※宮古島の神と森を考える会の冊子より引用
民族学者の谷川健一さんが立ち上げた会です。
メガさんまるでマザーテレサの様な雰囲気です。
「宮古島 神開けの道しるべ」でご紹介しました
万古山うたきの創設者
神女(つかさ)の与那覇メガさんのお誕生日を
知るチャンスを頂きました。
ホロスコープチャートでご紹介をさせて頂きます
ご紹介の前にメガさんの生い立ちを
知る範囲でご紹介させて頂きます。
ご本でご紹介出来なかった部分です。
与那覇メガさんは、大浦部落でお生まれになりました。
そしてご縁あって
1903年(明治36年)10月、17歳で
下崎部落の与那覇金氏と結婚をします。
夫は三男六女の九人兄弟の長男です。
大家族の長男嫁として苦労を強いられました。
そればかりか、夫は病気で西里の親戚の家で療養する内に
愛人が出来て家にあまり帰らなくなったそうです。
それでも子宝に恵まれ十一人出産します。
けれども、幼くして多くの子供を失う悲しみを経験します。
それでも純粋な心音のメガさんは、
夫の愛人に対して悪口も言わず、
自宅に帰らなくなった夫と生活する二人の家に、
貴重な作物の芋や野菜を運ばせ援助し続けたそうです。
この記事は
2004年12月12日(日)
宮古島の神と森を考える会の冊子より
メガさんの三女のタケさんのお話しとして
ご紹介された記事より引用させて頂いております。
宮古島の長男嫁は、とかく大変です。
それだけでも苦労の度合い理解出来ますが
病弱な夫を抱えおまけに愛人に走る夫
現在ならば、即離婚です。
ところがメガさんは
夫の愛人との生活を援助し続けるのです。
その時代の社会背景もある様に思います。
宮古島の大浦部落のコミュニティしか知らない
環境で育ったメガさんは、純粋培養な世界だったと思います。
おそらく、逃げ方さえも知らなかったのかも知れません。
耐えるのではなくて、
与えられた環境にシンクロする処世術の様なものを
学んで来た様に思うのです。
この様な思いに至りますと
文明と共に様々な多様性に合わせて
増えすぎた情報の洪水は
ノアの方舟が救世主になるかもしれませんね。
情報の与え方
受取り方は
全て自由と引き換えの個人の権利です。
それらの選択
受取り方は
それぞれの魂の成長あるのみです。
今日は、ここまでです
宮古島のイベントに向けて動き出したところ
なので、時間の合間に
メガさんのホロスコープチャート
からの情報をご紹介していきます。
どうぞお楽しみ~~~