てられたペットのシェルター建設のためとか、福島の子供たちのヨガのために毎週のようにふるさとに帰っているヨガ友のためだったりと...。
ああ、これだったんだ。と妙に腑に落ちた。
そういえば毎朝両親と義父の遺影に線香を上げ手を合わせているが、当初はなんか都合のよいお願いみたいなことを交えて手を合わせていたが、最近はみんなの健康と被災者の救済と原発の平穏を祈り、ホオポノポノの四つの言葉で締めるのが定番になってる。
これも同じようなことなのかなと思ったりする。
一回目には理解できずにようやくわかる鈍感さもわしらしいなと思えた。
最終日にLezaからおまけしてもらって買ったCDにまさに入っていた。
Mercedes Bahleda - Limitless Love from the album Path To Bliss