これからご紹介するお話は、民俗学者の谷川健一氏が1971年頃
宮古島の下崎にある万古山(バンクヤマ)の御獄(ウタキ)で会った
神女(ツカサ)の
与那覇メガさん89歳から伺った宮古島創世記のお話です。
途中、わかり易い配慮の元、西洋占星術と絡めてご紹介をさせて頂いております。
それらの共通点は、何れも自然から派生する事柄です

つまり
「自然」と言うキーワードで同じ香りを感じるからです。
また、私の長年の研究テーマでもあるからです。

昔、
天空の神様が
親太陽(オヤティダ)、
母太陽(ンマティダ)の神さまを
この世に遣わして、宮古の島建てを命じました。
島造りのはじめは中骨をつくる事でした。
あたまは最初に北の島尻(しまじり)、狩俣(かりまた)、しっぽは保良(ぼら)の岬をつくりました。その周りの環境及び浜々もつくり
宮古島と命名しました。

それは、西洋占星術のツールの一つ月の白道(月の辿る道)。.:*・゜・*:.。.:*
ドラゴンヘッド(North Node)ドラゴンテール(South Node)を彷彿とさせます。
こちらでは、ご説明については割愛しますので、
詳細は、こちらをご覧下さい。親太陽(オヤティダ)、母太陽(ンマティダ)に寄って骨格が整った宮古島に天球の神さまは、親太陽(オヤティダ)、母太陽(ンマティダ)の神の住居として万古山(バンクヤマ)に白羽の矢を立てました。

次に
人間の誕生です



人間をつくるには、まず蛙を調べてそれを手本に試行錯誤の末に誕生させました。
人間のコミュニティ及び文化を育む場としての最初に作った村は、平井村と名付けました。
これは万古山(バンクヤマ)の直ぐ近くにあったそうです。

この
村は数年の間栄えていたのですが。.:*・゜・*:.。.:*
ある年の十五夜の日に
、村民が豚を殺して神に捧げたので、
天球の神は血だらけのものは非礼だと怒り、他の神々とも相談して、この村から追い出しました。
その際、天球の神さまは、数日間ヤドカリ攻撃をさせたので、村人たちは業を煮やしてこの村を立ち退き新天地として八重山に平井村を建てて引越しをしたのです。

ここでいう平井村とは現在の石垣市平得(ひらえ)の事と思われます。
ヤドカリに攻めさせたというお話については、宮古島の海岸の洞窟には大きな蟹のようなヤドカリが沢山います



そしてヤドカリは神の下等な使いと思われているのです。

ところで親太陽(オヤティダ)、母太陽(ンマティダ)の天降りした万古山(バンクヤマ)の事を
神女(ツカサ)与那覇メガさんに伝えてくれたのは、鳥でした

鳥は神女(ツカサ)与那覇メガさんの頭に止まり、歌をうたうようにして、御獄(ウタキ)の所在を告げたのでした。その鳥は、首の太い胴の長い白い鳥で、いつも「
太陽(ティダ)の洞窟(ガマ)」を守っている、まるで神の使いの天使のような存在だったのでした




更に補足すると、ギリシャ神話のヘルメスのように解釈しています。
ヘルメスは、太陽神のアポロンの有能な秘書で西洋占星術では水星、言霊を示します


「太陽(ティダ)の洞窟(ガマ)」は万古山(バンクヤマ)の御獄(ウタキ)の拝所のすぐうしろにある海岸の洞窟にあります。
神女(ツカサ)与那覇メガさんは1年に1度7日7夜の間、水だけのんで(この水は生命の水{スデ水}である)海水でみそぎをしながら、そこに一人こもる儀式を行うのです。
それは
8日目の朝に太陽を誕生させるための用意をするみそぎの儀式になるそうです。
誕生した太陽が水浴びする場所も、この洞窟の中にあります。
神女(ツカサ)与那覇メガさんのお話によれば、この洞窟に傘石(陰陽石)があるそうです。
これから類推すると、そこで太陽(ティダ)の親神と神女(ツカサ)との儀礼的な交媾(コウトウ)が行われるのかも知れません。
この辺りのご説明も、古典占星術の7つの星の順番のカルディアンオーダーと何らかの関連がある様に思うのは、考えすぎでしょうか?
因みに、カルディアンオーダーの星は、土星、木星、火星、太陽、金星、水星、月です。神女(ツカサ)がトランス状態(入神状態)に入る順番を示しているように推測しています。
星々には、それぞれに意味する事柄があります。
カルディアンオーダーで太陽が誕生する時間(東の空から昇る)に合わせるには、土星の時間に万古山(バンクヤマ)の「太陽(ティダ)の洞窟(ガマ)」に入らなくてはなりません。
その時間は、夕日が沈む、つまり太陽が海に沈む時間です。
つまり
太陽(ティダ)が万古山(バンクヤマ)の洞窟(ガマ)に沈む時間となるのです。
そして、
その位置は宮古島の西側に位置しています。
カルディアンオーダーの星々は、日の出から日没まで12種の星、日没から日の出まで12種の星をそれぞれ均等に配分して時間をそれぞれ担当しています。
日々の現実問題に置き換えてご説明しますと
日の出の星が1週間のそれぞれの曜日の名称になるのです。日曜日が太陽の時間で、月曜日が月と言う風に巡ります。
これらは、古代からの決め事です。詳細につきましては、下記をご参照下さい。
(太陽の役割と時間の質)
神女(ツカサ)与那覇メガさんがこの創世記をつくりあげるキッカケとなったのは、
彼女の神ダーリと言う、神が身体に入り込むトランス状態の体験でした。
側にいた娘さんのお話では、彼女は、
夜ごとに家を出て夜明けに戻ってくることがしばしばであったとの事、そのとき与那覇メガさんの着物はいつも潮水に濡れていたそうです。
彼女は、毎夜、池間島、その他の島を往き来していたと民俗学者の谷川健一氏にお話してくれたそうです。
おそらくそれはシャーマンの恍惚時における脱魂(入神)を示すものと推測されます。
この脱魂状態のときに彼女は宮古島の創世記の物語を啓示として受けるようになったのでしょうか。
神女(ツカサ)与那覇メガさんは谷川健一氏にお話する時、絶えず小刻みにふるえていたとの事、それは神がかりをする人間の特徴との事です。
その頃の彼女はすでに89歳の高齢で、それから数年して亡くなったとの事です。
彼女がもっと若く、体力と気力に恵まれた年齢であれば、宮古島創世記は自然とリズムを伴う祝詞の形で口を衝いて出たかもしれませんね。

ここまで読んで頂きどうもありがとうございました

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