昨日の承認欲求に関する記事をアメトピに掲載していただいたそうです。

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アメトピ掲載記事


年末になると、両親とすごした最後のお正月と、結婚するまでの10年近くひとりで過ごしたお正月の思い出が脳裏をよぎります。

 

私は両親が亡くなった年の1年前からアメリカの大学院に留学しました。

私が渡米してすぐに、母が病院で検査を受けて胃がんだということがわかり、手術を受けました。まだ50代で若かったから進行も早かったのだと思います。母は手術後に別の場所に癌が再発し、1年後に亡くなってしまいました。

 

父は10年ほど闘病生活を続けていました。両親が亡くなる数年前までは母の実母(私の祖母)も同じ敷地内に住んでいたのですが、父の病状が悪化し、母はまだ教師をしていたので2人の介護は無理と判断し、叔母(母の妹)の家で祖母を見てもらうようにしました。

 

父は入退院をくりかえしていて、母も癌の手術を受けたので、私は大学院の冬休みを利用して一時帰国しました。その時は1月2日から授業が始まったので、年明けまで日本にいられませんでした。だから厳密に言うと、私にとっては大学院に行くために渡米した年のお正月が家族ですごした最後のお正月なのですが、私がアメリカから一時帰国した時は、年末にみんなでおせちを食べることにして、ひと足早いお正月気分を味わいました。その時に遊びに来ていた親戚の前で母を馬鹿にしたような発言をしたので驚きました。

 

 

 

私が大学院留学をした年のお正月の時点では、まだアメリカの大学院に留学できるとは思っていなくて、それが両親と過ごす最後のお正月になるとは夢にも思っていませんでした。

私は実家から電車で1時間もかからない同じ都内に住んでいたのですが、その年にアメリカ留学が決まり、その家を人に貸すことにして、実家に荷物を運び1ヶ月ほど両親と一緒に過ごしました。

今、考えると父は自分の体調が悪く辛かったのでしょう。人が変わったかのように怒りっぽくなっていて一緒にいるのが苦痛でした。

 

一時帰国して最後に年末を過ごした時には、父はしきりに「もうこれが最期かもしれない」と言い、苦しくなってもいいからお酒を飲みたいと言いました。結局、お酒は飲めず 私が日本を発つ日(12月30日だったと思います)に私を見送ろうとしたのですが階段の下まで降りられず、また寝室にもどっていきました。階段に座って握手を求めてきた父の姿を何度も夢で見ました。

 

今、考えてみてもあの時、大学院留学を決めたのはよかったのか、こんなに早く両親が逝ってしまうとわかっていたら、お正月明けまで一緒に過ごして数日間は欠席してもよかったんじゃないかと思うこともあります。

 

でも最期に母にアメリカの大学院を卒業できたと報告できて、母が嬉しそうにしていたのを見られたので自分の選択は間違っていなかったのかなと思いながらも年末年始になると、家族と過ごすお正月の大切さをしみじみと感じます。

 

 

 

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