お時間のある時にどうぞお付き合い下さい



肌寒さを感じる早春の4月11日~14日迄、
宮古島に帰省してきました。
那覇空港経由で詳細は下記の所要時間です。
羽田→那覇 2時間40分
那覇→宮古 50分
機中トータル 3時間20分
☆乗り換えの時間等入れますと約4時間30分です。

普段、ぼんやり&ユッタリとしたモードの流れの生活を
送っている私には、飛行機の移動時間だけでもハードス
ケジュールでした

おまけに出発当日は、風の強い日で飛行機は出発時間
が遅れる等のアクシデントに見舞われ、持参したipadの
アクシデントも重なり息子に何度も電話でアドバイスを
求め大騒ぎの出発でした。
今、思い出しますとこれがこれからのアクシデントを伝え
ていた様に思われます。電子機器と言うものは、意外と見
えない世界の波動を受けやすいものです。
今回の旅は、様々な意味で見えない世界からの誘いもありました

その様な意味及び観点から様々な事に思いを馳せます
と、日々私たちのそれぞれの現実社会でキャパを狭めた
欲望に満ちた世界等は通用しない世界を肌で感じた日々
でもありました


約20年ぶりに帰省したのですが・゜・*:.。.:*・゜
島の環境は大きく変貌していました。
開発と言う名の下で自然環境と島の
伝統的な風習までが変わろうとして
いました。
つまり、時代の波に飲まれて混沌と
してカオスのような状態だったのです。
けれども、島の人々の素朴さはその
ままでした。
素朴さ故にもがいている魂も多く感じ
ました。
それだけ様々な欲望が渦巻く島でない事の表れなのですね

ふと、その様な状況を・゜・*:.。.:*・゜
目の当たりにして、暫し記憶が遥か昔に飛びました。
10代に読んだ小説、森村桂著の「天国に一番近い島」の
風景を当時宮古島にオーバーラップしたのですが、その
思い出が蘇りました。
小説に描かれていましたロケーションは、
ニューカレドニアでしたが
私には宮古島に錯覚した程でした。
例えば、当時の出来事ではありませんが・゜・*:.。.:*・゜
子育ての頃、幼い息子がお腹を壊すと、故人の母が
コーラーを息子に呑ますのです。先人からの伝来の
ようでした。
小説の中でも似た様なショッキングな治療方法があ
りました。他にも宮古島に似た言い伝えがあり余計
に宮古島を感じたのでした。
(50年近く前の事で忘れている部分が多いのでこのような表現です)
けれども、一番オーバーラップしたのは南の島特有の
景色でした。その様な意味において、文章の表現力で
南の島をリアルに読者に伝える作家森村桂さんの文章
の表現力は、絶賛に値するものでした。
その後何年かして映画で拝見しましたが、小説程の感動
はありませんでした。
やはり、彼女の文書の持つ力は偉大でした。
お話は脱線してしまいましたが・゜・*:.。.:*・゜
約20年ぶりに帰省した私は、
懐かしい親戚、知人、友人たちとの再会
で様々な思いやりに触れて
自然発生的に改めて天国に一番近い島とオーバーラップしました。
そして、心から自信を持って誇れる島に生まれた
事に感謝いたしました





今回の最大な目的は、先祖供養でした


約20年ぶりに帰省した私は、まるで浦島太郎状態でした。
そんな拙い私に親切に同行して道先案内人をして下さった方がいま
した。光栄な事に島で有名人のFM宮古のパーソナリティの與那覇
淳さんでした。先祖供養の砂浜にも同行してくれて本当に感謝とご
縁を感じています。
先祖供養をした日は、あいにく小雨の降る日でした



宮古島では、サニツと言って旧暦の3月3日です。
幼い頃は、作詞、作曲不明の歌を唄ったりでチョッとした
カーニバルの様な様相でした。
この日は、女性たちが海に入り、自然界からの
贈り物であります、巡る季節の節目を祝い身を
清める意味で潮干狩りをして遊びます

