私はアメリカの大学院に留学して最初の大学院を卒業した際にMagna cum laudeという成績優秀者に贈られる称号をもらいました。この大学院はジョージア州にある小さい大学で私が取得した特別教育(Special Education)のマスタープログラムの学生のほとんどは地元の現役の先生でした。その人たちは特に成績を気にしていなかったし、フルタイムの学生ではなかったので、Magna cum laudeに選ばれた(というかそのレベルの成績に達していた)のは私ひとりだと言われました。
翌年の5月の卒業式に出たら、卒業証書と一緒に盾をもらえると言われたのですが、母の病状がかなり悪かったので夏にコースを取り終わるとすぐ日本に帰国しました。
病院にいた母は、痩せこけてしまっていて私が帰国して3週間くらいで亡くなったのですが、最後まで意識はハッキリしていました。母に大学院を無事卒業してしかも首席だったと言うと、とても喜んでくれました。ここで「首席」という言葉を使ったのは日本にの成績上位者に贈られる特別な賞の呼び方がわからなかったからです。
母の葬儀のあと、親戚が集まり いろいろ話をしている中で、私がアメリカの大学院でがんばっているのを母はとても誇りに思っていたと言う話が出ました。私も最後に母に無事単位が取れて卒業できたことを報告できてよかったと思っていました。ただ親戚の中に私が母に嘘をついていたように思っていた人がいて、チクチク言われてとても不快な思いをしました。
今思えば、母は割と親戚に対してのライバル心が強かったように思います。自分の兄弟姉妹よりもその子供たち(つまり自分の甥や姪と自分の子供)に対して競争心というかライバル意識があったようです。
私は両親が亡くなった後に結婚をしたのですが、もし母が生きていたら義両親との間にもライバル意識が芽生えたのでは...と思ったりしたことがありました。
親というのはいつでも自分を認めてくれる存在で、私は強い両親に支えられてきたので「認めてもらえる=承認してもらえる」という気持ちは満たされていたと思います。同年代で親御さんの介護をしている友人の話を聞くと親はいつまで経っても子供を心配して、見守っている存在なのだなと他人を通して知ることはできますが、自分の親が他界してしまってからは自分ごととしては実感ができません。
母が亡くなる前、父の葬儀の後に近所の人と話している時に、母が私を国費留学でアメリカにいる優秀な娘のように盛って話していたので驚いて「ママ、そんなこと言ったら恥ずかしいからやめて。私がもらっている奨学金はアメリカの州立大学で日本語を教えたら学費が免除になるというだけのものだよ。」と説明しました。
母は、ちょっと照れた表情で「あ、そっか。でも奨学金もらっているんだからいいよね。」と茶目っ気がある言い方で私に同意を求めてきました。
近所の人に話すくらいだったら、「ま、いっか」と思ったのですが親ってこういう風に子供の自慢をしたいんだなと知ってちょっと驚きました。
母の死後、母が望んでいたような結果を残したいと思って努力したので、家族が自分を信じてくれて心から応援してくれているという安心感を持てるというのはいいことだと思います。