ご馳走を詰め込んだお弁当を持って1日浜で過ごすのです


西洋占星術では、1年のスタートを春分の日と定めて
いますが、それを祝う様な感覚です



この時期沖縄は「うりずん」の中にあります。冬が終わりを告げ、
風向きも北から南へと変化し、自然に潤いが増して活動的になりは
じめる時期なのです。この時期の沖縄の気候はやわらかい太陽の日
差しとさらさらとした風が吹きぼんやりした風景を見せてくれます。
うりずんの意味は、こちらをご覧下さい
宮古島、池間島の北の沖合にサニツの時期に姿を現
わす巨大な「珊瑚礁群、八重干瀬(ヤエビシ)」があります。
豊かな海の資源を育む
この珊瑚礁の東西約7㎞、南北 約10㎞の広大な範囲
は池間島や宮古島の漁師達の漁場として親しまれてきま
したこの一帯は、サニツの日には、更に海からの恵みが
豊富となるのです。
昔から先人たちは、「珊瑚礁群、八重干瀬(ヤエビシ)」
に上陸して、その一帯から海の幸を受け取る、一年で
たった1回の、貴重な日であり神さまからの帰依を受け
取る日でもあるのです

今思い出すと、28年前に黄泉の国に旅立った母が帰り
たい思いを募らせた日でもあるのです。母は、私たち
兄弟のために神奈川で生活していたのですが、宮古島
でのサニツを忘れる事はなかったのです。
そして、偶然ですが、母の命日はサニツの前日でした。
先祖供養に定めた砂浜は、観光開発が進む中で自然が手
付かずで残る貴重な砂浜でした。
そして、その場所は、幼い頃、色とりどりの珊瑚を採取
した場所であり泳ぎを覚えた場所でもあったのです。
そして、親戚でバーベキューを楽しんだ場所でもあった
のですね。モチロンそれは、サニツの日です。
帰省の日程は、宮古島の行事を知らない家族の都合に合
わせましたので、この日にこの砂浜に呼ばれたのですね。
幻の思い出の砂浜に辿り付くまでは・゜・*:.。.:*・゜
普通の感覚では辿りつけない状況でした

それは、開発の波の余波で形状をなしていなかったからです。
試行錯誤で、昔の記憶を呼び寄せて、幻の砂浜までの
獣道をようやく見つけました。
けれども、そこでも何かに導かれるような不思議な体
験をしました


獣道に足を踏み入れた途端に、何処からともなく蝶がやってきたのです



そして蝶に興味を示す私たちは、蝶の進む方向に進みます。
さらに不思議な事に蝶はドンドン増えていくのです。
警戒心の強い蝶が近づいても警戒しません。
蝶に先導されて獣道を進む様子は、まるで、もののけ姫の
映画のワンシーンのようでもありました。

帰宅してから、蝶の生態と種類を調べました。
その一つは上記画像のアオスジアゲハは分かりましたが、もう一つの
種類が分かりません。
そこで、分かったことですが、アオスジアゲハが飛ぶのは、
5月~10月なのです。ですから、蝶の飛ぶ季節としては少し
早いです。
動植物は季節に敏感ですから、もしかして311の地震で地軸
が移動した事に関係するのかも知れません。
何故と考え始めると、調べるのが私の習性ですが、
今回は早熟な蝶が私を迎えてくれたと
前向きに思うことにいたします

只、友人の宗さんは別の場所で3月30日に撮影しています。
その時は、そぉっ~と近づき撮影したと聞いています。
なので、警戒なく撮影出来る蝶の状態は、明らかに普通で
はありませんでした。(同じ、アオスジアゲハです)
アオスジアゲハの説明です

現実に戻って今冷静に思い出しますと・゜・*:.。.:*・゜
あのように沢山の蝶を見たのは初めてです。
きっと故人の父が誘導した様に回想しています。
その様な発想は、黄泉の国に旅立った後、暫く仏
壇に止まっていたからです。そして、父が息を引き取っ
たのは、その幻の砂浜の深海のエリアでした。
満潮の時でした。
昔から、引き潮の時に人は息を引き取ると言う言い伝えがありますが、
それを父の死で、迷信であった事を知りました。

さてお話を砂浜に進めます・゜・*:.。.:*・゜
砂浜に辿り付くまでの獣道では、宮古島特有のハーブが生い
茂っていました。
幼い頃に自然発生的に見ていた母の父、つまり私には祖父に
なるのですが.:*・゜祖父がすすきでほうきを作ったり綱を編
んでいる様子を思い出しお話しすると同行してくれた淳さんが、
実演してくれます



そして、アダンの茎で「オーダー」(方言です)と言って思い荷物を
運ぶグッズを編む事を教えて頂きました。無知な私はその時、初
めて知ったのです


何故、アダンの茎でオーダーを編んだのかといいますと、アダンの
茎は強度が強い繊維だからです。
ところで、アダンはハーブの仲間で、木で
はありません。私が知っているのはこれだけでした。
(古典西洋占星術に関わっていると得られる知識です)
宮古島の先人たちは、ハーブとしてのアダンを
環境及び経験から得た知識として活用していたのですね。
そのようなお話を伺いながら、自然と共に共生してきた宮古島の
先人達の知恵を今更ながらに知らされ感動し考えさせられました。



不肖私が、約20年学んでいます古来の西洋占星術は
自然と共生する哲学です。
宮古島の自然風土から得た当たり前の知恵は、
西洋占星術にも通じるものがあります。
今後の私の研究に新しい息吹を吹きかける風のように感じています

そして、その様なお話をする中でも蝶は、喉かに先導していました

暫くして、獣道で蝶の先導が幻のように消えた頃、、
道が2つに分かれますと、潮干狩り帰りの一人の女性
にお会いしました。
モチロン砂浜への道を教えて貰いました。

そして、手にしたあさりを見せて貰ったのです。
何方の記憶の中にもあさりは黒ですね。
けれども、宮古島のあさりは白なのです。
それは砂が白いからです。
本土は火山灰の関係で砂が黒いから黒い、
当たり前な論理ですが、宮古島に住んで
いる時は知らなかったのですね。
只、記憶の中では先祖供養の儀式には、
この白いあさりの殻は、使われました。
本土の文化に馴染み過ぎて忘れてしまったのですね


淳さんのお茶目な説明を伺っている中で到着した砂浜は、
私が幼い頃思い出を育んだ記憶の中の砂浜で天国に一番
近い島のイメージのままの砂浜でした。

この日はサニツですから、潮が引いています。
無邪気に動くとすると、色とりどりの珊瑚採取
をしたいところですが、この浜に立ち寄った
最大の目的の先祖供養から始める事に致しました。
島特有のお線香とあの世で通用する紙幣を
燃やして手を合わせて、ご挨拶をして泡盛を
降りかけました

そうすると、天候が一瞬変わったのです。・゜・*:.。.:*・゜

↑この画像は、友人の宗さんにお借りしました。
このようなイメージです
曇り時々小雨の空から太陽が覗いて、光がさしたのです。
ご先祖さまの返答なのですね。一瞬の出来事でした。
そして自然に宿るとされる八百万の神を視覚として
感じた一瞬でもありました

科学万能の時代に科学的な裏付けもなくこのような表現をする
私を誤解なさる方いらっしゃると思われますが、あの日の天球
の変化は紛れのない事実です。
初めての体験でシャッターを押す気力さえも芽生えませんでした。
きっと、ご先祖さまの返答だったのですね。
「ありがとう」の気持ちを
八百万の神を介してお伝えしてきたのですね。
正直、ここの砂浜に辿り付くまで私は、。・゜・*:.。.:*・゜
さまざまな霊に憑依されて身体が悲鳴をあげていました。
クラクラとして、311の地震、発生時の様な体調だったのです

ある意味、宮古島に向かう時から予感していた事
でしたので、死を覚悟して身辺整理をして向かった
ことが強みだったのかも知れません。
何事も死ぬ思いで挑むと自分自身の中の魂がパーフェクトに動くのですね

しかし、予想以上の霊に憑依されたことは、自分自身の
体力の強さに脱帽した事と、今後の私の生き方と考え方
を変える出来事になりました。
その為には、やはり体力を付けなくてはなりません。
それでもやはり、西洋占星術でも示されるように家庭、家族は
基盤ですから、家族に迷惑かけない程度で活動していきたいです。

現在、新しい時代の到来に向けて多くの方々
が、魂の救済を必要としています。
今後は西洋占星術で得た情報を、知恵に
置き換えてお伝えする事で社会に貢献し
て行きたいと思っています。
特に、我が故郷の神の島@宮古島です。
人に輪廻転生があるならば、
生まれ育ったところは最大に意味のある地ではと思っています。
その様な意味においても故郷への貢献は必須課題です。

人の一生は、。・゜・*:.。.:*・゜
星の一生に比べますとあっけないものですからね:.。.:*長文最後までお付き合い頂きありがとうございます


あとりえlablam